日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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年度末
まだ31日まで2日ありますが、今日は実質的な年度末。

退職のご挨拶に来られる方もいらっしゃいました。
(またそれぞれのフィールドでがんばってほしいです)

私はまだ決まってない欠員が出ている職種の面接を今日も行い(どうやら決まりそうです)、新年度新体制の辞令のチェックなどこの時期にしかやらない仕事をやっていました。

来年度予算、事業計画、人事異動から昇給、昇格など、この時期にしかやらない仕事を一つ一つしていくことで、年度が切り替わることを実感します。

そして明けて来週月曜日は新しい辞令を社員たちへお配りします。
来年度もいろいろなことに真摯にあたり、チャレンジしていきたいと思います。


個人的には「休養をしっかり!そしてうまくとる!」というのがテーマです(といま決めた)。

ストレスに耐えられる身体と精神を!と思ってきたが、ここにきてその範疇を超えてるような気がする。鍛えることより、休養が大きな課題です。
なぜか、身体がどんどん弱くなっているような気がします・・・。
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上空から見える景色
だいたい月に一度ほど飛行機に乗る機会があります。

先日、機内から私の住む街を眼下に見ることがありました。
(地元の上空を通過したのでした)

普段そういう目線で地元を見ることはもちろんありません。
上空から見ると、「こんなものか」とその大きさがよくわかります。

大部分が田に囲まれた小さな町。
その小さな町を見ながら、いろいろと考えさせられました。

あんな狭いところで、いろいろな関係に煩わしさを感じる自分の小ささや、俯瞰してみる大切さとかを。

ついつい目の前のことにとらわれてしまうのですが、目線が変われば捉え方もまた変われるんですよね。
でもそれができないんです。

わざわざ空の上までいかなくても、常に自分のなかでいろいろな視点から考えられたらいいな~いつかそうなれたらな~と思います。

上空から見える景色にはほんと癒されます。
飛行機は楽しいな~
始めるために終わらせる
「縁を結ぶためには縁を終わらせなければなりません」
「始めるためには終わらせなければいけません」
私にとってとても印象に残っていていつも思い出す言葉の一つです。

今日はなんだかいろいろなことに“区切り”をつける日でした。
昨日のブログにも書いた社員の退職、ある大きな取引に絡んだ交渉の打ち切り、10年以上あった権利契約の終了など、父の代から続いてきたものも含めていろいろなことを終わらせてきました。

そういう話し合い自体とても厳しいタフなものとなりますし、いろいろな思いもたくさん受けました。(そりゃそうですね、いろいろな利害や思惑が絡んできますので)
ですが、私なりにきっちり誠意を尽くして終わらせるものは終わらせることができたと思います。

始まる・出発・スタートはその言葉自体はとても前向きな言葉ですが、やはりその前に卒業したり、終了させたりすることが必要で、かつその“終了”の意味が、成長やステップアップであるのか、それともそこから単に避けたり、逃避したりするものであるのか、その違いはとてつもなく大きいのだと思います。

そういう意味で、新しい段階に進むために「終わらせる・閉じる・断ち切る」というふうに区切ることは、とても重要なプロセスなんだと思っています。


さて、ここでいろいろ終わらせたことで、どんな影響があるのか、今後どういう展開となるのかわかりません。
ですが、また新たなご縁があったらな~、ご縁を引き寄せられたらな~と思っています。
月例会
昨日は月に一度の勉強会でした。
そこでお会いする皆さんとは、毎月再会するのがとても楽しみです。
一か月ぶりにお会いするとがらりと雰囲気が変わる方もいらっしゃり、人ってほんと変わるんだなぁとそのたびに思います。

上海に留学してきた方もいらしてましたが、以前お会いしたときより雰囲気が少し変わっていて、いろいろ経験されたのだなぁと思いました。上海にてぼったくられた話などはかなり笑わせていただきましたし。
「上海で何かあれば領事館を味方につけとくといいっすよ」という台詞はまさに経験の賜物ですね(笑)
そのお母様もいらしたのですが、いつも愛情に満ちていて本当に素敵な親子、家族だなぁと思います。

