日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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ちゃんと積み上げる
海老蔵さんの本についてはまたのちほど。


私がいつも髪を切りにいく理容店のオーナーさんがご病気をされたとのこと。
入院などで少しお休みされるというので、いつものサイクルとは違いますが、行ってきました。

そのオーナーさんは志高く、髪を切りながら日常を忘れリラックスしてほしいというコンセプトのお店をやっています。

私もそういうオーナーさんの考え方のファンで、技術もさることながら、そういう仕組みや空間をちゃんと実践されているところなど経営者として、とても尊敬しています。

髪を切りながらお話を伺っているところ、「今回病気してしまいましたが、お客さんから本当にたくさんの励ましや温かい言葉をいただいたり、わざわざサイクルをずらしてきていただいたりと申し訳ないくらいありがたく感謝の気持ちで一杯です。」と言っていました。


普段は当たり前のことでも何か起これば、それが表に出てくることがあります。
病気、トラブル、ある種の困難な状況に、普段の行いが様々な形になって返ってくるのだと思います。

今回のこのオーナーさんであれば、日頃からお客さんに対してが、病気をきっかけに表にでてきた、または返ってきたのだなと思います。
こうした温かい励ましをいただけれるのも、このオーナーさんがちゃんと積み上げてきたものがあるからでしょう。(そしてこのことを徳というのでしょう)

やはり日頃一つ一つ、お一人お一人の仕事を積み上げていくことの大切さをしみじみと感じます。

病気は本来避けたいものであるし、体にとっても家族にとってもとても心配となるものですが、そんな話を聞いていて今回の病気もまた素晴らしい機会、ギフトのようなものかもしれないと思ったのでした。

オーナーさんの復帰を心から願ってます。
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そう見えた自分を信じること
昨日に引き続き『市川海老蔵 目に見えない大切なもの』のなかから、とても印象に残っている(すなわちとても共感できる)言葉をまとめていきたいと思います。

脳科学者の茂木健一郎さんと海老蔵さんとの対談のなかで、「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんが高校生のとき龍を見たという話題での茂木さんの言葉。

海老蔵さんからのその龍は脳が見せたものかという問いに対して、「科学的な言葉で言えばそうなる。でも幻覚と現実ってそう簡単に区別がつくものではないし、そもそも、それをどれくらい真面目にとらえているかという問題があるんです。寝不足だったから幻覚が見えたんだで済ませる人だっている。でも木村さんは脳の体験として龍を見たと確信している。本気で信じているから、龍から言われた言葉を今でも秘密にしているんです。そういう人だから、絶対に不可能だと言われていた、無農薬・無肥料のりんごがつくれたんじゃないかと思う。」P38

それを見たという自分の感性を信じること、それを貫くことで、途方もないことを成し遂げることができたという言葉にとても勇気付けられました。

「そう見えたもの」を、科学的に物理的にありえないことだ、だから幻覚であり何にかの見間違えだと思う必要はないんですね。
さらに言えば、そう見えたと信じている人に対して、それは幻覚だ、またはこういうものだと正す必要もないということ。

自分がそう見えたと思っていたら、別にそれを人から言われようと気にする必要もない。

現実に龍がいるかいないかは重要ではなく、見えたことを信じている自分がいるならそれでいい。
そう見えた自分を信じることが大切なんだなと思います。

ここでは見えたものが龍ですが、人の夢や希望だって目には見えないということでいえば同じこと。

私がやっている会社や事業も始める前は同じこと。
最初やるときは何もありませんでした。目に見えるものも形あるものも何もありませんでした。
あったのはこういうものを創りたいと想像し、それをできると信じた人だけでした。

何事も目に見えないものを信じるところからスタートするんですね。

この言葉は私にとってもとても大切なことを確認できた言葉です。


ちなみに対談は、「僕も龍を見たんです」という海老蔵さんの言葉に続いていきます。
さらに余談ですが、私もよく龍を見るんですね。そう信じているんですね。
軸をもつ人
『市川海老蔵 目に見えない大切なもの』という対談本を読んでいます。

