日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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人と縁を切るとき
人のつながりには様々なことが絡んでいる。
その人間関係はそれぞれが有機的に結びついた複雑系、生態系のようなものであり、私もまたその一部だったりする。

しかもそのつながりを構成する人が、会社を代表していたり、ある種の組織・団体を構成していたりすると、さらに複雑になる。

だからある人と縁を切らねばならないような事態が起こったとき(取引を止める・お付き合いを止める)、個人的・友人関係のような感覚で、そのつながりを一気に断ち切ったり抜け出したりすると全然関係ないものにも影響を与える。

それは会社同士であれば時にはお客様へご迷惑をかけるかもしれない、それは社員たちにも同様だ。また私とその方の共通の関係者の方たちにも非常に気まずい思いをさせるかもしれない。

それは本意ではないし、そういう事態は避けねばならない。そんなことを考えずに感情にのった行動が先走ってしまえば、どんなことをされたにせよそれは私のエゴではないかと思う。

かといって、やはりお付き合いを止めねば、縁を切らねばならないときもある。
(しかも切らねばならない人はそういうまわりの状況にもつけ込んできたりする)

めんどうなことかもしれないが、そしてまわりの方たちにも余計なご心配をおかけすることかもしれないが(現にいろいろ心配いただいている、が励ましもいただいている)、いろいろな方に礼を尽くし筋を通そう。

そしてまた相手を単純に駆逐する、排除することなど目的でない、何が一番大切なことなのか、その目的は何なのか(お客様にご迷惑をかけない・社員たちを混乱させない等)、そこをしっかり見据えた上で行動していこう。


これらの段階を踏んで進んでいます。
不利益かつ信用もないご縁を切るため、そしてお客様、社員、会社を守るため、着々と行動しています。
そのための外堀はだいぶ埋まってきました。

感情に支配されず、かといって決めたことは断固としてやり抜く。
そういう姿勢でありたいと思います。


縁を切ることと縁を結ぶことは同義であることも実感しています。
奇しくも6月をもって取り止め、来週(来月)から新しい取引が始まります。
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かすかな光明
俗に事業に必要なものをヒト・モノ・カネといいますが、私の事業はヒト・モノ・カネに「免許」が加わります(まぁ、なんでもそうかもしれませんが・・・)。
役所の許可がなければできません。
ですので、新しい事業をやるにも早くて3年以上の期間が必要となります。

昨日諸々の関係機関と協議する機会をいただき、以前から希望していた新事業にかすかな光明が見えたような気がします。紆余曲折もあり長い間待っていました。
それができるのは、最も早くて27年度でしょう。

まだどうなるかわかりません。何も決まっていません。
そして乗り越えるべき課題は山のようにあります。
「チャンスはピンチの顔してやってくる」という言葉はその通りだと思います。

しかし、そういう機会がいつ巡ってきてもいいように、そもそも実現することを前提に、ヒトの育成とキャッシュの確保などできる範囲の準備を怠らないようにしていました。「ゴーサインが出たから準備する」では遅すぎるのです。機会を得るのは一瞬だと思っています。


一昨日、「今あるすべての現実は、そうなりたい・そうしたいと思ったからそうなっているのだ!」ということにはっきりと気づきました。(ある意味あたりまえのことですが、でも違うのです)
その翌日である昨日、そんな光明が見えてきたのは偶然ではないと思っています。

私の心のなかでは建物も、そこにいらっしゃるお客様も、働く社員たちも、そして音、匂いまで、“そこにあります”。

お客様に喜んでいただけるものが必ずできる。そう信じています。
波長の高いお二人
いつもいく床屋のオーナーさんはとても尊敬できる方。
理容という技術だけを売るのではなく、理容とリラックスしていただくというような「時間を売っている」というのをコンセプトに掲げている。

そのことを維持するため、さらに向上するための意欲を常に持っている。いつも行くと私とはそんな話ばかりされる。
そんな素晴らしいお店のため、小さい町でライバルも多いのにとても人気店となっている。

