日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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今年もお世話になりました。
5年ほど前からその年の年末に「今年(翌年)の目標」というものを立てています。

年々いろいろ改善して、今年は
「仕事・経営」
「貯金・投資」
「運動・体調管理」
「起業・勉強」
という4つのセグメントに分けました。
さらにそのセグメントごとに5つから9つの具体的な目標を掲げています。

その具体的な目標の一つに、「今年はブログを始める、まずは一年続けてみる」というものがありました。
今こうしてその目標をしっかり果たすことができて、とてもうれしい。
とても理屈っぽいわかりにくい文章だと思いますが、こうして続けてこれたのも読んでくださっている皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
少しずつでももっともっとシンプルでわかりやすい短い文章を心がけていこうと思っています。
また来年はもっと端的に自分の気持ちや感情を表現することに挑戦していきたいです。
(それと同じ項目に「プレゼンする機会をもっと増やす」ということもありましたが、そちらも先日の司会(プレゼンじゃないけど)しかり多く機会をいただけました。感謝)

そして今年ほど立てた目標通りにはいかなかった大きな変化があった年もありませんでした。
ある意味数年続いてきた予定調和的な時間の流れ方が大きく変わりました。

まさか結婚するとは。
そして今こうして妻と一緒に暮らしているとは。
それらを考えてみても、たった一年前には想像すらしてこなかったことでした。
そして価値観も大きく変わりました。今年の目標に掲げていたことでも興味がなくなったものもあります。

さらになんといっても今年は本当に素晴らしい方たちとのご縁ができました。
それぞれの道を極めんとしようとしている方たちとのご縁が少しずつ深まっていくのがとてもうれしい。
その方たちとの交流に大いに刺激を受け、価値観も変わっているように思います。

そして昔からの今でも付き合いのある友人たちもそれぞれの道を歩んでいる。
そういう人たちがまわりにたくさんいることはそれだけで幸せなことだと思います。

そのなかで、いろいろなことがはっきりと見えてきました。大切な人、時間、ものがはっきりと。

生きてたらいろいろなことがありますが、それらすべてが素晴らしい機会なのだと信じて、自分が望むこと望まれること全部ひっくるめて、一つ一つ積み重ねていけたらいいなと思います。
それを繰り返した先にある未来はきっと素晴らしいものになっているはず!

今年も大変お世話になりました。
また来年もどうかよろしくお願い申し上げます。
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積み上げてきたことがまた一つ形に・・・
私が、幹部社員たちによく言う話に、「オペレーションに磨きをかけていこう」とよく言っています。

私の業界はある種様々な規制があります。
その規制によって守られている部分と足枷となっている部分があります。

その足枷となっているところが、各会社間の違いがわかりにくい、特徴が出しにくいということがあります。
様々な基準は全国共通なので、そこはある意味同じものにしなければならないのです。

だからこそ、私たちがそのサービスを提供する組織ややり方、すなわちオペレーション(業務体制)こそ私たちが最も重視するべきところであり、その積み重ねこそが私たちの強みであるとよく話します。

そしてそのことを実現するためには、「常に改善していくんだ!常に変わっていくんだ!」という社員の意識がなければいけません。
オペレーションに磨きをかけるということは、その状況によって変化していくことです。

ですから、私は社員全員の前では、
「変わっていくことを良しとしよう」
「今の時代、朝令暮改は悪い言葉ではない」
「お客様の嗜好やニーズは常に変化するのだから、その変化に私たちが適応していこう」
「変わることを当たり前の組織にしていこう」
ということを常に話しています。もうしつこいくらいに。

今回昨日のブログでも書いたとおり、ある職種そのものを廃止するため、会社のなかで大きなオペレーションの変更があります。
人の配置や就業時間からやり方まで大きく変わる。それは社員たちの生活習慣まで変わっていくこと。
(もちろん会社としても収益が改善することも狙っています)

3年ほど前にも同じような変更をしたことがあります。
そのとき社員たちの抵抗はとても厳しいものがありました。
やはり慣れた仕事のやり方、生活習慣が変わることへの不満と不安が渦巻いていました。
それはやはりマネジャーたちからも上がってきました。

そこからの反省もあり、今の体制が完成形ではない、状況に合わせて常に変化していくんだということを常にお話してきたつもりです。

今回、私はやると決断したので、どんな理由や抵抗があろうとそれを覆すようなことはしません。が、やはり現場のマネジャーたちが苦労するのではないかと心配して声をかけました。