今回もいろいろなことを相談させていただき、また学ばせていただきました。
そしてさらに体のメンテナンスまでしていただきました。

普段「肩こり」なんて全然意識してませんでしたが、肩のこりや背骨のゆがみを治してもらうと、視界がひらくように目の前がすっきりしました。
いつも自分の体の声に全く耳を貸さないと妻から言われてましたが、どういうことかちょっとわかったように思います。
さらに帰り際に持たせていただいたおにぎりが本当においしく、妻と感動しながらいただきました。

毎月、本当にありがたく充実した時間です。
仕事をしていると、もういろいろなことが起こるのですが、そこにまた一つ一つ向かっていこうという力をもらえました。
また一ヶ月がんばりたいと思います。
それは看過できません
会社に勤めていたら、いろいろな人間関係があるかと思います。上司と部下、同僚、取引先など様々な人間関係や利害関係も複雑に絡みます。
そのなかで馬の合わない方もいたり、とても嫌な思いをすることはあると思います。

しかし、いくら嫌なことがあっても、腹が立つことがあっても、自分の職責を全うすることなく、その職場を離れその業務に支障をきたすようなことは絶対にやってはいけない。

そこには職場の人間関係だけではなく、お客様や取引先にまで迷惑をかけ、さらにその職業人としてのご自身の信用や人間性まで地に落としてしまいます。
それまで積み上げてきたものもすべて水泡に帰すようなものです。

今日出社すると、朝早く一人の社員が上司に注意されたことをきっかけに激高して「辞める!」と言い残し、職場内から帰ったと報告があった。(思春期の中学生みたいだ・・・)

仕事をしていたら、つらいときも悔しいときも腹が立つときもある。
が、大人として、責任ある仕事をしているものとして、その場をその感情にまかせて放棄することは許されません。
それは看過できません。
とりあえず、ご本人の希望通り辞めていただこうと思います。

その帰っていった社員とあとあと電話をすると、冷静さを取り戻していたようでしたが、その結論は変わることはありません。

やはり主張するなら主張するだけの場、ルール、方法があります。
その場とルールと方法はしっかり守らなければなりません。

その方が急にいなくなることによって、さらにその部署でいろいろなアクシデントが畳みかけてきていますが、社員とともに必ず乗り越えていきたいと思います。
その背中の迫力
仕事でも普段の生活でも、自分がやると決めたことに本気で向き合っている姿、一心に集中している姿は、それ自体が大きな感動と励ましを与えてくれるものだったりします。
そういう人たちのことをプロフェッショナルともいうのでしょう。

先日の春彼岸供養会でもそうでした。
その真剣に読経する背中、ご供養する姿から感動と同時にいろいろなことを感じました。

仕事をしていて、いろいろな思いを受けたり、かられたりすることがあります。
「そんなことして何になるの」「そこまでやる必要ない」「そんなことしてる人、他にいないよ」という、“セイレーンたちの誘惑”(笑)に絆されることもありますし、「何やってんだろう自分」「こんなことして何になる」と虚無に心が喰われそうになることも多々あります。

ですが、真剣に本気ですべてを賭すように集中するその背中の迫力は、それこそそんな誘惑も虚無も“どうでもいい”と思わせてくれるものでした。

自分のなかで執心していたものが霧散していく、ほどけるような感覚と、
うまく書けませんが、「そうか、それでよいのだな」という肯定感にも包まれました。


事業でも何でも一業を興した方にお会いすると、ここまでくるのにどれほどの苦労、煩悶、辛酸、孤独、挫折を積み重ねてきたのだろうと感じるときがあります。
そしてその方がもつ深淵さと優しさが、まわりにいる人たちにとって力となり憧れや希望となるのだなぁと思ったりもします。


先日お彼岸ではそんな背中を見ることができて、なんだかご褒美をもらったようにも思います。
行けてよかった。
お彼岸
会社をやっていると、例えば信用とかつながりなど無形のものも含めて、祖父や父のおかげだな~これもまた遺してくれたものだよな~と思うことが多々あります。

