日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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自分で限界を決めなくても・・・
何か新しい世界に踏み出すことはとても勇気がいります。
見たことのない世界、やったことのないこと、そういうことに挑戦するのはとても怖いことだったりします。

私も先日の空手の出稽古でもそうでした。
全く知らない初めての場所、初めてお会いする方たち、そして稽古についていけるのかという不安、始まる前はそんなことを考えては、緊張してお腹もゆるくなりました(笑)

それはなんだってそうだと思います。

新しい事業をやろうとすれば、人も雇いますし、大きなお金もかかります。
それはもうなかなか眠れなくなるほどのプレッシャーです。さらにできたとしても、至らないこと、おしかりを受けることも多くなります。様々なリスクも増え、心配も増えストレスも溜まります。そもそも事業を継続していく大変さは、その事業をしている限り続きます。(世の中の社長さんはみんなそうだと思います)

だったら、やらなければいいじゃないかと思います(実際そう思うときもときどきあります)が、その事業にチャレンジしなかったら、今ご縁があって仲間になった社員たちに出会うこともなければ、なにより私たちを選んでいただき喜んでいただける(私たちの商品なりサービスなりを買ってくださる)お客様もいなかったとも思います。

先日の空手でも、師範をはじめとした道場の皆さんとのご縁も、普段とは全然違う稽古も経験できなかったのでしょうし。

私はそれらの経験や思い出こそ、生きていく上での最高の宝なんじゃないかと思います。
それはやはり不安や心労を重ねながらも、チャレンジしたからこそ得られるものでしょう。

「こんなことやってみよう」とか「こうしたい!」と思っても実現するかしないかは分かりません
(やる前に「これは無理だ」となって諦めたということも当然あります)。
ですが「無理」「できない」と思ってしまえば、絶対にできないし、そうならないということは確かです。

だから自分でその限界を決めなくても、自分で自分の力や可能性を制限しなくてもいいのにな~と思います。
どこまでやれるか、どこまでいけるかはやってみなくちゃわからない。
(かく言う私も「自分には無理だ~」というふうに思うときもたくさんあるんですが)

不安で不安でたまらなくなるときも、八方塞がりになってわんわん泣いてしまうときもありますが、やれるところまでやってみようと思っています。なんだって。
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隠そうとしても見えてくるもの
研究室時代、学生たちの試験監督のバイトをやったことがありました。
初めてそのバイトをやってみて、お~!と驚いたことがありました。

それはカンニングなどをしている学生たちがモロバレだったこと。
カンニングなどはコソコソとばれないようにやるものですが、それでも前から見てると丸分かり、さらにそのコソコソがまた妙な動きになっていたりして、やっぱり丸分かり。

もうちょっとばれないようにうまくやれよ~と思ったことを覚えています。

それと同じように、会社でも、取引先でも、様々な人間関係でも、隠そうとしても見えてくるものがたくさんあります。

・私の前と他の社員で態度が違う社員
・上司や先輩などで態度や接し方を使い分けている社員
・一生懸命やっているようにふるまっているだけの社員
・なにかしらの計算や意図(例えが書きづらい・・・)をもって勤めている社員

そんなふうにふるまっているつもりもないと思うのですが、いろいろなところでちらほら目につきます。
ばれちゃってます。

以前であれば、そういうことにとても悩み、いちいち怒っていました。
潔癖で理想主義みたいなところがあって、“こうあらねば”“こうあるべきだ”なんて綺麗事をまわりに押しつけてたように思います。

しかし、今はそういうことをうまく受け流したり、気づいたとしても相手の意図や態度にあえてそのまま乗ることで、仕事や人間関係がうまくまわれば、それでいいんじゃないかと思うようになりました。

相手のことをコントロールすることよりも、自分をコントロールするほうがはるかに楽です。
自分の立ち回り方を工夫するだけで、けっこう仕事や職場の人間関係もうまくいくんものです。そして自分の気持ちも乱れず冷静に対処できるようになりました。もちろん言うべきときにはビシッと言いますが。
(そういうふうになれたのは、たくさんの苦い経験とご縁のあった尊敬する方たちのおかげです)

