日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

感性をそのまま認めたい
すごく抽象的な言い方ですが、私は何かを見たときに、それがそれそのもの以外の意味を感じることがあります。

例えば、先日ベトナムに妻と旅行にいってきましたが、その最後の夜はちょうど満月でした。
その満月に合わせて旅行したわけではないのに、ちょうど満月にあたり、さらにしっかり晴れて煌々とした満月を一緒に眺めることができました。

そこに私や妻は「満月」という事象だけではない、それ以上の意味や意義を見出したりしますし、特別な思い出にもなります。
そしてこのタイミングでここに来れたこと、そのめぐり合わせに感謝もします。

そこで見た月は単なる“月”以上の特別なものになります。
そういう感性は、自分以外にもおそらくほとんどの人が持っているのだと思います。

それぞれの感性でそれをどう解釈するのか、どのように見えたのかもそれぞれでしょう。
一輪のお花を見て泣く人もいるでしょうし、特別な人から送られた「がんばれ」という一語を見ただけで大きな励ましとなる人もいると思います。

私は、その感性をそのまま認めたい。
例えそれが見間違い、勘違いであっても、そこで感じたことはその人自身のもの。

そう意味付けしたなら、それはそれでいいではないか、
そう見えたなら、それはそれでいいではないか、と思っています。


今日、妻が「セミの鳴き声がたくさん聞こえる」といってましたが、どう聞いてもどう考えてもコオロギやスズムシの鳴き声でした・・・笑
その泣き声を妻は「夏の名残」として聞こえ、私は「秋のおとずれ」として聞こえましたが、どちらであってもセミでもコオロギでもそれはそれでいいじゃない!と思うのです。

最近、そんなことを考えていました。
スポンサーサイト
行動を起こす
地元紙に、先日オープンした(高齢者向け)交流サロンの記事が載っていました。
昨年、うちの会社を退職した元女性社員が開設したものでした。

そのサロンを開設する前にお話させていただいたとき、
「私なりにだけども、一人で暮らしている高齢者の方のための“場所”を作りたいと思って」
「私みたいな馬鹿でもできるんだろうか」
などと言っていましたが、それがちゃんと一つの形になっていたのだった。

しかもそんな話をしている前に、しっかり自宅前の小屋を買ってしまっていたりと、着々と進めていました。
素晴らしい行動力・実行力!

その行動力を見ていて、「行動を伴わない考えは、考えていないのと同じである」という言葉を思い出します。
そして、理屈をこねるだけの人(自分含)よりも、よっぽどすごいなと思います。

何かやるとき、やれるのか、できるのか、これでいいのか、いろいろな不安がつきまとうもので、その不安やリスク、労力というところに、心も頭も支配されてしまい、それで終わってしまうことがほとんどだったりします。
しかし、考えたことを行動に移さなければ何も変わりませんし、起こりません。

社会に何かできるんじゃないかと思う心、そしてそれを実現させる行動力。
65歳を過ぎてなお増すパワフルさ、まっすぐさ、尊敬いたします。

刺激になりました。
近々、お祝いにいきたいと思っています。
世界をどう見ているのか:ジム・ロジャースから見える世界
だいぶ前の話になりますが
冒険投資家ジム・ロジャーズのストリート・スマート  市場の英知で時代を読み解く冒険投資家ジム・ロジャーズのストリート・スマート 市場の英知で時代を読み解く
(2013/05/24)
ジム・ロジャーズ、Jim Rogers 他

商品詳細を見る
を読みました。

今読んだジム・ロジャースもそうですが、ジョージ・ソロス、ジョン・ポールソンなどが書いた(もしくはテーマとした)金融関係や投資家たちの本を読むのがとても好きです。

莫大な資産を築いた(または失敗した))ということがクローズアップされますが、その資産を形成するにはそれだけ世界経済で起こっていることに対して、独特の解釈、歴史観、世界観をもっていたりします。またどんな状況のなかでどんなポジションをとったのかなど、そういったことがとても勉強になるのです。(その世界観が芸術として現れるという意味で、棟方志功なども同じだと思います。)

