日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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感性をそのまま認めたい
すごく抽象的な言い方ですが、私は何かを見たときに、それがそれそのもの以外の意味を感じることがあります。

例えば、先日ベトナムに妻と旅行にいってきましたが、その最後の夜はちょうど満月でした。
その満月に合わせて旅行したわけではないのに、ちょうど満月にあたり、さらにしっかり晴れて煌々とした満月を一緒に眺めることができました。

そこに私や妻は「満月」という事象だけではない、それ以上の意味や意義を見出したりしますし、特別な思い出にもなります。
そしてこのタイミングでここに来れたこと、そのめぐり合わせに感謝もします。

そこで見た月は単なる“月”以上の特別なものになります。
そういう感性は、自分以外にもおそらくほとんどの人が持っているのだと思います。

それぞれの感性でそれをどう解釈するのか、どのように見えたのかもそれぞれでしょう。
一輪のお花を見て泣く人もいるでしょうし、特別な人から送られた「がんばれ」という一語を見ただけで大きな励ましとなる人もいると思います。

私は、その感性をそのまま認めたい。
例えそれが見間違い、勘違いであっても、そこで感じたことはその人自身のもの。

そう意味付けしたなら、それはそれでいいではないか、
そう見えたなら、それはそれでいいではないか、と思っています。


今日、妻が「セミの鳴き声がたくさん聞こえる」といってましたが、どう聞いてもどう考えてもコオロギやスズムシの鳴き声でした・・・笑
その泣き声を妻は「夏の名残」として聞こえ、私は「秋のおとずれ」として聞こえましたが、どちらであってもセミでもコオロギでもそれはそれでいいじゃない!と思うのです。

最近、そんなことを考えていました。
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