そしてそれは会社同士のお付き合いでも同じこと。
会社同士であればいろいろな利害や思惑が絡んでくるから余計分かります。
逆にいえば、こちらの意図なんてものも見る人が見ればすぐ分かってしまいます。

会社でも人間関係でも、そのあたりのバランス感覚がけっこううまくなってきたかもと、今日ふと思いました。
さらに磨いていけたらいいなとも思います。
妻と話していたこと:願いを叶えたその先
さっきまで妻と話していたことを書いてみたいと思います。
願いを叶えたその先のこと。

私は昨年新規事業を立ち上げた。
それは何年も立ち上げたいと願っていたことだった。
そこにはいわゆるヒト・モノ・カネ・免許という様々な困難が待ち受けていた。

そこを一つずつクリアしていき、無事立ち上げたことでその願いが叶えることができた。

だけどそれでハッピーエンドには当然ならない。
いつも自分に言い聞かせていることだが、「私たちはプロセス(過程)のなかにいる」のだ。
大きな大きな流れのなかにいることを常に自覚しなければいけないと言い聞かせている。

だから事業をやる上で本当に大変で大切なことは起業・立ち上げることではなく、それを続けていくことだと思っている。
その立ち上げたときも「よし!できた!」と思ったのは一瞬で、「ようやくスタートラインに立てただけ、これからが本当の闘いなのだ」と冷静になろうと意識して努めていた。


私たちの身近にいま長年の願い(目標)が叶えられそうな人がいる。
それはとてもうれしいことだし、本当によかったと思う。

しかし、私は諸手を挙げてとまではいかなかった。
なぜなら、その願いが叶ったあと、いろいろな困難(様々な現実的な問題)の表面化を想像できたのだ。
(妻もそのことを無意識に感じていたようで、うれしいことなのになぜ素直に喜べないのだろうと思っていたのだった。そして二人でいろいろ話し合っているうちにそういうことなのだと分かったようだった。二人の感じることが一致した)

その願いに集中している間は、そんなことは表面化することはない。
しかし、それが叶うと・・・というより叶えたからこそ次の課題が表面化する。
(起業するという課題を超えると、継続するという課題が現われるように)

生きるということは大きな流れ(プロセス)のなかにいることだと思う。
そうである限り、そこで起こることのどれも一つの区切りでしかないのかもしれない。
流れであるからこそ、挫折を克服することができるだろうし、リベンジもできるともいえる。

だからこそ、視野を大きくする必要があるのだろうし、大きくする意味もここにあるように思う。

ちょっとまとまりませんが、そんなことを妻と話しながら考えていました。

空手の出稽古
先週土曜に妻と二人で、空手の出稽古にいってきました。
いつもいろいろなことでお世話になっているS先生ご夫婦のご紹介です。
(私が空手を始めたのもS先生から勧めて下さったのがきっかけです)

私たちが伺ったのは、東京都稲城市にある道場。

初めての体験で緊張もしましたし、私が所属している常心門少林流とは全然違うことに驚き戸惑いましたが、S先生ご夫婦、師範をはじめ道場の皆さんがとても温かく迎えてくださり、とても楽しく稽古することができました。

私の普段の稽古では型が中心で、スパーリングはあまりやったことないのですが、人を実際に殴ったり蹴ったりすることっていろいろな意味でほんと難しいなと思いましたし、「空手はボディコミュニケーションでもあるから、相手との距離感や間合いが分かるようになる」と言われていた意味が少し分かったようにも思います。

スパーリングをやっていると、その方がどんな方であるのかがとてもよくわかってきます。
道場の皆さんほんとやさしかった・・・。見た目とのギャップに戸惑います(笑)

空手をやっていると、体力はつきますし、仕事で溜まるストレスなどいろいろなものもすっきりと落ちますし、さらに礼儀や人との距離感、間合いなど人間関係にもとても役立つことを改めて実感しました。

これからも自分なりのペースで続けていこうと思っています。
妻もがんばりすぎたようで、今も筋肉痛に悲鳴をあげています(笑)

