日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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器が知れる
大変な状況のときだからこそ、その人の器が知れるときがあります。

先日ある取引会社の方の対応で私が憤慨することがありました。

その上司の方が謝りにきました。

そこで言われたのが、「私は知らなかったんです」という言葉。
上司として、その支店を預かる長として、そしてこちらの気持ちを考えたら、絶対に言ってはいけないことでしょうし、なんの解決にもならないことでしょう。

それを言われた私も「だからなに?」です。

その言い訳にすらならない、責任者としての役割も放棄した、単なる逃げ口上にますます怒りが込み上げ、今後の取引は止めようと固く決意しました。

切羽詰ったときに見せるその姿に、人の器は現されているのだなと改めて感じます。

今回のこともまた他山の石としようと思います。
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そういう機会が巡ってくる
通い始めて4年ほどになる空手。
先月、長らく務めてくださった前師範が引っ越したため、師範が交代しました。
その方は20年以上、前師範のもとで稽古してきた方。

稽古のスケジュールも変わり、私も先日ようやく参加することができました。
やはり師範が変わると、やり方はもちろん雰囲気も変わります。

新師範はけっこうシャイな性格で前に出る(出たい)タイプの方ではないと思いますが、師範という役割をその方なりに一生懸命務めていらっしゃいました。

今回のように、前師範の引っ越しという事があり、師範という役割がまわってきたように、
自分がそう望んだわけではないのに、そういう機会が巡ってくるということがあります。

自分もそうですし、人を見ていても、(何かの)機会が巡ってきたときに、それを受け入れるか否かで、その後が大きく変わることを目の当たりにしてきました。
様々な事業や状況がありますが、そもそもまずは受け入れねば何も変わりません。

稽古に参加してみて、新師範はその機会を覚悟をもって受け入れたんだなと感じました。
師範という機会を受け入れたその姿勢そのものに励ましと勇気をもらえたように思います。
世界は自分で決める
昨日ランニングしているとき、ある見通しの悪い交差点で車と接触しそうになりました。

間一髪だったこともあり私のほうは動揺しましたが、運転手はぶつかりそうな状況に気づかなかったのか、ぶつかってないから関係ないと思ったのか、そのまま平然と走り去りました。
そのとき動揺とあいまって怒りが込み上げてきました。

その後、ランニングを再開しながら、この怒りをどうやって処理しようかと考えていました。
いろいろ思いを巡らしながら最終的には「危うくぶつかりそうにはなったけど実際ぶつからずに済んだのだから、それでよしとしよう」ということで収めました。


そんなふうに考えてみると、何かが起こったとき、何かを見たとき、それを解釈したり判断したりする自分次第で世界は決まると思います。

感情やまわりの価値観(常識、習慣etc)に影響されてしまいますが、自分がはっきりとそう決めてしまえば、世界もそうなる。

今の自分が幸せか不幸か、素晴らしき世界か最悪の世界か、ラッキーかアンラッキーか、それを自分で決めてしまえる強さをもちたいですね。


そういう意味では今回のことは“そう決めて”よかったなと思っています。
未来への責任
会社をやること、事業をやることは、未来を切り開くと同時に未来に対しての責任もあると思っています。

ドラッカーは「利益は、事業を継続・発展させる明日のためのコストである」といっていますが、会社の存続という明日のためのコストをまかなうためにも、利益とキャッシュを生み続けることは当然であり、これもまた未来への責任を果たすということですね。

つい先日ある社員から「家を建てたいので、住宅ローンを組みたいのですが・・・」という話がありました。

ローンはそれを組んだ本人が負うべきものなんですが、私にもまた一つ何か重たいものがのってきたように思います。
これまた私にとっての未来への責任の一つの形なんでしょう。

会社をやっている限り、その“何か重い”未来への責任からは逃れられないのでしょう。
私が勝手にそう感じているだけなんですけどね・・・。
次へ渡す
「自分も若いときそうしてもらったから、自分もそうしているだけ」
最近印象の残った言葉で、最近ちょくちょく考えていることとつながる言葉です。

節目節目で会うべく人たちと会い、そういうご縁から私もたくさんのものをいただいてきました。
今私が(仕事でも家庭でも)こうして生きていられるのもそういう頂き物のおかげです。

そうやって頂いたものを、いつか自分も「次に(世代、社会、まわりの人)」渡したい、渡していけたらと思います。
最近そんな望みをもつようになってきました。

何を渡すことができるのか・・・一番重要なことかもしれませんが、そこはまだまだ途上です・・・。

いつか私なりの道や考えを少しずつでも築いていけたらいいなと思います。


外野からものを言う
「自分の会社や部署にとって望ましくないことがあってその原因も分かっているけど、それに対処する役割にもないし権限もないから何もやらない。だけどそうなっていることの文句はいう。」
そんな場面に遭遇することがあります。