お客様商売だけあって、物腰はとてもやわらかく話し方もとても静かでやさしい。しかし内なるハートはとても熱く、ある意味決めたことは必ずやり抜く意志の強さ(良い意味での頑固さ)も持っている、そして仕事に対しても常に全力な方。
「自分はお客様には常に120%であり続けたいんです。それが明日を作っていくと思っています」という昨日の言葉にはグッとくるものがあった。

そしてもうお一人。
月に一度ある勉強会にてお会いできる都内で光学電子機器系(でいいのかな?)の会社をされている社長さんに、法人間取引についていくつか質問しました。(その方のブログを読んで疑問に思ったことを単純にメールで聞いてみたのでした)

そしたらすぐに返信が届き、そのレスポンスの早さに驚かされ、さらにかなり詳しく丁寧な内容にも感動しました。
全く仕事にも関係ない内容で、そして現在超繁忙であるなか、さらに私の会社とは全く分野が異なり私自身は見込み客にもなり得ないことも承知していて、そんな対応をしてくださったのでした。(おかげで大変勉強になりました。30日にお会いできるのがとても楽しみです。)


自分が選んだ道を、それぞれでとても困難な状況でも、しっかり進まれている方がいる。
こんなふうに波長の高いお二人に接して、自分もそうなりたい、そうありたいと再確認することができました。
(このブログにも書いていますが、ここ最近いろいろなことがあり、疲れていたのと、自分がとらわれていること、自分のまわりの人間の情念みたいなものをなかなか拭えなかったのです)

とりあえず今日も社員同士の披露宴での祝辞も無事終え、またプレッシャーに感じていたことを一つこなすことができました(評価はわかりません・・・)。

明日からまたいろいろあるのでしょうし、やらねばならないことが山積みですが、そのすべてで「ここでよし!」というところまで、がんばりたいと思います。


無駄なことはない。全部つながっている。
ちゃんと見習うべき人がまわりにいる。

ありがたいことですね。
社長=会社
「社長=会社」
最近自分のまわりで起こったことのなかでつくづく思います。

どんなに素晴らしい優秀な社員がいても、社長の発言、考え方がその会社の考え方。
それは副社長でも専務でも常務であっても、社長とは決定的に違う。

その会社は社長がすべて。

そのことを自戒をこめて刻みつけよう。

自分が何かを発言するとき、いろいろな場面でどう振舞うか、それは(自分がどう意図しようと、どんな場面であっても)会社を代表していることをちゃんと自覚せねばと思います。

いろいろと考えさせられる、学び多き機会をいただいております。
言葉にならない気持ち
今日は人の敵意や悪意に晒された日でした。

簡単に言えば・・・
あるものをA社とB社から仕入れていたら、B社がその取扱を止めることになったため、A社だけではリスク管理上、経営上よくないと考え、同じものを扱うC社と取引しようとしたら(しかもB社分のみを)、A社の社長(一緒にランチ中でした)が急に激高して罵詈雑言を浴びせられるということがありました。

10年以上お付き合いしてきた会社さんでしたので、いろいろと義理を通すため事前にそうするという旨のお話もしてました(取引量は減るわけではない等)。でしたので、まさかそんなことを言われるとは思いもよりませんでした。
(いや、ほんとにすごかったのです!ほぼどう喝でした)

自分が買いにいっているお店と違うお店にいこうとしたら、「ぶざけるな!うちから買え!」と怒鳴られるような感じでしょうか。
あまりにめちゃくちゃだったので、最初言われていることがよく分からないほどでした。

私もその場で怒りに震えましたが、(他にも何人か社長さんたちがいたこともあり)なんとかその場を収めましたが・・・。
ただどう喝され強制されるようなことを言われてまで、仕事をしてもらいたい、お付き合いしたいとは思いません。

そしてここではっきりと、この社長の本性がわかってよかったな、そういう考えで私たちと取引してたんだなとはっきり分かりました。
(以前からいろいろな言動を聞いていてあまり好きにはなれませんでしたし、震災で困ったときも一切手助けしてくれなかったことが、独占させるのはリスク管理上よくないと思った理由の一つでもありました)