そしてまた時間がとれるときは伺いたいです。
本当にすばらしい体験をありがとうございました。

最後に私たちをホテルまで送っていただいたSさんにも改めてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
ここ最近シンクロする言葉
ここ最近いろいろなところで見かけたり聞いたりする言葉があります。

それが「王」という言葉。
読んでいる漫画でも、お聞きするお話のなかでも、私の身のまわりでこの言葉がやたらと目に入ってきます。

こんなふうにシンクロするときは必ず何かしらの意味あるのだと、私は思っています。
しかし、その意味までは教えてくれなかったりします。

結局どう解釈して昇華していくかは自分自身なのでしょう。
なんとなくこの言葉を見るたびに感じることはあるんですけど・・・ゆっくり考えてみたいと思います。

ここ最近の身近なシンクロでした。
インスピレーションと言い訳
何かの意志決定をするとき、すぐその場で決断や選択を下さねばならないことであればその場で決めます。

ですが、そうでないとき特に漠然としたこと・抽象的なことであればあるほど(今年の会社の方針は?今の組織での問題は?さらに利益を積み上げるには?現行のオペレーションでいいの?など)、さらに時間をかけねばならないこと(取引先との交渉など相手があること)はその望みへ到達するための戦術、妥協できる最低ラインまで含めて考え続けます。

それはもう考えが錯綜しまくり混乱しまくりで混沌とした頭(状態)になっています。よく移動中やデスクでもそんな状態でいるときがあります。
そしてそこで出す答えに自分が納得することはほとんどありません。
何か違う、他のやり方がまだあるなどと思っています。

そういう状態になるまでいくと、一端考えるのを止めて頭の片隅に置いておくようにします(自分ではそれを“寝かす”といっています)。忘れてしまうともいえるし、思考を止めるともいえるような、何とも表現しがたい状態。
とにかく意識的には考えないようにします。(“寝かす”ために一度はパンク寸前まで考えることが大切な気がする)

そうやって寝かしていると、ある日突然インスピレーションが一気に湧き上がってくるときがきます。それはもう水が湧いて溢れるように。

いろいろなことがつながり始め整理され、筋道がはっきりした結論がでてきたり、自分のなかで「これはいける!」という確信に変わったりします。

そのインスピレーションが湧き上がっているときは完全にまわりが見えなくなります。
そのインスピレーションをアウトプットしたいため、自分にこもっていろいろ書いたり、まとめたりします。
そのときはかなりピリピリしていて、まわりは大変な迷惑だろうと思う。


なぜこんなことを書いているかというと、その迷惑を被るのは妻だったり家族だったりする。

その申し訳ないという懺悔の気持ちも込めてちょっと書こうと思いました。
まぁ、言い訳ともいいます・・・。
反省
第三四半期も終わり、そろそろ今年度の(精度の高い)実績が見えてきた。

今予算の補正を行っているが、そのなかでかなり大きなミスがあった。
ある事業の当初予算の数字の桁を間違えている箇所があったのだ。

だいたいのイメージとしては、100万とあったものが実は1000万だったというもの・・・

このミスに気づかず、この予算の数字にていろいろなことを組み立て実行していたため、その事業が帳簿上、当初の計画と大きく乖離することになってしまった。

担当も青ざめていたが、私自身のチェックミスでもある。

経営するにあたり様々な“数字”は本当に大切なこと。
何かの意志決定をするときの前提となるものだし、“数字”の裏付けのないものは絶対にやらないことは基本中の基本だ。いろいろな意味で最重要の指標・尺度となるもの。

今回のことで会社全体に与える影響は軽微であるが、自分の立場では絶対にあってはならないことであり、特に稼働率や売上げなど収入面で目標にしていた実績を上げてくれそうな担当社員たちに申し訳ない気持ちで一杯だ。

何があってもどんな状況でも、会社に係る一切の責任は自分にある。

同じことを起こさない仕組みを作りたい。
そして自分の浅慮を反省し、あらゆることを想定しながら仕事に励んでいきたい。
忘れられない日
先日会社の新年会があり、その会のなかで昨年結婚した私たち夫婦のためにお祝い会をしてくださった。
幹事さんたちが中心となり企画してくれたのだった。