市川海老蔵 眼に見えない大切なもの (Grazia Books)市川海老蔵 眼に見えない大切なもの (Grazia Books)
(2010/07/22)
Grazia編集部

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私にとってものすごくインスピレーションが刺激される本です。

海老蔵さんは紆余曲折ありつつもとにかく歌舞伎に夢中なのですね。(あたりまえですね)

ですので、あらためてすべての出来事や興味のセンターに歌舞伎があり、それが軸となって見たり聞いたりするものを理解しているのが興味深かったのです。

何かを見たとき、何かが起こったとき、当人のなかに「軸」があるかないかによってその物事を見たり感じたりすることの深さが全然異なるものだというのを感じます。

真っ白な状態でありのままを見るということもいいのですが、やはり自分のなかにある軸をもって、見ていく、関連付けていく、そうすることでますます自分の軸や身の回りに起こる事象を深く深く洞察し理解していけるようになるのでしょう。
(軸とは自分の生き方と直結しているものであるので、「知識がある」というのとはまた違うものでしょう。価値観とかテーマといったものに近いでしょう)

その軸とは、海老蔵さんであれば歌舞伎であるし、私であれば今やっている事業でしょう。

しかし、歌舞伎が生業とはいえ、ここまで歌舞伎に夢中で、様々なテーマにおいて「歌舞伎ではどう捉えるか」「歌舞伎とはどう関係するか」と結び付けながら考えていることはある意味とてもうらやましいと感じます。

これほどまでの情熱を私も会社や事業に注いでいるかといえば、そうではないかもしれないと思います。
読んでいてまぶしくなるのです。そののめり方に憧れてしまうのです。

この本で感じたことがたくさんあるので、しばらく続けてまとめていきたいと思います
功罪は決断の本質である
何かを決断すれば、それには必ず功罪ともいうべき善きことと悪いことがあります。
作用と副作用やリターンとリスクは常に背中合わせのように。

ある人の決断をとりあげれば、当然そこには功罪ともいうべきことがたくさんあります。
その功罪のどちらにクローズアップするかの違いはあっても、功罪の大きさは常に等しいのだと思っています。

結局決断の本質とはそういうこと。
良いことを望んで決断するが、悪いことも同時に出てくる。

ですが、一番だめなのは、その決断をすればこういう効果もあるかもしれないが、そんなリスクもあるかもしれないといって、何も決断しないこと。決断を躊躇すること。
何も変えようとせず、何も決められないこと。

そういうことが蔓延している組織やリーダーは瓦解していくということもまた、歴史が証明しているのでしょう。
それは会社でも国家でも単位は違ってもすべて同じ。

功罪はあって当然、それも全部引き受ける組織やリーダーでなければいけません。
私自身もそうありたいですし、功罪併せもつ決断の本質を分かった上で“決断する”リーダーたちを育てなければいけません。

論評することほど簡単なものはないですね。
論評するだけの人にはなりたくないですね。
心を練る
自分の振る舞いや行動が、自分の意図したように解釈されないことやそもそも誤解されてしまうがあり、そのことで思わぬ敵意や悪意に晒されたりします。
それは大勢の方と同時に接していたり、時間がなくちゃんとコミュニケーションができないときによく起こります。

先日もそんなことがありました。
大勢が集まる会場で一人一人となかなか時間がとれず、そうしているうちに思わぬところでいろいろなことを言われたりします。

気分を害されてしまった方や誤解を招いてしまったのなら、反省してまた次の機会に気をつけるようにしなければなりませんね。
これからもそれを繰り返していくしかないのかもしれません。

このような予期せぬことや不本意なこともあったとしても、それらもひっくるめて前に進んでいきたい、否、いかねばならないですね。
私には条件や環境や他者を何かの理由にしている暇はありません。
それらを押しのけてでもやりたいことがあるんですね。