そしたら返ってきた答えは「もうそんなことに不満を言う社員は誰もいませんし、言わせません。」という言葉でした。
数年前も一緒に大きな業務変更した今の統括マネジャーも、「社員の意識は以前とは全然変わってます。今そんなことをいう人はいませんよ」とも言ってくれました。
ほんとうにうれしい言葉でした。

大きな変更になるため、その該当部署以外にも影響は波及します。
10名ほどいる各部署のマネジャー全員からも「大丈夫です。問題ありません。」との答えでした。

“変化することを恐れない”
そういう意識をもったマネジャーや組織に成長してきたことがなによりうれしい。

けっこうタフな心理状態のなかでしたので、余計にそれは私にとって光明でしたし、報われる瞬間でした。

年末となったこの時期にも、少しずつ積み重ねてきたことがまた一つの形となったように思います。
このような素晴らしい社員たちと、仕事ができる喜びをかみしめたい。
ほんとうれしかったな!
現実への対処
このブログでもここ最近の心模様について書いていましたが、どんな落ち込んでいても、苦しくても、やはり現実に対処することはたくさんありました。

その心模様に支配されて現実を遠ざけることも許されませんしね。

管理職との面談
今回社員全員と面談していて特に大変な思いをしているのが、それぞれの部署のマネジャーたちでした。それは普段から感じていることでしたが、孤独感がとても大きかった。そしてたくさんの涙を見た。
だからこそ、その方たちへの自省と労いと感謝を込めて、いろいろな意味で多くの時間を割きました。そしてますます結束が強くなったように思います。
だからというわけではありませんでしたが、このあとの展開でさっそく力を発揮しました(明日へ続く)。

クレーム
ご近所の方から寄せられたクレームもようやく一昨日解決しました。
私たちのほうでできることには誠実に対応すること、しかしできることとできないことを明確にし、その点では毅然とした態度で挑むことを心がけていました。
ご納得いただき感謝の言葉もいただけましたので、よかったと思います。勉強になりました。

ある会合の司会
出席される皆さんは地元では誰もが知る会社の社長さんばかりでしたので、あのなんとも表現しがたい雰囲気はなかなか堪えましたが、いろいろな方たちの協力もあり、楽しかったといっていただけて終えることができました。

「なんか顔が青ざめてるけどどうした?緊張したの?」(ほんとその会合どころじゃなかったのです)と何人かに声をかけられましたが・・・なかなかの極限状態でした・・・。

ですがというか、やはりというか、本番では準備したことの半分くらいしかできませんでした。
しかし、また少し度胸がついたように思います。そして多くの方に顔と名前を覚えてもらえたように思います。

退職者への対応
その司会をやる二時間前にある社員から突如退職を告げられました。
それはうちの職場では二人しかいない職種でしたので、いないとまずいということになりすぐに後任を探しましたが、この年末の押し迫ったときにそうそう見つかることもなく会合の始まる時間も迫ってきて、そこでちょっと発想を変えて、その職種がいらないオペレーションに変えられないかということを思いつき、全ての現場を統括しているマネジャーに話をすると、「たぶんできます」という返事が返ってきました。

切羽詰まっていたので、この“できる”という返事にほんと救われたように思います。

立ち話にてその統括マネジャーと各部署のリーダーたちと話し合い、ここで“いけそう”という感触と“やります”という意欲を感じたときは、ほんと嬉しい瞬間でした。(この問題が解決できそうという喜びよりも、こういう前向きにやってみようという社員たちに育っている喜びのほうが大きかったかも)

それは今やっている業務すべてを変えるということでもあり、本当に大きな変更となります。
社員の生活習慣まで変えてしまうもの。
このようなオペレーションの変更は以前から考えていたことでしたが、いまいちタイミングを計りかねているところでもありました。

よし今だ!ここで腹をくくって、このタイミングでやってしまおう!ということで、オペレーション(業務)を全部変えることにしました。(ここからは明日へ続く)

あとから考えると、いやー勉強になったな、いい経験させてもらったなと思うものでも、直面しているときにはそんなこと考える余裕なんてないです。
だけど今ちょっと振り返られるようになって、そんな切羽詰まった状況こそ、最高の機会でした。