またそういう状況が分かっていても、そもそもまわりの人や事に興味がないという方もいます。

気持ちはとてもよくわかります。
他者との関わりはものすごいストレスの種になります。私も同じです。

ですが、生活するにも仕事をするにもそこを抜きには何も成しえません。
そしてなにより喜びや充実感もそういう他者との関わりから得られるものだと思うのです。

私の立場からいえば、自分に何かの権限がなくとも、またはその役割になくとも、その組織のことを考えてくれる方を求めていきたい、育てたいと思います。
当事者意識をもつ人でなければ任せられません。

そういう当事者意識をもたせるように育てなければなりませんね。
そして外野からもの言っても何も変わりませんし、何も起こりませんからね。
ハッとするような方
男女問わず年齢問わず、ときどきハッとするような方にお会いすることがあります。

世間的にいうプリミティブな美人とかかっこいいとかではなく、美人を超えた美人というか、男前を超えた男前というか、うまく表現できませんがそんな方に。

そんな方が放つ美しさやかっこよさ、気品というのはどこからくるのだろう。
そのことを考えると、この方はこれまでどんな人生を歩んできたのだろう、どんなことを考えてきたのだろうということに至ります。

そして美しさとか、気品、深淵さというのは、これまでの人生を経たその方の内側から滲み出てくるのだろうなと思います。
そういう意味で人は外見がすべてなのかもしれません。

そういうふうに感じられる方にお会いすること自体、とても貴重なありがたい体験。
そして美人であるには美人である理由が、男前には男前である理由が必ずあって、それを考えるとドキドキしますし、いつか自分もそうなれたらと思います。
つらい時期
普段は互いに遠く離れて暮らすとても仲の良い友人と、思いがけないところで再会する機会がありました。
いろいろと仕事で求められる役割が難しくなっているとのこと。

社会も常に変化していれば、会社も常に変化いかねばならないでしょう。
であれば、当然社員であるその友人の役割も、求められことも、また変わっていくのでしょう。

それはつらい時期でしょう。ですが、
「自分の弱みをピックアップして、自分をブラッシュアップしていこうと思っている」とも言ってました。

そういうつらい時期だからこそ、苦痛を伴いながらも自分と向き合って、行動していくしかありません。
会社や上司の愚痴をいったり、外的なものに原因を求めていても何も変わりません。

そしてそういう状況や環境から逃げずに立ち向かおうとしている姿は私にとっても励みになります。

「つらい時ほどゴールドな時」
その意味が今では分かるようになりました。

いつか「あのつらい時期があったからこそ、今の自分がある」と言えるように、互いになれたらいいなと思う再会でした。
またいつか会うのが楽しみです。
甘かった
この一年、やってきたことが頓挫した先日の出来事。

少し時間をおいて、冷静に考えてみると、自分の甘さが見えてきます。

いろいろと反省すべき点やこうするべきだったという点がたくさんあります。

いろいろな人たちが関わっているので、まだまだ終わりではないのですが、このことはこのこととして、また次につなげようと思います。

「仕事でもなんでも、キレたら終わり」
よく社員たちにいう言葉を、自分にも言い聞かせたいと思います。

失敗したり、怒られたり、うまくいかなくても、キレたらそれで終わり。何も得られません。
次につなげるために、そのことを糧とするためにも、できるだけ冷静に客観的に分析していきたいと思います。
若い芽を摘む人、育てる人
この一年、いろいろと取り組んできたことが、最後の最後になって頓挫した。

業界の若手を育成しましょうという活動を組織化する段になって、業界のお偉い方たちに阻まれたのだった。

私のいる業界全体は今大きな人手と人材の不足に悩まされている。
また業界そのものの価値を社会から問われるとても厳しい時代でもある。

そういった課題に対して、若手で研鑽し、少しでもこの業界全体の役に立てると思っていたが、まさかまさかの“必要なし”の判断。

私の力不足以外の何ものでもないが、久しぶりに挫折感、虚脱感みたいなものに浸っています。
私の進め方がまずかったのか、いろいろ考えてみます。

今はまだ感情的になりすぎて「この経験を糧に・・・」という段階ではないが、少なくとも若い芽を摘みとる人、育てる人、どちらになりたいかまた一つ目標ができました。

そのお偉い方たちのほとんどは70をとうに過ぎた方たち。
なんと器の小さい人たち。
そしてこれが今の日本社会の縮図なのですね。


今日は悔しさに打ちひしがれた、やさぐれブログですね。




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