そうしたいからこそ、大勢の方たちと接することやいろいろ言われることにもう少し心が練れていかないとなと思う日々です。
エンパワメント
「その人が潜在的持っている力を引き出したり、やる気を呼び起こし自信をもって働けるようになること」

そんな社員を一人でも多く輩出することは、私の仕事のなかでもとても重要なこと。
そのことを一言で表すことができるとすれば、「エンパワメント」という言葉でしょう。

人が自信をもつというのは、代わりやってあげることでもなく、何かを与えることでもなく、何かの問題や課題を排除してあげるように手助けするということでもありません。

本当の自信はその人自身の内側(内面)から湧きおこるもの。
その自信がその人を輝かせ魅力的な人柄をつくるのでしょう。

そうなるためには、その本人が自身の力で問題や課題にあたっていかなければいけません。

その人自身が人生でも仕事でもぶちあたっていることを代わりに解決しては、自信などつきませんし輝かせることにもななりません。
そもそもその人の機会を奪うことでもあるのでやってもいけない。

できるのは、励ましであり、後押しする言葉、困難な状況でも逃げない背中や態度を見せること、そんなことに尽きるのかなと思います。
結局「エンパワメント」だけなんですね。


今日はたくさんの社員と話す機会があり、そういう社員が一人でも多くいる会社にしたいなとあらためて思いました。

そうやってその人自身が輝いてきたり、充実感をもって働いてくれたりすることが、私の人生の喜びと直結しているのかもしれないなと最近気がつきました。
おみくじ
私は地元の産土神さんをはじめ、とても好きな神社が数社あります。
今年も何社かに初詣にいきながら、おみくじを引いてきました。

おみくじは大吉や中吉など以外にも、やはりとても大切なメッセージや示唆を与えてくれるものだと思っているので、必ず引きます。

今年は総じてものすごく辛い・・・。
「厳しいな・・・気を引き締めねば」どれもそんなことを思いました。

そして、こんなことってあるのか!と驚いたのは、妻が引いたおみくじと全く同じおみくじを引いたこと。
おみくじが数百枚くらい入った箱から妻と時間差で引いたものが同じって・・・。
(思わず「この箱に入っているのは全部同じおみくじないんじゃないか」と疑ってしまった・・・そんなわけないのに・・・)

妻のおみくじを見てから自分のおみくじを開いて、それが同じだと気づいたとき、鳥肌とともに「ちゃんと肝に銘じよ!」という神様の声が聞こえたように思います。

いずれにせよ、いつも神様にはしっかり見られているんだなと感じることができた初詣でした。
こんなことってあるんだな~
あっという間
そういう年なのか、そういう時期なのか、仕事柄なのか、いろいろなことが同時進行です。
日々の業務もあり、身内の不幸もありで、なかなか体も気持ちも忙しい一週間でした。

自分の感情がどうあるべきか、切り替えもまた大変でけっこう戸惑います。
仕事もあれば家庭もあり、みんなそれぞれの日常や抱えているものがありますので、その場その場であるべき気持ちに切り替えていくしかないのでしょう。

年を経るごとに、一世代ずつ一世代ずつ着実に世代が替わっていくのを目の当たりにしたり、私たちにとってたくさんの思い出のある方の人生の終盤と終焉を見届ける機会が増えていくことで、ようやく実感として分かってくることがあります。

人生はあっという間だということ。


「人生は本当にあっという間だ。私たちも悔いのないようにしたいね。」
そんなことを妻と話しました。

「悔いのないように」という言葉の重みも少しずつ感じられるようになってきました。
私の喜び
仕事では悩みは尽きません。どこまでいこうと悩みます。
しかし過去から同じ悩みのままということはありません。

その状況や慣れない役割に戸惑いもがき苦しむこともあるでしょうが、そこにしっかりと対峙しているかぎり必ず乗り越えることができます。自分なりの答えや処し方を見つかります。