ここまで言われて取引する理由もないので、少しずつ取引のボリュームを減らしていこうと思います(こういうことになることを分かってやっているのでしょうし)。

ただ今も、怒りとも違い、哀しいのとも違い、むなしいとも違う、ちょっとよくわからない、言葉にならない気持ちです。空手にいってからもなかなか整理がつきません。ランチも食べ損なってしまいましたし・・・笑

時間が必要なのかもしれないですね。
自分もまだまだです。


ただ妻には「冷静に静かに離れていこう。同じ土俵に立たないようにして。よく怒らず耐えた。よくがんばったよ」と言われました。
ほめられちゃったな~笑


なんだか毎日毎日いろいろなことが起こります。
逃げませんし、あきらめませんし、きっちりその現実に相対していきますが、ちょっと疲れますね。
これでいいのかも、いまいち自信ないなぁ。
心をこめて
いろいろとバタバタしておりますが、予定は次から次へと差し迫ってきます。

今週日曜は、社員同士の披露宴にご招待いただきました。
(今年に入って3度目の結婚式となり、なんだか結婚の多い年です)

そこで祝辞をさせていただくことになっています。
初めての祝辞、そして新郎新婦ともにうちの社員ということで、タフな状況ではありますが頭を切り換えつつ何を話そうかと考えています。

思えば人前で話すことなんてとんでもない、絶対にできないと思っていましたが、そんなこと言えるはずもなく、というよりもそもそも自分の思いや会社の方針を伝えるには多くの人間に話さなければ伝わりません。

人前で話すことなんて苦手、緊張するなんて言っている場合ではありませんでした。
(どうでもいいことですが、私はカラオケも苦手で妻とすら一度も行ったことがありません。ですが先日業界団体の飲み会で5年ぶりくらいに歌ったのを思い出しました。若手の自分は「歌えないです」なんて言える雰囲気もなく、赤坂のスナックにて3曲歌いました。自分の殻をぶち破ったな~偉かったな~オレ笑)

こういう機会をいただけること自体ありがたいこと。
そんな場数を踏むことで少しずつお話することにも慣れていけたらいいなと思います。

スピーチそのものは上手くできないかもしれませんが、心をこめてお祝いしたいと思います。


いろいろなことが同時進行です。
過去と他人は変えられない
先日の退職に続き、今度はまた別な職種で人間関係のうまくいかない事態が起こりました。
とりあえず話し合う機会を設けたのですが、感情も絡んでくるとなかなか難しいものですね。

そんな人間関係を見てて、そして自分は悪くないと頑なに自分の心に閉じこもっているのを見ていて、そっちが悪い、こっちが正しい、こうされた、こうしたって言っていて、何か変わるのかなと思います。

先日ある会合で「過去と他人は変えられない」という言葉を聞きました。
まさにそうだなと思います。

自分以外の他人や環境のことを言っている限り、いつまでもどこにいても、同じ悩みにさいなまれることになるんじゃないかと思います。もうそこから抜け出しましょうよと思いますが、なかなか難しいみたいですね。

退職するならそれも良し、退職しないならそれも良し。
しかし、一緒に仕事していこうと思うなら、互いが思いやりと理解、協力がマストでしょう。

退職されてもう一度その組織(部署)を立て直す道のりの遠さ、果てしなさにも正直凹みますが、何も変わらず何も変えずにいることよりはよほどいいでしょう。

生きてたらいろいろあることが常ですが、ちょっといろいろありすぎだなぁと思うここ一月です。
退職は必然
先日退職したいと申し出た社員、実は以前勤めていた職場から誘われたらしく、そちらに戻ることになったのが退職理由でした。

先日その社員が妻と話している際に、こんなことを言っていたようです。
「今の仕事はもう少し歳がいってからでも、どこかには勤められるとは思うが、前の職場に戻れるのはこの機会しかない」と。
(現在の仕事と転職先の仕事は全く異なる職種です)

私より10歳以上年配で7年ほど勤めていただいた方でしたが、この会社とこの仕事に対してその程度の気持ちでしかなかったことは残念でした。
また、私たちの仕事や職場の魅力、そしてその方へのいろいろな思いも全く届いてなかったというのもまた残念でした。
しかもそのような自分の思いを妻に言うのもなかなかすごいなと思います。(たぶん悪気もなく素直な気持ちなんでしょう)