まさに“逆境に勝る教育なし”でした。

絶対逃げない、降ってきたものは全部やってやるという威勢、そこだけはいつまでも守っていきたいな。
その繰り返しでしか、キャパも大きくなりませんしね。
あそこまでの情熱
先日ニュースをたまたま見ていると、自民党の新しい総務会長となった野田聖子さんが特集されていた。
そのなかの選挙活動の映像に思わず見入ってしまった。

あの選挙にかける情熱、どんなことをしててでも(もちろんルールは守るんでしょうが)必ず勝ってやる、自分の思いを絶対に実現してやるという闘志みなぎる選挙活動や絶叫するほどの演説を見ていて、単純に“すげぇ”となりました。

人より一票でも少なければ当選しない現実。
当選と落選の差はとてつもなく大きい。
事業を通して自分の思いを実現するには、どのような形であれ会社がまずは存続しなければ話にならないのと同じように、当選しなければ何もできない。

野田さんが政治家を志す動機、その活動、実績、人柄などは詳しく知りません。
ですが、とにもかくにも選挙で必ず勝つのだという思いは、それはそれで本物なのでしょう。

自分に立ち返って、あそこまでの情熱をもって経営にあたっているか、自分の思いを実現するのに何があろうと、どんな障害があろうと、どんなことを言われようと、必ず実現するんだという決意をもって事にあたっているか。

まだまだ甘いなと思いました。
何かをやり遂げようと思ったら、半端な覚悟じゃできないので、余計に…。

だからその姿にはとても刺激を受けました。

そして50歳をすぎて生んだお子さんには重い障害があるといいます。
出産する前と後の顔つきが明らかに変わっていて、この方はこの方でいろいろなことを背負い受け入れてきたのだとも感じました。
その方から発する強さの理由を垣間見たように思います。

そして世に出る人にはそれなりの理由があるのだと改めて思います。
恵まれた環境と妻の言葉
「今その人をとりまく人たち、環境、状態、状況が、その人の生きてきた結果であり、課題であり、幸せであり、その人の全てを現していると思うんだよね」

先日上京した帰りの空港で、妻から言われた言葉です。
「ほんとその通りだなぁ」と思います。

今回一杯一杯になって心がフリーズしたようになってしまいました。(自分が選択した状況と自分のキャパが乖離してました)
だから心を遮断して(何も感じないようにして)、自分を守っていました。だけどそうすると、まわりの人たちの温かさも同時に感じられなくなりました。(さらにそんな自分が嫌で、月例会のときに具合まで悪くなってしまった)
それはそれで結局つらかった。

哀しいと感じられる心と、嬉しいとかありがたいと感じられる心はやはり同じもので、一つしかないもの。

どんなときにも、どんな気持ちでも、幸せだけ、苦しみだけというのもない。
今目の前にあるものから目を背けたり避けていても、何も変わらない、何も起こらない、苦しみもないけど、幸せもない。それは一番嫌いな虚無の世界だ。

「光は光そのものでは成立しない、闇に瞬くから光なんだ」という宮崎駿の言葉もふと思い出す。

苦しいときや精一杯のときほど、自己を振り返ったり、励まし応援してくださる方たちの気持ちや、そしてそんな方たちがまわりにいてくださる幸せに気づけたりする機会であったり。

そういうことに気づかせてくれました。
だから私の今の状況は、苦しみ、厳しさであると同時に幸せなことでもある。

だから今の自分もこれからの自分もとても幸せなんだと思う。

そんなことに思い至りました。

さて、まだまだ会社を大きくする予定なので、自分も大きく深くならなくっちゃな。
そして妻をはじめ、自分のまわりの大切な方たちや環境についてもほんと恵まれていることをもう一度噛みしめよう。
たくさんの方から応援していただけるありがたさをしっかりと。

復活しました。
本当に感謝の気持ちで一杯です。


それにしても、妻はすごい。
自分の激しく厳しい感情の変化や落ち込みなどの甘え、心のゆらめきも全部包んでくれている。

いま私たち夫婦では「お前は仏様だな!」と言い合うのが流行ってます(笑)
ありがたいな
先週日曜はいつもお世話になっている皆さんとの月例会、そして忘年会がありました。