こんなふうに仕事をさせていたいて糧を得られるのも、自分たちを育ててもらったのも、そもそも今の自分がここに存在するのも、両親やそのまた両親たちがいてくれたおかげ。

それは時代をさかのぼり数世代前となっていき、直接会うことも身近に感じることもなかなか難しくなったとしても、変わらないものだと思っています。

「いま自分がここにいる」
そのこと自体ずっとずっと続いてきたことの証しなんでしょう(まぁ、いろいろな人がいたのでしょうけど・・・)。

私は亡くなった父をはじめ祖父や家族から、神様や仏様、ご先祖様を敬い感謝することの大切さを小さい頃から教えられ、その手を合わせる姿を見てきました。
今、育ってきたことを俯瞰してみれるようになって、そういう環境であったことはとてもありがたいことだったな~と感謝しています。

昨日はお彼岸でした。
そして自分のなかで“そうする”と決めていた約束の日でもありました。

私なりにご先祖様を想い、ご供養させていただきました。
ご導師様やそのお弟子様たちの力強く心地よい読経のなかで、私自身が主体となりまた媒介となるようなイメージでした。

ご先祖様たちにつながっているのか、届いているのか、これでよいのか、どう思っているのか、それらを確認することはできませんが、しっかりとご供養させていただけたと思っています。

「お彼岸だから」ということもないのですが、一つの区切りをつける機会として「お彼岸」をこれからも大切にしたいなと思います。


言葉の力
仕事柄、人前で話す機会がたくさんあります。

先日も結婚式でのスピーチ(仕事関係ないです)、またある経営者団体でのスピーチ、そして業務の申し送りや社員たちへ自分の思いや方針を伝えることなど、日常的に人前でお話してます。

ですがそのたびに伝えたいことが伝わっているのだろうか、言いたいことをちゃんと話せているのだろうかと、不安と後悔の念にかられます。

別に高尚なことや大それたことを言うつもりもないのですが、会社の方針でも意思でも人を育てるにも言わないと伝わらないので、やはり言うべきときには言わねばなりません。ので言うのですが、その話し方その内容でよかったのかといつも考えてしまいます。

さらに「話したいこと」と「話していること」は一致しているつもりでも、実際はそうじゃないときもたくさんあったり・・・感情がのってしまうと、ずれていったり(特に怒っているときなどはだめですね)・・・。

何よりまだまだ発する言葉そのものの力が弱いなと感じます。

人前で話すときの重要な要素って、度胸とか明確な主題とか話し方、わかりやすさ、話の組み立て・構成などたくさんあります。
ですが、やはり一番重要なことはその人が発する言葉の説得性・納得性なんだと思います。

言行不一致な人の話など誰も聞いてくれないのと同じで、それはやはりその人がどういう経験をもってどんなふうに生きてきたのか、それらがその発する言葉にはっきり現れてくるのでしょう。

話す言葉とその人自身の生き方が一致するとき、最高の納得性をもつではないかと思います。

「言葉の力」=「その人自身の生き様」
そのことを肝に銘じながら、またお話していきたいと思っています。
見極めて
いろんなトラブルが起きたとき、思いもよらないことが起きたとき、やはりいろいろなことを考えます。

考えていることが、何をすべきか、どう対処すべきかであればいいのですが、そんなことから離れていって・・・
こうなったらどうしよう?
まわりからこう言われる(思われる)んじゃないか?
などということを考え始めると、事態がより一層複雑になったり、うまく解決しなかったりします。そしてさらに不安になったり懊悩したりして・・・。

本当に大切なこと、重要なことって何なのか。
そこはもう起きたことにどう対処して、そこから何を学ぶかなんでしょう。

そこを間違えず、しっかり見極めて集中する。

自戒をこめて、もう一度再確認したいと思います。
まわりからどう言われるか、思われるかなんて、ほんとつまらないプライドだよなって思います。
が、そのわりに自分の課題なんですよね~。