世界で起こっていることを冷静に調べ上げ分析し、そこに歪みや潮流を見つけ、将来はこうなると判断し投資する。

私たちは常に常識とか世論、感情というバイアスに晒されていると思っています。
その常識を疑い、もしくは気にせず、冷静に世界で起きていることを分析する、歴史から読み解いていく姿勢は見習うべきものだと思っています。
そういう姿勢は会社経営にも、さらに人生においても、とても参考になったりします。

そういう視点で考えると、リーマンショックは規模としては100年に一度の経済危機といえるかもしれないが、その構造(過剰流動性+トレンド→ブーム→バブル→バースト)はこれまで繰り返してきた金融危機と何も変わらない。しかもその後の各国が行っている金融緩和という対処法も同じだったりする。であればこれまでの歴史と同じ文脈で語ることもでき、文脈が同じであればこのあとどうなるかも想像できたりします。

また景気が上向くと、裾野がまずは拡がるということで、設備投資や給与が増えるにはいろいろな段階を経なければならないことも分かってきたりします。

一週間前まで、新聞紙上には上場企業や大企業の14年3月期1Qの決算発表が盛んでしたが、その決算内容からどのような業種や会社がどのような要因でどんな決算になっているのか、そこから現在の社会情勢や経済はどうなっているのか。
そして自分の事業にとってどんな影響があるのか、国の政策と絡めてこれからどうなっていくのか、その方たちの著作を読んでいくことで、理解が深まってきたなと思います。

決算や統計は経済を映す鏡ですが、それをどう活かすか、(バイアスがあるなかで)どう解釈するかはとても難しかったりします。
そういう意味で、今回の著作は、(著者の生き方や価値観には共感してませんが)その世界(経済)の見方・解釈、その旺盛な好奇心は興味深く、とても勉強になりました。
“笑”がポイント
私の住む地域が先日集中豪雨に見舞われました。
数カ所ある拠点のうち一つで、地滑りによる土砂が川に流れ込んだため、その水が溢れて周辺一帯に押し寄せました。

ある程度の対策を施したあとは、濁流が流れる道や田、家々になすすべはなく、これ以上増水しないことを願いつつ、ただただ水が引くのを待つしかありません。

その光景を眺めているとき、その拠点近くに住んでいる取引先の営業さんと会い、話をしました。

私たちの拠点はギリギリ浸水しませんでしたが、その営業さんの家は床上まで浸水してました。

そのときの営業さんの話・・・
「どっちにしろ、水が引かないと手がつけられないので、暇です笑」
(ハーフパンツ、黒靴下、ローファーという格好に)「長靴の意味がないくらい深かったので、どうせ濡れるならってこれです笑」
「畳の部屋だったので、これを機にフローリングに換えようと思います。もう手配しちゃいました笑」
「床下点検ピットを開けたら、轟々と水が流れていたので、一瞬ここ日本?え?俺ん家?って思いました笑」

“笑”がポイント。

どんな災難や災害に見舞われようと、楽天的・楽観的というのは最高の武器ですね。
そういう心持ちなだけで、“勝ち”(=乗り越えている)だなと思います。

私もこのとき、実家向かいの自動車整備工場とその前の交差点が完全に浸水していましたので、実家も水に浸かったというふうに思っており、そして自分たちが住むアパート一帯も浸水していると聞いていましたので、(どちらも会社のことに集中していて全く確認できなかったのです)、「だめならだめで、また一から建て直せばいいよな」なんて腹をくくってました。

この営業さんと話していて、さらに清々しい気持ちになりました。
はじき飛ばしてしまえ!
会社のなかには様々な人間関係があります。
それはお客様、社員同士、取引先など多岐にわたり、そして規模の大小に関わらず必ずあります。

そこには利害関係、好き嫌い、合う合わない、本音と建て前など、それこそ複雑な感情と人間関係が交錯しますし、またそういう関係をふれまわる人間もいたりします。


私の場合、社員たちがどういう心境であろうと、どんな本音であろうと、きっちり仕事をしてくれればそれでよし。その組織がチームとして円滑にまわっていれば、それでよしというスタンスです。