そのなかで今年を振り返ってということで皆さんの前でお話させていただいたとき、ここ数週間ずっと押し留めていたものが一気に溢れでてしまった。
今考えても恥ずかしい。

だけど、その後たくさんの方たちから励ましの声をいただいて、本当にありがたいな、なんて自分は幸せ者なんだろうとも思うことができました。

そして自分の小ささも。まだまだ甘いな~。

「いろいろなことをたくさん経験して、そこを乗り越えていくしかない」
ほんとその通りだと思います。

少しずつがんばっていこう。
だけどまた切羽詰まってきたら泣いちゃおう。
ここ数日
ここ数日いろいろな意味で厳しいことがたくさん起こっています。
まるで何かに試されているように、次から次へといろいろなことがたたみかけてきています。

それでいいのかと自問自答しながらも、まだまだ暗中模索のなかにいます。

たくさん感情が交錯してかなり追い詰められていました。
一昨日何かが弾けたので、これが限界というのかもしれません。

自分の小ささ、力のなさを再確認できました。

そのなかでもほんの一瞬でも光明がさすこともありますので、そちらのほうへ少しずつでも向かっていきたいと思います。
若いから・・・2
今週木曜に私が所属しているある団体のクリスマスパーティーがあります。
メンバーはいろいろな会社の社長さんとその奥様たち50名、そして私はその半分以上の方の顔と名前が一致せず。
昨年からその団体に所属しているため、二度目のパーティー。

それなのに先週一本のメールがきて、その会の司会をやることになっていた。
やってもらえないかという依頼ではなく、やることに決まっていた・・・。

理由は「若いからやってもらおう」だそうだ・・・。

先日「若いからかわいそう」で救われたのに、今度は「若いからやってもらおう」で堕ちた。
願わくば「若いから司会はかわいそう」にころがってほしかった・・・。

因果応報ってすごいんだな!逃れられないんだな!(笑)

本番は明後日だが、何をどうすればいいのかさっぱりわからない。
私のほうが忙しく、打ち合わせも30分しかできず、偉い人の肩書きすらよくわかっていない。

私は“ふってきた”ことは何でも意味があることだと思っているので、全く思いがけないことでもまずはやってやる!と思う。今回も例外ではない。まずは全力を尽くす。
これもまた経験だし、思い出だ。(かなりビターな思い出になりそうな予感がビシビシしてますけど・・・)

だけど、100%自信がない。やれる気がしない(笑)

今はもうその場が凍りつきませんように、修羅場にはなりませんようにと心から祈っている。

そして「嵐がこないかな」「お腹痛くならないかな」と、マラソン大会前の小学生みたいなことを考えています。
若いから・・・
私は今もいろいろな会合にでると、ほとんどはダントツ最年少。
だからいろいろな意味でかわいがられます。いろいろな意味で・・・

先日のブログにも書いたが、最近会社にご近所さんからきたクレームがきた。
詳細は書かないが、まぁいろいろと対応してます。

さてさてどうしようかと思っていたら、うちの女性社員(50代後半)がその苦情主の親戚とお知り合いということがわかり(田舎なのでどこかでつながりがあったりする)、いろいろと話してくれることになった。

そこでその社員はその知人に「うちの社長、まだすごく若いから今回みたいなことには、あまり慣れてないんだよ。だから本当に参っている、かなり落ち込んでいるんだよ。かわいそうと思わない?」といったらしい。
そしたらその知人も「それはかわいそうだ」となったらしい・・・。

自分としては「いや~、別にそれほど落ち込んでないんですけど~」と思ったし、うちの社員にそこまで落ち込んでいると思われてるのにも、そう言われたことにも驚いたが(笑)、これも若さの特権なのかと思って、そのままにしておこうと思います。

「お、なんだか“若輩でかわいそうだから”で、この苦情が終わったらそれはそれでいいな」とも思い至ったので、とりあえずその話に“のったろ”ということで。
ですので、一部の方には、私はこの苦情でとても落ち込んでて頭を抱えているということになっているらしい。

若いから馬鹿(未熟)とか、若いから世間知らず、若いからやってもらおうなんて言われることはあっても、“若いからかわいそう”というのは、あまり経験なかったな(あったのに気づかなかったのかも)。

解決するのかわからないが、これはこれでありがたい。
というか、いつまで“この手”が使えるんだろう。

ま、使えるうちは使ったろ!(笑)
どんなに楽だろう
・ボーナス払ってやった
・何人雇ってる
・年商○○億
・年収いくら
・○○と知り合いだ
・家に○○がある
・あいつにこうしてやった