がんばろ~
その怒りの背景
今日会社にいくと、社員たちから突然謝られた。

どういうことかわからず、事情をきくと、「このようなときはこうしましょう」という社内の方針(抽象的で申し訳ないです)があるのだが、朝それをやらねばならない状況があったにもかかわず(連絡の行き違いもあって)ある部署がやらなかったのだ。

そのことを普段滅多に感情を表にださない統括マネジャーが、かなり強く怒ったとのこと。
そのことで謝ってきたのだった。
その怒り方には私も驚いた。

その部下にあたるマネジャーも「20年近い付き合いになりますが、あんな怒ったのは初めてで驚きました」と言っていた。他の社員たちも同様であった。

それらの話を聞いて、怒った意図と背景を汲んだ。

ここ最近社員たちにいろいろとミスが続いていたのと、自分の目の前の仕事さえやれればそれでいい。そして他部署のことは知らない、あの部署はあの部署という雰囲気が広がっているのではないかということへの危機感があった。

会社の規模が大きくなれば大きくなるほど、仕事の内容もやはり専門性をもったものに特化していかざるえない。
それは仕方がないが、それと引き替えにセクト主義みたいなものが広がっていく。

その対応をどうすべきか話し合っているところでもあった。

統括マネジャーの怒りはそれだけ真剣に仕事にあたっていること、そして社員たちへ期待していることの裏返し。

私は統括マネジャーのことを絶対的に信頼しているし、絶対的な味方だ。
その気持ちが私にも伝わってくるし、社員たちにも伝わっている。

怒ったきっかけよりもその怒りの背景について、今日午後社員たちを招集してお話した。
部下であるマネジャーも「私に責任があります。少し甘かったかもしれません。きっちり現場を引き締めます。」と話してくれた。

真剣に仕事をしてくれ、さらにその裏返しの怒りの意味を理解できる社員もいる。
いい社員をもったと思う。

その怒りもその状態もそれらすべて私の力不足。
そのことを肝に銘じて、また心新たに積み上げていきたい。
自分の気持ちと相手の気持ち
自分のなかでは、相手にこうすることで喜んでもらえると思うこと。
もしくは自分のなかで相手の世界はこうなんだろうと考えたりすることがあります。

そういう「期待」とか「思いやり」(という思い込み)をもって接して、相手は全然そう思ってはいなかったということが多々あります。そしてそれを裏切られたなどと思ったりします。「これまで面倒みてきたのに」「いろいろな意味で配慮してきたのに」などなど。

その行為そのものもやさしさだともいえますが、その前提となっている“思い込み”そのものが余計なお世話だったということかもしれません。
(お腹いっぱいな自分に好意としてこれ食べてと言われても、ありがたくてもやっぱり困ってしまうかもしれません)

だけどもしやるなら(やらなければならない状況なら)ちゃんと相手が求めているものをしっかり見極めながら、こちらが負担にならない範囲でやるしかないのでしょう。

さらにやった行為をどう解釈するかは相手の自由、ありがたいと思ってくれたら嬉しいのですが、そうでなかったときも相手を恨まず後悔せず見返りなどもちろん求めず、私にとってやれることをやったと胸を張っているだけでいいかなと思います。

それができなければ何もしないほうがいいですし。

会社のなかでは、社員へ何も関わらないということができなかったりします。まわりの社員たちへも影響しますし。そうでなければ辞めてもらうしかなくなってしまいますし。

いつも読ませていただいているブログに、「相手を理解するにも、観察するにも、心理的な距離をしっかり保っておける自分の「強さ」が絶対に必要」というのがありました。
ほんとそうだよなと思います。虚無感に浸ったりするときは、だいたいその距離がうまくとれてなかったときだったりします。

そういう意味でさらに強くなりたいなぁと思っています。
がんばってほしいな
今日は年度末の飲み会がありました。

今年度もいろいろなことがありましたが、無事期末を迎えようとしています。
今日は年度末の飲み会がありました。社員たちの親睦会主催の恒例の飲み会です。

その飲み会に、今年度の労いと感謝を込めて出席させていただきました。

そして社員の皆さんのところへまわっていると、今度ある部署のサブリーダーに異動してもらう社員から「異動の話をされてから、緊張とプレッシャーで眠れないんです」と言われました(深刻な感じではなかったです)。