仕事に対する情熱も、仕事をする動機や人生での仕事の位置づけなどは、もう人それぞれ。
私のほうで、この会社や仕事のおもしろさ、深さ、やりがい、そんなことをしっかり伝えられなかったのだと思います。
すべては私の力量不足です。

ですが、退職することは必然だったなとも思います。

明日、その退職する社員と入れ替わりとなる新入社員が初出勤です。
その方がどう育ってくれるのか、まわりとうまくやってくれるのか、そもそも続けられるのか、まだわかりません。
ですが、会社や組織にとってまた新しい機会となるのでしょう。


うまく言葉にできないのですが、ある物事を単純に“良いこと”“悪いこと”って決めつけることはできないよなって思います。
自分にも当てはまる
今日、うちの会社は夏のボーナスの支給日でした。
給与もボーナスも“もらえるもの”ではなく、“支払うもの”となってから、いろいろと考え方も変わりました。
見方が変わるだけでこうも世界が変わるものかと思います。一人ダイバーシティですね笑

とにもかくにも今年も全社員に支給できてほんとによかったとホッとしています。
明細書をお渡しするときは、毎回社員お一人ずつ面談をしながらお渡しします。
いろいろなことを聞いたり、直接伝えたりする貴重な機会となっています。

今日そこである社員にこんなことを話していました。

「やってもいないのに、自分で“できない”とか“むいてない”とか勝手に線引きしてはいけない、自信がなくてもそういう機会がきたらまずはチャレンジしてみてほしい。うまくいけば自信にもなるし、うまくいかなくてもそこで経験したことが学びとなって次につながるんだから。自分で自分を制約してはいけないよ」と。(偉そうだ・・・)

こんなことを話しながら、「あ~!これ自分に当てはまるわ~」と思いました・・・笑

人に言いながらも自分にも当てはまっていました。
自分で話しつつ、「俺もがんばろっと」と思ったのでした。
前進あるのみ
「絶望することは罪である。そこからは何も生まれない。どんな逆境においても絶望してはならない。むしろ絶望という不運から、希望ある将来へと導く強さを学ぼう」
チャーチルの言葉です。

「大変なことがあっても、前へ進むしかないですね。恐れは最大の敵と思って自分を信じて前へ進みましょう」
今日頂いた、私がとても尊敬する方の言葉です。


今ある現状が望まないものであったら、それは自分が変わることで対処したいと思います。
けっして自分以外の外部にその理由を求めることはしたくない。

外部は何もコントロールできません。そこでできることは望むべく状態になることを待つことくらいしかないでしょう。
ましてや外部を攻撃することで自分たちを維持しようとしたり発展させようというのは言語道断、それは結局巡り巡って自分に返ってくると思うのです。

昨日はある取引先と、今日は同業他社さんからいろいろとありました。
後者はライバル関係なのでしかたがないことかもしれませんが、なかなか低次元の言いがかりレベルのことでしたので、逆に驚きました。その“望まない現実”はうちのせいだそうで。

もちろんこんなことで絶望することも、落ち込んだり、動揺したりすることもありませんが、ちゃんと私自身、そしてうちの幹部社員たちには他山の石として学ばせていただきました。(結局その攻撃のツケはご自身で処理なさるのでしょう)

自分が信じた道を進もうと思ったら、邪魔や敵などの障害や難問という試練が次々と降りかかってくるもの。
しかし、恐れず怯まず堂々とけっして歩みを止めることなく、前へ前へ進んでいきたいと思います。
事業であればその評価はライバルではなく、お客様がしてくれるものですから。
「お客様が喜んでいただけるものを」そこから絶対離れないようにしていきたい。


そんなとき、そんなタイミングでこんな素晴らしい言葉に出会うことができる。
私はなんて恵まれていて、運がいいのだろうと思います。
感謝を込めて。
努力の方向
自分の“したいこと”“情熱を傾けたいこと”すなわち努力するべきことに迷ったりすることがあります。