そういうことに自分が満足できたら、どんなに楽かと思います。

・私以外にみんな言っている
・こうあるべきだ
・ここが足りない
・普通はこうだと思うができてないからやってほしい

そういうことに“うるせー!”と一喝して終われたらどんなに楽かと思います。(あ、たまに?けっこう?やってるかも…)


虚勢を張ってるけど、中は孤独で空虚、自分でもその虚無に食われていることを気づいているのに、それ以外に生きる術がわからないから気づかないふりをして、さらなる虚勢と非現実な理想をふりまいている人が、私のまわりにたくさんいます(見かけます)。

あまり関わらないようにしたいと思っても、やはりいろいろなところで関わらねばならないところもあります。
そして自分もそうなりそうで怖くなるときもあります。

箇条書きしたことは、私にとって価値だとは思えない。かといってすぐに見つかりそうもない。

今、ちょっと沈思黙考のなかにいます。
元気に生活しているんですけどね。
嬉しいことも、虚しいことも
前回のブログにも書きましたが、昨日はボーナスの支給日。
私の立場からいえば、先日給料払ったばかりなのにさらに大きいお金がでていくというとんでもない日!(笑)

だけど、少ない足りないなどいろいろ言われようと、まずは今回も社員の皆さんにお支払いできたことはとてもうれしいこと。
社員の皆さんががんばってくださったおかげです。

そしてこれも前回も書いたが、明細書はお一人ずつ面談しながらお渡しする。
昨日は一日かけて50名くらいの方たちとお話した。人が入れ替わるたびに、つど頭を切り換えるのはけっこうしんどいです。

面談しながら、普段なかなか直接聞くことができないその方の思いや、私たちからの期待をこめた要望などもお話する。

そうやってお渡ししていろいろな方の思いもお聞きしていると、仕事が楽しいとか、力になれるようがんばりますとか、そんなポジティブなことを言っていただける。
そういう気持ちは、私が仕事をしていて最高に嬉しい瞬間の一つ。
人それぞれの段階がありますが、どの段階であってもそう言って前向きに仕事をしようと思う姿勢が嬉しい。
そして「こいつはやるな」と思う。

だけど、そういう方たちだけではもちろんない。
昨日も一時間ほど自分の思いを話される方もいましたし、なにを言っても全く響いてない、聞いていない方もいますし、熱心に聞いているようで聞いてない(そういうふりをしていても、バレてます)方もいます。

別にそういう話や態度まで受けとめる必要もないのですが、律儀に全部受けてしまうので(という言い方が正しいかも)、ちょっと大変です。
それらを受けとめる“袋”(器)でありたいと思いますが、さすがに疲れました。

仕事してたら、嬉しいことも、虚しくなることもあるのが常。
そのなかでも歩みは止めたくない、だけど今はちょっと小休止が必要なようです。

ふ~、まだまだ面談は続きます。
日記です・・・
今日はなかなか忙しい一日でした。

午前中ボーナスの決済(明日支給)などをして、11時よりお葬式、その後14時半までお斎。
いろいろな意味で重たいものがありました。ふ~。

着替えてそのまま15時からある事業所近所からのクレーム対応。
一度しっかりお話させていただき、ご納得の上対応したにもかかわらず、再度ほぼ同じ内容での苦情。
若干○○ーマー臭を感じたため、厳重な準備をして挑む。

氷点下のなか、外で40分ほど謝罪や説明をさせていただく。
これがほんとにこたえた!寒さで一気に体力消耗。

その後また本社へ戻り、残務。
そこで申し訳ないことに、午前中のアポを一件申し送るのを忘れてしまい、ご迷惑をかけた方もいて反省。

その後また件の事業所へいき、賞与の明細書を一日早いがお渡し始める。
(賞与の場合、明細書は私のほうでお一人ずつ面談しながらお渡しするので、相当な時間と手間がかかる)

そこにいた社員お一人ずついろいろなお話をさせていただきながら、お渡しする。
社員一人ずつにこちらの思いをお伝えするし、その思いもお聞きする。

そして力尽きました・・・もう目が開きません(笑)

明日は職場の忘年会もあり、もっともっと長い一日となりそう。
ちゃんと受け止められるようがんばろうっと。


いやー今日のブログは、まさになんのとりとめもない“日記”でございました・・・。
見た目がすべて
「やはり人は見た目がすべてだと思う」
よしもとばななさんの言葉です。