新しい役割につけた一年後に社員へ「あのとき、こんなことで悩んでいたけど、今も同じことで悩んでる?」と聞きます。
「うーん、今の問題に精一杯あたっているので、そのときの悩みなんて忘れました」とか「もう今をこなすのが大変なので、どうでもいい悩みでした」と答えてくれます。しかもとても余裕たっぷりな顔で。

それこそ逃げなかった証しであり、成長した証しでしょう。
悩みを乗り越えるということは、“悩みがなくなる”ということではなく、悩みそのものや悩みへの考え方が変わるということだと思っています。

そして社員たちのそういう姿は私の喜びでもあります。

今日異動の内示をした新人マネジャー候補も不安とプレッシャーで今にも泣きだしそうな顔をしていましたが、その顔がどう変わるのか、変えられるのか、とても楽しみです。

たくさんの修羅場と善悪二元論では割り切れない状況のなかで四苦八苦してのたうちまわるでしょう。
そうなりながらも少しずつ這い上がってくるのだと信じていますし、全力でバックアップしたいと思います。

そういう社員たちの成長を、社員同士が喜び合う組織であることを目指しています。
選んだ選択肢を正しくする
南場智子著『不恰好経営-チームDeNAの挑戦-』を年末年始に読みました。
文章の読みやすさといい、その歯切れよさといい、創業者としての苦労などものすごく面白かったです。

そのなかに「事業リーダーにとって、「正しい選択肢を選ぶ」ことは当然重要だが、それと同等以上に「選んだ選択肢を正しくする」ということが重要となる。決めるときも、実行するときも、リーダーに最も求められるのは胆力ではないだろうか。」という言葉があります。とても強く印象に残りました。

今日、幹部社員たちと人事のことで話し合っているときにも、その言葉をふと思い出しました。

私がある人事に関してのリスクをいくつか挙げていくと、「たしかにそういうリスクはあるため、私たちのほうで支える必要もありますし、そういう状況を彼女自身が乗り越えていく必要があると思いますが、私たちとしては彼女のこれまでの働きをみてぜひそのポジションについてもらうことがベストな選択だと思っています・・・」と返されました。

なんと素晴らしい社員たちだろうと思います。

何事においてもリスクを挙げればキリがないのですが、そもそもその対象となっている本人も、そしてその上司たちもそれなりの胆力や覚悟がなければうまくいかないだろうと思っていました。

そしたらそういう答えが返ってきたら最高だなと思っていた通りの素晴らしい返答。
覚悟がなければその提案された人事案は止めると本気で思っていましたので、私の腹も決まりました。
焚き付けた甲斐がありました。

今日下した判断が正しいかどうかは未来にしかわかりませんが、「あれは正しかったね。彼女はとても成長したね」と言い合う未来となるよう精一杯支えたいと思います。
やるべきこと
新年あけましておめでとうございます。
今年も日々起こることを好き勝手に書いていこうと思っています。
よろしくお願いします。

今日は各事業所へ挨拶を兼ねて出社していました。
私は休日ですが、うちの会社は24時間365日稼動しています。

お正月ということもあり、いつもの休日にもまして静かな事務所のなかで近々にやるべきことについて考えることができました。

昨年までは「(新事業の)筋道をなんとしても見出す」ことが中心でした。
人材を育てるのも、キャッシュを残すことも、その筋道が立つかどうかわからないなかでの目標でした。

しかし、今年ははっきりと筋道が立ったものをきっちりと実現にむけて取り組む年となりそうです。

やるべきことが明確になれば、ある意味あとは実行に移すのみです。
(この状態は幸せなことです。進みたい方向へ全速力で進めるということですから)
ですが、やるべきことの膨大さもまた明確になります。
そのことについて、今日は考えに考え、そしてさっきまで妻ととことん話し合っていました。

サービス業である私の会社は、「誰が」「どういうふうに動くか」、すなわち人事とオペレーションが成否を分けます。
まずはそこからです。
お客様に喜んでいただけるもの、そして社員たちが快適に働いてもらえるものを造っていきたいと思います。

それにしても、妻とそういう話ができるのはなんともありがたいものだとしみじみ思います。




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