私たち夫婦への質問コーナー(「新婚さんいらっしゃい」風にやってくださいました)から記念品、自分たちの披露宴ではなかったウェディングケーキまで用意してくださり、ケーキカット・ファーストバイトまでさせていただいた(まさか自分たちが経験できるとは思ってもみなかった)。

さらに社員たちの顔と名前がまだ一致しない妻のために、社員全員の顔写真付きメッセージカードまでいただいた。約150名ほどいて、物理的に離れたところにいる社員たちの写真付カードを作り、メッセージ書いてもらい、さらに集めて一冊のアルバムにするのは本当に大変だったろうと思います。

それらの気持ち、心遣いが本当に嬉しくて感動しました。
そしてこれほどの感謝の気持ちをどう伝えたらよいのかわからないほど、感謝の気持ちで一杯になりました。

私たちにとって本当にご褒美みたいな夢のような時間で、忘れられない日となりました。
この素晴らしい社員、そして妻と共にまた一つずつ進んでいこうとあらためて誓いたいと思います。



余談ですが、
結婚式のDVDや私たち夫婦の様子を見た社員たちから、「あういうお茶目な一面もあるんですね」とか「お家ではけっこう普通なんですね」みたいなことをたくさん言われた(どんなイメージなんだ・・・)。

う~む、たしかに会社にいるときはスイッチが入ってバリバリ仕事モードになるんですけど・・・会社での振る舞い方、佇まい方、もうちょっと考えたほうがいいのかな、と反省してます。

そして質問コーナーでの「お互いに直してほしいところは?」という質問に対する妻の言葉。
肝に銘じます!
上司の思いと部下の思い
仕事をしていると、自分の意図と、相手の受け取り方の違いに悩むことがよくある。
上司は「成長してほしい」、「ミスしたことにはちゃんと反省してほしい」と思うからこそ、厳しく接する。
だけど部下からは単に厳しく怖い人というふうに思われているだけだったり。
そのことに上司は「なぜわかってくれない」などと落ち込んだりする。

私もマネジャーたちと話していると、「なぜそうとしか考えられないのか」「自分はちゃんと伝えたつもりなのに、全然そう思われてなかった」といって悩んでいるのを往々に見る。
部下たちに成長してほしいと思えば思うほど、その方への思い入れが強ければ強いほど、その溝は深くなっていったりして。

私も以前はそんなことで悩んだりしたこともありました。
でもいろいろなことがあって、気づいたことがありました。

社員たちはよほどひねくれてない、そして悪意のない限りは、自分がミスや失敗したことに自分なりに落ち込み反省している。
そういうとき上司からそのことをさらに叱責されても(愛情という裏付けがあっても)、だいたいは意欲をなくすほど落ち込むか反発するかのどちらかだったりする。自分はそうだ。

そこで奮起してがんばろうという部下は、ほとんどいない。

私はまずその結果に対しての部下の気持ちを確認する。
そうするとまずはその人なりの反省をしていることがわかる。もちろんその人それぞれによって反省度合いの違いはあったりする。だが、まずはそこに賭ける。

そしてそこを一つの経験・糧としてこれから活かそうということを伝える、鼓舞する、励ます問いってもいい(これはその人のタイプや年数、立場によって言い方や接し方はかなり変わる)。すると顔つき(というか目)が変わる。そしてあとは待つ。
(この“待つ”というのはかなり大変なことだったりする)

山本五十六の有名な言葉、
『やってみて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。』

これは真実なのだとつくづく思います。
ここまではなかなかできてませんが、目指したいところです。
直接伝える
仕事で社員たちに伝えたいことがあるとき、直接お話すること、顔をつき合わせることってとても大切だなと思います。
物理的に離れたところでも、重要なことはとにかく時間をつくって直接その場にいきます。
それだけでも取りかかりから結果まで全然変わってきます。

内容以外の部分、そのことにかける思いや情熱、意気込みなども同時に伝わっていきますから。
むしろそちらのほうがとても大切なのではないかと思うほどです。

直接伝えることは伝える側の本気度も晒すことになるので、取り繕うこともできません。
そしてその情熱をいかに伝播させられるか、相手の内側から湧き上がらせることができるかは、その経営者の力量の一つだと思います。