そんなときは妻と話し合います。
今日もそのことで話し合いました。

話し合っていると、自分の意見がまとまってきたり、妻からもそれはよし、だめということを言われます。
今日も「ここから10年が勝負だよ」という言葉にはほんとに納得させられました。
本当にありがたい存在です。


「どんなに素晴らしいエンジンを積んだ車でも、走っている先が崖であれば意味がない」
そんなことをいつも思います。

努力をするのは当然ですが、その努力の方向を間違えないようにしたいなと思います。
それが事業であれば、けっこう取り返しがつかないことになりかねませんし。

今はまず雌伏の時期。(これは本当にいろいろな方や場面で言っていただけます。ありがたいです)
来るべき新たな展開に向けて、会社や事業の足場を固めることに専念していきたいと思います。

自分の組織のなかで、やるべきこと、やらねばならないことがたくさんありました。
専念すべきものが見えてきました。
いろいろな見方
先日、リーダークラスのある社員から退職の申し出がありました。
その社員はまだリーダーになって1年ほどの方、前職の職場から復帰依頼があったとのこと。

これからが期待!というときだったため、とてもショックでした。
(社員からの退職の申し出を聞くというのは、何度経験してもつらいものです)

ここでいろいろな現実的な対策が必要となりますので、その対応をここ二週間ほどしていました。
その方が担ってくれていた役割をどうするか、人員の配置(異動・採用)のことなど。

先日異動の内示を行い、今日新しくリーダーに指名した方と面談をしました。
さらに新採用の面接も行い、とてもよい方を採用できそうです。

新リーダーと話していて、「精一杯がんばります!」などとても前向きな言葉を聞けたとき、その現リーダー社員が退職してくれなければ、この方のこの言葉は聞くことはできなかったな~そしてこの方にもそのチャンスは巡ってこなかったかもな~と思います。
さらに今日面接して採用することにした新入社員にも会うことはなかったでしょう。

ある一つのタイミング、その瞬間だけを切り取って“不幸”“ショック”ということもできますが、それを別の見方やタイミングでみたら、“機会”“チャンス”ということにもなるのだよな~と、しみじみ思います。


いつでもどんなことでも起こることから逃げず、いい機会として前向きに受け止められるようになりたいです。

今日はいろいろなことが重なりとてもバタバタした一日でしたが、新しいご縁ややる気に満ちた方の言葉も聞け、とても充実した一日でもありました。
人との距離感
人との出会い・ご縁はとてもありがたいものです。

そんなご縁を得て、出会った人との距離感もまた大切なのだと改めて思います。

そんなことを考えさせられる機会がありました。

誰かの負担になるほど近すぎたり、逆に存在を感じられなくなるほど遠くなったり、いろいろな距離感があるかと思いますが、やはり自分と相手が一番心地いいと感じられる距離感を保つということがとても大切なんだなぁと実感しました。

距離感を間違えたなということがあれば真摯に反省して、また今後の人間関係に活かそうと思います。

ここ最近、たくさんの方とお会いすることがありましたので、そんな距離感について考えさせられる機会をいただけてよかったと思います。
ここ数日のブログ
ここ数日のブログは、最近あった出来事を自分なりに消化するため、まとめようと思って書いたものでした。
妻とともに、いろいろな思いに晒されて自分なりの答えを考えていました。

自分にとっても“受け入れる”ということはけっこう大変なことです。

ですが、経験すること、起こること、それらすべてに必ず意味はあると思って生きているので、その経験(ここ数日ブログで書いたこと)にも意味や価値があるのだと思います。

その意味や価値を見つけたり、解釈したり、決めるのも最終的には自分ですしね。
だから自分たちが“それでよかった”と思えばそれでいいじゃないかと思います。

見返りとかご褒美とかそんなことをどうでもいいし、虚無感や寂寥感にさいなまれることもないと思うのです。

ただ、ちょっと疲労しましたね。
そしてもう少し時間かかりそうですけどね。
与えられるものではなく、感じるもの
「あなたは私にないものを持っている。だから私よりはマシ」
「これまで仕事をしてきて、私は全く報われない、ご褒美なんてない」

