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日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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身体の声:阿字観体験
よく妻に「身体はかなり疲れているのに、気持ち(心・頭)がどんどん先にいこうとしていることがとても多い。もう少し自分の身体の状態を知ったほうがいい」と言われる。

その感覚はとてもよくわかる。
とてつもなく眠いし、身体がかなり疲労している自覚があるのに、パソコンに向かっていたり、本を読み続けていたりする。興味あるものについては、我を忘れてとことん調べたり、知りたくなってしまったりする。
もちろん自覚がないときも多い。仕事がつまっているときや悩んでいるとき、考え事をしているときは特に。

そんな日が続くと、ある日突然身体が全く動かなくなってしまったりする。
そういう体調を崩すときや偏頭痛になるときは決まってその限界を超えたときだ。
身体がおかしくなって始めて限界だったなと気づく。「しまった!」と思ったときには時すでに遅しだ。

先月の下旬頃からまさにそんな状態になってしまった。(というわけで旅行の前半はかなりきつかった)
本当はもっと早くそんな状態になっていると気づいて、身体を休めたりするべきなのだろう。

今回の旅行では高野山の金剛峯寺にて阿字観を体験させてもらった。
阿字観についてはこちら
「心と体を一致できるようになれたらいいですね」とご指導いただいた僧侶の方からのお話もあってやってみました。

その阿字観をしていると(逆にいうと阿字観しかやっていないため)、体がどんどんゆるんできて体そのものの熱や呼吸、鼓動、脈動、そしてしびれや体の軋み、疲労まで含めて、体の状態がとてもよく感じられた。
体はしっかりとそういうシグナルを出していたのだが、いかに気づいていないか、そしてそういう感覚があることのありがたさをまざまざと思い知らされた。

そしてもう一つ、半跏趺座(はんかふざ)という座り方をし、法界定印(ほっかいじょういん)の手の形をして、大きく描かれた月輪と「阿」(=大日如来)という梵字にむかって、教わった呼吸をしながら声もだす。そのときも言われた観想をしながら。しかしそれでも様々な雑念も浮かぶ、そして足や体も風邪によるだるさに加えてどんどんしびれて疲労してくる。
そうやっていたら「あぁ、生きているってこういうことかぁ」「こんな感じで生きていってもいいのだろう」とふと思ったのだった。(そこには自分なりのプロセスがあるのだが省略して)今この場にいる自分を肯定してもよいのだと思った。

自分が生きている実感がもてるのも、体があってこそだなと。
体があるってとても不便なことも多いですが(ちょっと変な言い方だ)、そういう体から分かること・気づかされることってとても多い。

身体があって体調を崩せるからこそ、それがある種のストッパーとなって、心や思考にブレーキをかけてくれたり。
(たぶん自分が想念だけの存在であったら、行き着く先はどこなんだろうかなんて思ったり)

妻は「感覚が研ぎ澄まされていき、見える触れる聞こえたりするっていうことだけでも素晴らしいことだし、生きてるっていうのは幸せなことなんだ」というふうに思ったと言っていた。
その感覚もとてもよくわかる。

阿字観をやってみて、身体の大切さ、ありがたさをあらためて自覚することができました。
心身を一致させる時間を毎日少しずつでもとっていけたらなと思います。

「内側(心や気持ち、頭)から知ることも多いが、外側(身体)から知ることも多い」
(このことに最近気づいたことは自分にとってとても大きい転機の一つですが)ここでも実感させてもらいました。

明日以降「形(型・体)から入る」「呼吸について」へ続く。
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