その社員の今度のポジションは思いっきり“数字”という結果がつきつけられるところ。
これまでの仕事(決められたことをしっかりこなす業務中心)とは全く違い、勝手もわからずそのプレッシャーも相当なものでしょう。

それを聞いて、「つらいだろうな、だけどそこは乗り越えてほしいな」と思います。

リーダーとして部下をまとめたり、売り上げや稼働率へコミットメントしたり、お客様からの要望やときに苦情への対応など、それまでやったことのない、かつ非常にタフな仕事や役割などをこなすこととなり未知の領域に踏み込みのですから、ストレスや不安は当然相当なものがかかってくるのでしょう。

私も全く同じです。

ですが、そのプレッシャーを一つ一つ乗り越えることを「成長」というのではないかと思います。

「成長」したいという意欲は強くもっている方(そこは本当に素晴らしい)。
なんとか乗り越えていってほしい、打ち克ってほしいと心から思います。
事業を続けるって
ここ最近、来年度予算および事業計画の作成に入っています。
頭のなかはいろいろな数字がひしめき合っていました。

自分のなかでもここで来年の数字観を醸成します。
さらにその2年から3年先の展開も視野に入れます。
どんな事業の計画にも、キャッシュという裏付けが必須です。それがなければ妄想にすぎません。

今日読ませていただいたSBIの北尾さんのブログにありましたが、会社が10年後も存続しているのは100社に6.3社だそうです。
さらに20年後生き残っているのは、1000社に3社の割合だそうです。

このことからもわかるとおり、会社を存続させることが一番難しく、そして存続させること(潰さないこと)こそが経営者の最大の責務だと思っています。

私のまわりでもそういう栄枯盛衰というものをたくさん見てきました。
一時は飛ぶ鳥を落とす勢いがある会社や人たちが、みるみる凋落していく、破綻していくという現実を目の当たりすることもたくさんありました。
そうなるにはいろいろな理由があるかと思いますが、ある日突然天変地異が起こりだめになったということはほとんど聞きません。
やはり凋落するにはするだけの理由があるものだと思います。

また存続する・発展する会社でも、「ある日とんでもない幸運が降ってきた」ということもほとんど聞きません。
時流にのれた、波にのれたというのも、それなりの理由があるものだと思います。

予算はあくまでも来年の予算ですが、そこからつながる会社の将来や展開ということもいろいろ考えさせられています。

それは自分がどう生きたいか、家族とどう生きていくか、そんなことまでつながってくることかもしれません。
未来はわかりません。ですが今この瞬間が未来を創っていることは忘れないようにしたいなと思います。
結婚式
友人の結婚式に参列させていただきました。
高校時代からの付き合いで、本当に仲良く、そして尊敬している友人です。

彼がいなければ、今の自分はなかったのではないかと思います。
本当にたくさんの時間を共有して、いろいろなことを教えてもらいました。
もの静かで素直でどこまでもやさしいが、芯は一本筋の通った男。

披露宴や二次会、三次会もそのお二人のやさしい人柄に溢れた素晴らしいものでした。

そこで友人代表スピーチをすることになっていたのですが、彼のスピーチだと思えば悩みに悩みました。
これほど悩みに悩み、思いを込めたスピーチはこの後にもないかもしれません。
考えていてもいろいろな思い出やそのときの感情がよみがえってきました(それは楽しい時間でもありました)。

今も結婚式というお二人にとっての特別な日に立ち会い、同じ時間を共有させたいただいた喜びに浸っています。


最近、一日一日すべてがいろいろな方にとっての特別な日なんだとよく思います。
結婚する方もいる、お亡くなりになる方もいる、毎日誰かにとってはなにかしらの節目の日だったりします。そして突然“何かが”起こることもあります

結婚式を挙げた日は震災からちょうど2年後。
あの震災直後、いろいろな対応に追われながらもその友人と連絡がとろうとしていたがつながらず、「公衆電話であまり話せないが、とりあえず無事だから」と翌日連絡があったときの安堵感は忘れられません。