その人間関係が業務に支障がでるところになれば、毅然と介入します。
自分の感情や理屈を仕事よりも優先しているということですから。

社員同士で愛し愛され協力しあう職場は最高ですが、そんなこと立場、仕事をする動機、能力、育ってきた環境、性格、価値観など、何もかも違う人間が集まっているのですからどだい無理な話。
そして社長であれどんな人間であれ、完璧な人間もいません。

また、ある程度部下をもち組織を束ねる立場になれば、会社と社員たち、部下同士との板挟みがあったり、利害や方針で対立することもあります。
そういうことが組織になれば必ずでてきます。社内で何か役職がつくということは必然的にそうなるということ。

「本音はこう」「あの人は裏表がある」などは仕事する上では関係ありません。
会社は仕事をするところであり、“仲良しクラブ”を作って群れるところではありません。

私でいえば、会社を守り発展させることこそ私の役割、そこで社員たちから自分が悪く言われていること、陰口を言われることなど、全然関係ありませんし気にもしません。分かる人は分かりますし、分からない人は分からないでしょう。逆に分からない人に分かれということもありません(その立場でないのですから、分からなくて当然でしょう)。


ですので、そんな人間関係はあって当然、あったとしても一切気にする必要もなければ、落ち込む必要もない!むしろそんな悪意や敵意などはじき飛ばしてしまえ!と思うのです。
はじき飛ばす強さを持たねばならないのです。

はじき飛ばしてしまえ!
“機”を見極める感性
望んだこと(新事業)が実現するまで、たくさんの乗り越えねばならない壁があります。
(以前書きましたが、私の事業はヒト、モノ、カネ、免許のうち、免許が重要なのです)

それは自分の努力という範ちゅうを越えてどうにもならない部分であったりします。
その免許に対して、今はまさにじっと“待ち”のときです。

いろいろなことに目配りしていると、緩慢に見えるが着実に動いていることがわかります。
昨日もそんなことがわかる“機”がありました。
それを確認しつつ、私ができることに集中しながら、静かに“待ち”に徹しています。

それが“機”であるとは、後々にならないとわからないものだったりします。
やってみて、ある結果となって、振り返ったときに始めて「あれがなければ・・・あれがそうだったのか・・・」となるように。

しかし、事業においては、今起こっていること(=“機”)が私たちの望んでいることにとって、どんな“機”なのかを見極める・分析する感性が必要かつとても重要だったりします。止まっているように見るほど緩慢だが動いているのか、それとも本当に止まっているのかをしっかり見極めなければなりません。それによってどうすべきか、何をすべきかが変わってきます。また、(良いことでも悪いことでも)なぜそうなるのか、なぜこのような形となっているのか、理由がわからないときもあります。そんな“機”からいろいろなことを読み取ります。
(たぶん、それは人生においても同じだと思っています)

そんなふうに考えていると、すべてのベースは努力であること、どのような“機”も決して見逃してはならないこと、なぜそうなるのか理屈を越えた(天とか神という存在を感じられる)事態がたくさんあること、そして「チャンスはピンチの姿でやってくる」というのは真実であること。

そんなことがわかってきます。(つくづく実感しています)
乱れ続けない心
田坂広志さんの「風の便り」特選第72便に「『不動心』の本当の意味」という話しがあります。
(田坂さんの「風の便り」は7月12日のブログ「あなたは何をしているのですか?という問い」にも書きましたが、とても素晴らしいなと思います)

今日ニュースにもなりましたが、宮城沖で震度5強の地震がありました。
その少し前に、妻と私の携帯に「緊急地震速報」もありました。(あの音は何度聞いても嫌ですね)

そのときちょうど、妻の実家へ向かうため、車を運転していましたので揺れは感じませんでしたが、おそらく一斉にまわりで車を運転している方たちの携帯にも速報が流れたと思われ、車道脇に車を停める方たちが続出していました。そのため車道は少し混乱しました。