昨日(社内公募した)あるプロジェクトに自ら応募してきた社員たち(名乗りでたことも素晴らしい)、出勤してまだコートも脱がないうちから私のほうで呼び止めて、そのプロジェクトへの期待や内容をお話していました。すると聞いていた社員の一人が「なんか熱いす!」といってコートを脱ぎだした。

「お、熱が伝わったかな」と思った一コマでした。

情熱はその字のごとく熱を伴うものだと思います。
「よし!やってやろう!」と「やれと言われたからやろう」では全然違うように、人の感情・気持ちの力はとてつもなく大きい。

こちらの“気”が伝われば、ひとまずスタートとしては“良し”です。
やれることをやるだけ
以前は、何が起こるかわからないからその覚悟を常に持たねばと思っていました。

ですが、最近は「起きたときに最善のこと考え、できることをきっちりやっていこう、できることしかできないんだし」というふうに少しずつ変わってきたように思います。

自分がやると決めたことでも、突然起こってしまうことでも、まぁ素直に見て対応を決めて、着々とやっていくことしかできないよなと思います。

社員たちにも「“やれることは何か”ということさえしっかりと考えた上でやっていれば、それでいいよ。やれることしかやれないからね」と言っています。

これを“成長”というのか、“あきらめ”というのかわかりませんが、常に“エンジン全開”ということ、“全員に愛されることを目指す”ということは、なくなったように思います。

今、拡大する戦線(様々な施策や突発的なこと諸々)と、そこでの自分の望み、望まれる役割、それらを冷静に眺めることができるようになってきたのかな、と思っています。

自分の立ち位置や視野があきらかに変わってきたと感じる今、“やれることをちゃんとやるだけ”という視点は大切なのかもと思っています。
自分に返る
自分の役割の一つに社員たちを鼓舞すること、勇気づけることがあります。
何かの方針を考えたり、実行することだけでなく、まわりを巻き込んでいく、引っ張っていくことが必要です。

モチベーションを常に維持してもらうためにも、不調な部署を立ち直らせるためにも、具体的な“策”とともに、社員たちに奮起してもらう、情熱を呼び起こすことが必要です。
それだけでその部署や組織全体の雰囲気はガラリと変わります。

そのためには、
全身全霊をかけてその事業にあたっていること
その言葉に真実味が備わっていること。
そこに迷いや弱気を(持っていても)感じさせず、心から発していること。
普段から言行一致した姿勢を貫き続けること。
様々なところに気配り・目配りができていること。

そんなことが必要なのだと思います。(別に鼓舞することだけに必要ではないと思いますが・・・)
翻ってみれば、全部自分しだいということ、自分に返るということ。

自身が積み上げてきたことでしか、そういう言葉の重みは出すことができない。
その裏付けがなければ、人の心を揺り動かすことなどできない。

そのためにもちゃんと自分を律すること、コントロールすることが必要でしょう。
それは心身のメンテナンス、力を抜く、ゆるめる、休むということも含めて。

そしてそれらが苦手だということもあらためて思い知らされる。
やっぱり一番甘えられるところにそれがでてしまったりして。

そういう意味で自分に返る、自分を愛することって、自分にとって一番難しいことかもしれないな~と思います。
結婚式のムービー
来週、会社の新年会があります。
その新年会で私たちの結婚のお祝いしていただくコーナーを作ってくれることになりました。

昨年、結婚するにあたって披露宴や結婚式を親戚のみで行ったため、ある役員さんから「会社として何かやるべきだ」といわれ、今年の新年会でさせてもらうことにしました。
そこで新年会の幹事さんから、結婚式や披露宴の様子などをまとめたものを作ってほしいと依頼されたため、映像関係の仕事をしている弟にお願いしました。

その動画が昨日出来上がったとのことで、さっそく見させてもらいました。

それを妻と一緒に見ていて、なんともいえない気持ちになりました。(恥ずかしいというのもあります)
当日の様子、菩提寺住職様の祝辞、妻の両親へのお手紙、そしていろいろな方たちの後押しもあっての結婚であったこと、式と披露宴を挙げることができたこと。なにより楽しそうな私たち。
そんなことをあらためて思い出すことができました。