あの日からちょうど2年後にその友人が結婚式を挙げるなど、そしてその結婚式を私たちも夫婦で祝福しているなど想像できませんでした。
(そのことだけでも天に感謝したいという衝動にかられます)

どんな日でもどんなことがあってもどんな状態であっても、一日一日をまずはしっかりと生き抜いていく。
その積み重ねがときどきご褒美のようなご縁や時間、特別な日を与えてくれるものだと、その二人を見ていてしみじみ思います。

本当に感慨深い感動的な一日でした。
そして素晴らしいお二人でした。どうかお幸せに!
理解者
大概の方は、理解できないことに直面すると、理解しようとすることも止めて、全否定にかかる。
「危ない、やめたほうがいい」「それって結局こうなんでしょ」「あなたのためを思って言っている」とか言う。

今日はちょっと虚無感と闘ってきました。

「人の行く裏に道あり花の山」は相場の格言ですが、事業でも勉強でも同じだと思います。
しかし、それは孤独でもあるということ(孤独だからこそ花の山でもあるのですが)。

もともと群れるのも、右に倣えも好きではありません。天の邪鬼で構いません。
ですので、こういうことには慣れているのですが、ちょっときつかったです。
期待値が高かったせいでしょう。まだまだ甘いです。

自分は(理解を止めて全否定など)しないようにしよう。
よくわからない事柄だけど、まずはなんでそうなるんだろう?と理解してみようという人でいたいなと思います。
それで新しい世界が拓けるかもしれませんし。そもそもそうでなければ拓けないでしょうし。

それにしても、いまは妻という理解者がいてくれて本当によかったと思います。
味方がいる心強さは何ごとにも代えがたいものです。
一日一日
「10年後のお肌と健康は、今食べているお食事が作っているのです」
このブログにあった言葉です。(技術もお人柄も素晴らしいセラピストさんです。お腹まわりのことでアドバイスいただいたりしています。)

「ほんとそうだよな~未来を作っているのは、今この瞬間なんだよな~」とあらためて気づかせてくれました。


昨日退職を撤回した方がやはり退職することになりそうです。
この5年プライベートでもいろいろあって、こちらのほうでもできるだけの配慮をしてきた方でしたが、最終的にやはりこうなるしかなかったみたいです。

目の前に道があっても、手をさしのべられていても、そこを自らが歩まなければ、自らが手をとらなければ、何も起こりませんし、何も変わりません。
今この瞬間が未来につながっているのに、今の状況を悲観していたら、この先何をしてもどこにいても悲観し続けてしまうんじゃないでしょか。
(そんな恨み節みたいなことを言いたくなります。まだ自分も甘いですね。)

自分がいまいる世界、見えている世界、それを創りだしているのは、自分の心であり、自分の言葉なのだとあらためて思います。
ポジティブな心持ちや言葉はポジティブな現実を創るのでしょう。
ポジティブな現実があるのではなく、その現実をポジティブと解釈する自分がいるだけです。

将来どうなるかは誰だってわかりません、いろいろな不安にかられることもあります。

だからこそ今一日一日やれることを精一杯やっていく。
それをちょっとずつでも積み上げていく。
そして夜帰ったら、今日もいろいろあったけど無事過ごせてよかった~と感謝する。

そんなふうに思えたら楽になれるのにな~。
もっと楽に鷹揚に生きてくれることを静かに願いながら袂を分かちます。

私も現実的なところでは、すでに頭を切り換えて、「ではどうするか」「代わりをどうするか」そちらのほうへ思考も行動もシフトしました。現場を混乱させるわけにはいきません。

とりあえず私がやれることを精一杯やりました。
それでいいじゃないかとここでも思います。
伝わってよかった
今日退職を申し出てきた社員がいました。
異動の話をしたときの表情、あと本人のプライベートでもいろいろなことがあってかなり大変な状況でもある方でしたので予想していたのですが、その通りになりました。

私は“去る者は追わず”ですので、慰留することはあまりないのですが、今回その申し出を聞いていて、思うところがあり慰留しました。
結果、その方は退職を撤回することになりました。