とりあえず、私たちも車内のテレビで状況を確認しながら、(回線がパンクしないうちに)すぐに会社や実家へ電話を入れ、そちらの状況を確認しました。幸い何も影響はないということでした。

地震など災害はいつどのような形で起こるかはわかりません。
できれば起こってほしくないのですが、起こるときは起こってしまいます。

そんなとき、この田坂さんの「不動心の本当の意味」という話を思い出します。

突拍子もなく望まないことが起こったことに驚くことも、混乱することもあります。
しかし、嘆き続けていても、混乱していても状況は何も変わりません。

できるだけ早く冷静になって、起こったことの状況から目をそらさず、どう対処すべきか、どう行動すべきか、ということにフォーカスしていきたいと思っています。

今日の地震でもあらためて思いましたし、いろいろな場面でその「乱れ続けない心」を目指したいと思います。

そのプロセスのすべてが形づくっている
先日、妻とNHKの「アスリートの魂」という番組を見ていました。

以下番組のHPの説明から・・・
プロサーファー大野 修聖 ( まさとし ) 選手(32)は、海外勢が圧倒的に強い
サーフィン界で“世界に最も近い日本人”と言われる第一人者だ。
制限時間のなかで演技の完成度を競う競技サーフィン。
パワフルなターンを武器に2004年、2005年と国内連覇。
海外のツアーでも何度も表彰台に登った。
目標は、世界のトップ32人だけが参戦できる世界最高峰のWCT
(ワールドチャンピオンシップツアー)。
日本人で参戦した者はまだ一人もいない。
大野選手は今、大きな壁に苦しんでいる。
去年、生涯最大のスランプに見舞われ、さらに東日本大震災後、
サーフィンのイメージダウンでスポンサーも資金不足に。
大野選手は今年を競技人生最大の節目と位置づけ、
海外の拠点を引き払い、原点からWCT出場を目指している。
世界への扉を開こうと格闘する大野選手の姿を追う。


その番組のなかで、とても印象に残っている言葉がいくつもありました。

「壁を取り払うのも自分、壁を作るのも自分、その壁をその高さにしているのも実は自分だったりする」

「勝ててたときは、海、波、サーフボード、足、自分、そのすべてに境界はなかった、そのすべてが一体となっていた」

「(その一体となっている状態をゾーン(=無の状態)と呼び)意識していなくても勝手にゾーンに入っていた」

「そのゾーンの状態をもう一度取り戻したい」

無意識に出来ていたことができなくなり(=スランプ)、そしてそれを今度は意識的(体系的)にできるようになりたいと奮闘していました。あのレベルまでいくと、もはや技術や技の問題ではないのですね。
意識的に“無意識の状態”にもっていこうとする困難さは、ほんとに果てしないものがあります。
「三昧」のような境地といえるかもしれません。

「どの世界でも目指すべき状態(ゾーン)というのは一緒なんだな」と妻が言っていましたが、その通りだと思いました。

そしてその大野さんの顔つきが、日本チャンピオンだったときとは比べものにならないくらい、深みのあるとてもいい顔になっていたことも印象的でした。スランプの只中にいる今のほうが格段に素晴らしいお顔。(私たち夫婦の主観です)

スランプに陥り、そこから脱しよう試行錯誤を繰り返しながらもがき続けることは、想像を絶する苦しみの日々でしょう。
しかし、その人が醸し出す人として深みと温かみのある顔や雰囲気は、やはりそんな苦しい日々を経ることで得るものだなと思います。

このプロセスが大野さんにとってどういう結果に結びつくのかはわかりません。
しかし、私にはその目標、諦めない姿勢、スランプ、そこでの試行錯誤、そのプロセスのすべてが人生を形づくるかけがえのない瞬間なのだなぁと感じます。

私も今は自分の内面と向き合わねばならないという意味での転機のようです。
そのタイミングでこの番組を観れたことはとてもありがたいことだと思っています。




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。