そんな言葉があります。

人はみなそれぞれが乗り越えるべき課題という悩みや苦しみをもっていて、そこに上下も貴賤も優劣もないのにな~と思います。
うらやましがるのもねたむのも憧れるのも自由ですが、“持っているなら持っているだけの”“無いなら無いなりの”悩みや大変さがあります。

そして幸せを待ちつづけているうちは、幸せはおそらくやってこないでしょう。
(そもそも現在の有り様はその本人がそう選択してきた結果でもあるのでしょうし)

幸せは与えられるもの、向こうからやってくるもの、ではなく自らが感じるものだと思っています。
そう感じられれば、いつでもどこでもどんな状況でも、幸せはおとずれるもの。

いつだって幸せになれる。

今日は空も快晴で、ツバメが会社のまわりを飛び回って、その鳴き声を一日中聞かせてくれました。さらにそのうちの一羽が建物内に迷って入ってきてしまいました。(会社にはツバメの巣が10個くらいあります)
私はそれだけでとても幸せな気持ちになります。
ツバメが飛び回って鳴き声を聞きながら仕事ができるって最高だよな!と思います。

どんなことでも、それをどう見るか、どう感じるか、それによってやっぱり世界は変わります。

“ご褒美なんてない”“何も報われない”のではなく、もしかしたらそれに気づいてないだけかもしれません。

目の前に、今見えるものをそう感じられる感性さえあれば、そのまわりに見える風景はきっと違うものになると思っています。


自分もいつだってどんなことだって、ポジティブに世界や出来事を解釈していたいなと思います。
といっても、今週はまた苦手な予定が控えてまして、やっぱり緊張しているんですけど・・・。
積み重ねこそが未来
「私がやりたいことはもっとレベルの高いことで、こんな雑務に追われる毎日に意味を見出せない」という言葉があります。

それって、「私が打ちたいのはホームランなのだから、素振りなんてしていられない」って言っているようなものだよな~と思います。

目の前にあることの積み重ねこそが未来なのだと思います。
その積み重ねでしか、望んだ未来はないとも思います。

そうなっていたいと憧れる自分と今の自分に落差があれば、それを埋めていく唯一の方法は、今目の前のことに全身全霊を傾けること。
それしかないのではないでしょうか。

ホームランという結果そのものも素晴らしいと思います。
しかし、そこに至るまでのプロセスが、そのホームランに垣間見ることができるから、人は感動し憧れるんじゃないかと思います。
そのプロセスを経てきているから、その人自身にも自信と風格が備わり、その言葉その雰囲気に説得力・存在感が纏うのではないかと思います。


最近は、そのプロセスこそ、もしかすると人生において一番価値のあるものなんじゃないかと思ったりしています。

俺も目の前のことをがんばろっと。
「望まないこと」=「悪いことではない」と“思ってしまう”
ある日突然信頼していた社員が辞めると言い出す。
これはできれば避けたかったことで、望まないことです。

ですが、往々にしてそんなことは起こります。
そうなると、その後任から新規採用から異動から等々、やらねばならないことが一瞬で山積みとなります。
ショックもあるなかでそれをこなしていくというのはけっこう大変です。

とても大変な事態は事態なのですが、これが会社にとって「悪いこと」かといえば、そうではなかったりします。
この社員が辞めることで新しい体制ができたり、また新しいご縁があったりします。
それによってまた思いがけない人の成長などいろいろな効果や結果が生まれたりします。

ですので、望まないこと=悪いことではないと思っています。
正確にはそう思ってしまうようにしているのです。

そんなふうに結局自分がその状況をどう解釈するかで世界は変わると思っています。
変えてしまえると思います。


そう解釈することを自分が決めたのだから、それでいいじゃんと。

まわりくどい言い方になってしまいましたが、「自分の見方が変われば世界はいつだって変わるのになぁ」と思うことがありまして、ちょっと主張したかったのです笑

その価値を誰が決めるのか、その世界をどう意味付けるのか、それは結局自分だけだと思うのです。

明日からまた一週間が始まります。
がんばろうっと。




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