今回の話を聞いていて、やはり私も含めて人間って自分の見たいものしか見ないし、見たいようにしか見えないのだなぁということを強く感じます。

自分が今ある状況や環境をつらく大変なものだと思ってえば、やはりそういうふうにしか見えなくなるのでしょう。

異動先のマネジャーからは「ロッカーと玄関の鍵を開けて待ってます笑」と言われ、安定した収入を得られる職場もあり、その方自身の能力を高く評価している人もいる。

しかし、ネガティブな心持ちにとらわれていると、そういうふうには考えられない・そういう側面は見えなくなります。(自分もそういうところはたくさんあるので、あまり偉そうには言えません)

自分にふりかかる望ましくない現実や問題はできれば避けたいとは思いますが起きるときは起きてしまいます。それは大変なストレスや不安として襲ってくるでしょう。
しかし、それらはすべて糧や経験と成り得るもの。
その経験があるから人の気持ちがわかったり、視野を広く持つこともできます。

そんなふうに慰留したとしても、そして今の自分の状況を受け入れられるかどうかは本人しだい。
もっと言えば、その人はその人自身の力でしか変わることができない。
変わることを強制することなどできない、ただその機会や見方を提案することしかできません。

だけど、そういう気持ちが伝わってよかった。
どんな人でも必要とする人は必ずいるし、愛されてない人もいないんです。
スピーチ
来週日曜(10日)に友人の結婚式があります。
そこで友人代表のスピーチをさせていただくことになっています。

本当に尊敬できる仲の良い友人ですので、スピーチすることはとてもうれしくありがたいことです。

昔は人前で話すことなどとんでもないと思っていましたが、役割上そして必要上、人前で話さなければならない機会がたくさんありますのでいいかげん慣れてきて臆するようなことはなくなりました。 (といっても緊張することはするんですけど)

今日も何を話そうか、いろいろ考えていたのですが、その友人とは本当にたくさん思い出・エピソードがありますので、それだけでも楽しくなりテンションが上がります。

ところが、さらに今週木曜にも所属している経営者団体の例会で、私がスピーチすることになっていました。

会員が持ち回りで行うスピーチ、しかもけっこうな割合でゲストがきてくれるので、年に2回くらいしかまわってきません。
なのに、なぜこうも同じタイミングで重なるのか、しかも結婚式のスピーチだと使いまわしもできずつぶしもききません笑

テーマは自由で何でもいいんですが、皆さんほぼ60歳以上の社長さんで一家言持っていますので、やはりそれなりのことを話さなければなりません。
これもいろいろな意味でいい機会なんですが、結婚式スピーチと違って全然テンションが上がりません。

どちらも「何を話そう」と同じことしているのに、これほどテンションに違いがでるとは・・・。
自分もまだまだ甘いです。

まぁ、とにかくどちらもがんばります。
たくさんの支えがあって
3月がスタートしました。
突然ですが、今年の年明けからダイエットをしていました。

1月6日から始めたので、今日で54日目です。
体重は90.7kgから83.6kgへ-7.1kgとなりました。目標は70kg台です。
体脂肪率も27%から24.1%
また今回のダイエットでは、筋肉量を減らさないように痩せるということを意識していましたが、それもまずまずの結果で推移しています。

途中体調を崩してしまい(ダイエットとは関係なく)、一気に減ったりまた戻ったりするアクシデントもありましたが、ここまでなんとか目標に近づくことができました。

この約2ヶ月、カロリーコントロールしながらも、仕事も空手もしっかりやることができるほど健康で元気に過ごせたのは、食事はもとよりいろいろなことでサポートしてくれている妻をはじめ家族のおかげです。
そしてまたいつも勉強会でお世話になっている皆さんからも、温かい多くのアドバイスをいただけたからだと思います。

3月となり一つの区切りを迎え、たくさんの支えがあって自分の意志を通すことができたのだとしみじみ思いました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
本当にありがとうございます。

あと4kgほど、もう一回り体のサイズを減らしたいと思っています。




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