弟には「作りながら泣いちゃったよ」といわれました。
ほんとにありがたいなと思います。

今のこの気持ちをうまく表現する言葉が見つかりませんが、温かい気持ちに満たされました。
いつもそんな温かい気持ちのままでいれたらいいのですが、なかなか難しいときもあります。
いろいろなものにとらわれてしまったりして。

いま、この動画を繰り返し見ています。
踏み越えてでも進む
会社では年末年始に考えていた収益を改善するため、マネジャー層の充実を図るため、会社のブランドアップのための様々な施策をどんどん実行に移している。
今もオペレーションの変更とそれに伴い各部署との調整や人員の確保、取引先との価格交渉に入るための打ち合わせ、ネットへの対応など、いろいろなところへ指示を出し進捗状況をチェックしている。

それらはやってみるまで、うまくいくかわからない、どんなに考えていても、その意図通り進むことと進まないことがでてくる。だからつど調整しながら進めていく。しかも通常業務をやりながら。そしてやはり変わることそのものへの社員たちの抵抗もある。

何かを考えていたり、実行しようと思ったら、私はまわりが見えなくなるほど、集中する。
邪魔をするものをけっして許さないし、まわりとの軋轢も一切気にしないし、傷つけたとしても申し訳ないという謝罪の気持ちはあっても、後悔もない。そのあとに罪悪感と嫌悪感に苛まれることもあるが、それはそれだ。

例えが悪いが、進む方向で邪魔になるものをなぎ倒していくイメージといえるかもしれない。
漫画の「キングダム」や「蒼天航路」ではたくさんの合戦シーンがあるが、将軍が一人で何十人何百人の敵を斬り殺していくイメージといっていいかもしれない。味方が怪我をしても戦いに勝つためなら、見捨てていく。
そういうシーンがあるたびに、自分と重なってしまう。

私は甘っちょろく、意思もあまり強くないほうだ。
だから自分を奮い立たすため、そんなふうに考えている。

そこで恨まれることも、憎まれることも、妬まれることも全部自分に収めていこうといつの頃か思うようになった。
どんな決断にも一長一短があるように、そんなこと意図しなくても、やはり憎まれるような事態になることは往々にある。

今回のオペレーションの変更で、ある職種の仕事がなくなる。
その職種にいてくださった方は、もう何年もまじめに勤めてくださり、まわりの信頼も厚い方。その方は何も悪いこともしていない。しかし今回の変更に伴って、その職種自体がなくなってしまう。そこで別な職種への変更に承諾いただけなければ、もう去ってもらうしかない。(現在その方は別な仕事で残っていただく方向で調整中)

たとえそのようなことがあっても、それでも会社の将来や社員たちのことを考えれば変えねばならない。去ってもらうことに躊躇することはない。
何かをしようと思ったら、きれいごとだけではすまない。決断によって矛盾やジレンマとは常に闘わねばならない。

「自分の会社と社員を守るためなら、どんな犠牲も厭わない。」
稚拙で自分勝手、矛盾した言い方だということは重々承知しているが、それが今の私の考え方であり、役目であり、責任だと思っている。

私はまわりを傷つけてでも、踏み越えてでも、前に進む。


思えば会社に限らず私は何かをやろうとして、もしくは何かをやりたいと思ったとしても、それをすんなりと実行に移せることはあまりなかったように思う。そのことに対して“はい、どうぞ!”なんていうことはなかった。どんなことでも必ず(試練といえば聞こえはいいが、)いろいろなところから邪魔が入ってきた。それは家族からもそうであった。

そのため、自分は常に一人でいいし、一人でやると思ってきた。
自分を理解する者や味方などいなくてもいいと思ってきたし、いないとも思ってきた。

そんなことを思い出してました。
友人との再会
本当に親友と呼べる友人がいます。
その友人の実家へ、妻と一緒にいってきました。

そこでご両親にも久しぶりにご挨拶させていただいて、お母様が作ってくれた料理を食べながら、とても楽しい時間を過ごしました。

その実家も本人が住むところも、私の住むところからは遠く、さらにお互い忙しいので、なかなかこんなゆったりできる時間をとることができなくなってきたので、余計うれしく楽しかった。

こういう時間の貴重さ、ありがたさをつくづく感じる日々です。

その友人が転勤するたびに、その転勤先へ会いにいくというのが恒例でした。
ここ2年くらいはなかなか行けなくなってしまいましたが、そのおかげでいろいろなところへ行かせてもらいました。
また転勤があるようなので、今度こそぜひ行きたい。

さらに3月には結婚式が控えていて、光栄なことにその披露宴で友人代表スピーチをさせていただくことになりました。
何のことを話そうかと考えるのが、ここ最近の楽しみです。

ほんと楽しい時間だったな。
そして結婚式も楽しみだな~。
今年も“点”をつくろう
スティーブ・ジョブズのあの有名なスピーチに「点と点をつなげる」という話がでてきます。

以下邦訳一部抜粋
『将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。』

点と点をつなげる。
数ヶ月前にある本をお借りしました。それは仏教(密教)に関する本でした。
何気なく読み進めると、中論や唯識について書かれているのを読んで鳥肌が立ってしまいました。

もう10年以上前の学生時代に、この中論や唯識について勉強していたからであった。
その講義では、唯識とフッサールについて書かれた英語の論文をいくつか訳していた(すごい組み合わせだ…)。

当時和訳することよりも、唯識、特にアーラヤ識がもう意味不明で四苦八苦していたことも思い出した。

「やらなければならないからやる(やらねば単位がもらえない)。」
ただそれだけのことであったのに、それが今こうして、また勉強する機会に恵まれるなど想像もできなかった。
おかげでそのお借りした本の内容もすんなりと入ってくる。(理解しているかどうかとはまた別で・・・)

それが私の点と点がつながる体験。
他にもたくさんあったりします。

それは人にも、会社にも、どんなことにもいえると思う(ジョブズも言ってますしね)。
今やっていることが将来どうつながるかはわからない。

だけどいまここで書いたように、10年以上も経てつながるように、今やっていること、今身の回りにあること、今欲すること、それらの“点”には、なにかしら意味があるのだと信じてやっていこうと改めて思います。

その時点で、徒労に終わってもオーケー、無駄であってもオーケー、意味不明でもオーケー

年始にあたり、その“点”を今年もどんどん作っていこうと決意新たにしています。
今年もいただく言葉を大切にしながら
「私たちが生きていく、商売をする、ただそれだけですら誰かの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけない」
とても尊敬する方の言葉です。

最近その言葉の意味をずっと考えていました。
そこにはとても大きな意味があると思うのです。
そして考えれば考えるほど「そうだなぁ、その通りだなぁ」とも思います。

会社でいえば、私たちのサービスをご利用してくださるということは他の会社はその分収入が減るということ。
すべての社員が会社の考えを理解することはできず、折り合いがつかず辞めていく社員もたくさんいる。そこに悪意などなくても。

自分のなかで絶対にこれをやりたい(こうするべきだ)と思っても、そう思わない人、間違っているといってくる人はたくさんいる。
自分にとって正しいことは、他人にとって正しいことではない。

何かをやろうと思ったら、相容れない考え方の人や組織と闘わなければいけない。一人でやれることならいいけど、事業であれば一人は不可能だ)
自分にとっての“正しいこと(事業でもなんでも)”をやっているだけなのに、あらゆる邪魔やあらゆる悲観的な見方、そして恨みや妬みを浴びせられることもある。

それらを全部のみこむだけの「器」と、それでも自分の思いを押し通すだけの「強さ」をもちたいな~。
今よりさらに上の次元のやつを。

新年早々、職場へと向かう車のなかでそんなことを考えてました。

意識しても意識せずとも、いつもいろいろなところでたくさんの言葉をいただきます。

初詣のおみくじでも、
「桃桜、花とりどりに咲き出でて、風長閑なる庭の面哉(かぜのどかなるにわのおもかな)」という素晴らしい言葉をいただきました。もちろん大吉!

今年そうしていただく言葉を大切にしながら消化しながら感謝しながら過ごしていきたいと思います。

今年もどうかよろしくお願いします!




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