私もそう思います。

見た目がすべてというのは、“顔つきとかスタイルのいい人がいい”という意味ではもちろんなく、その人の内面や生き様がその人の見た目に全部現れてくるという意味です。その人が醸し出す雰囲気もすべて含めて。

今年は、その意味が本当によく分かる年だった。
そして自分のなかで美人とか、きれいとか、かっこいい、男前、そういうものの価値観が変わった年でもあった。

たくさんの美しく、かっこいい人たちにお会いできたのだ。

それぞれがそれぞれの道を一つずつ進んでいこうとする姿、それを温かく見守り認め合う姿、自分の技術を惜しげもなく見せあう姿を見ていて、そういう方たちにとても励まされ刺激された。

そういう姿をみていて、とても美しく、かっこいいなと思う。
そして「かっこよさとは、美しさとは、こういうことなんだよなぁ」と気づかされた。

今年、そういう方たちとのご縁をいただけたことを心から感謝したい。

自分の人生にとって光明であり指針でもあるたくさんご縁。
これからも大切にしていきたいと思っています。

師走も半ばにさしかかり、今年のまとめもぼちぼち。
疲れたと思っていた矢先
“私だけじゃない、みんなやっている”
“みんな大変だっていってます”

マネジャーたちが扱いに苦労している社員と面談すると、案の定そんなネガティブな言葉がでてくる。

各部署マネジャーとの面談を経て、私のほうで対処するべき案件にあたっています。
そのなかにそういう問題のある社員への対処というのもある。(そういう方を会社に在籍させてきたのもまた自分ですし)

立場や役割によって見える景色も変わる。
想像力のない人、自分の理屈を優先させる方にとっては、社内で都合が悪いことはすべてまわりが悪いらしい。または“自分だけではない”という理屈から自分が言われるのもおかしいらしい。

最近はそういう話をほとんど聞かなかったので、そんな方がいたことに久しぶりにスイッチが入りました。
怒ったりすることはないのですが、私たちの考えをしっかりお伝えします。

多くの人間をある一定の方向にむけていくのはとても難しい。そのために一つ一つ私たちの考えを直接伝えていくしかない。それはとても根気と体力のいる作業。
だけど、そこが私たちの会社の存在価値と関わることであれば、やはりおろそかにすることはできない。伝えきれなければ、袂を分かつのでしょうし。

とはいっても、冒頭にあるようなネガティブな言葉と感情を浴びせられてると、やはり疲労します。
運動とは違う、この疲労感はなんといえばいいんでしょう。

そんなこんなで、う~疲れたな~と思っていた矢先、窓の外が明るくなっていました。

いつの間にか晴れてた空に、いつぶりか分からない久しぶりの生太陽。
DSC_1142.jpg
燦々とした太陽を見ながら、「う~む、愛されてんな~俺」と思ったのでした(笑)

そしてその後数分で、またどんよりとした曇り空に戻っていきました。
空手の師範
昇級審査の翌日、空手の師範ご夫婦と一般部で一緒に練習をしている方と、忘年会を兼ねた食事会に参加させていただきました。

師範は普段ご自身のことをお話になることははなかったのですが、お酒もあったのかいろいろなお話をお話していただきました。
どれもすごい!と息をのむような話ばかり。

いくつかご紹介~
・腹筋、背筋、腕立てなどの筋トレは毎日1000回ずつ
・毎日仕事終わってから公園で練習していると、気づくとだいたい夜中1時すぎ
・仕事の休みの日はだいたい12時間くらい練習していた
・公園にてあのカップルが帰るまで正拳突きをやり続けると決めてやっていたら、そのカップルが4時間いて大変だった(・・・これは笑いました)
・体育館の床板一枚ごと突きや蹴りの練習をすると決めてすべての板を数えるまでやった(何千枚あるんだろう・・・)
・10ヶ所以上骨折して、歯も差し歯、体中ボロボロ。(そうなってみて初めて体壊してまでやるもんじゃないと思ったと…これもまた・・・)

そして自分が師範となって東京から鹿児島に移って道場をやるようになってからもかなり厳しい練習だったようで、
・練習が終わってからも、練習だった
・ラスト!といってから2時間やっていた
・仕事の都合で合宿の最終日前日に帰ったら、あまりに厳しい練習だったため参加者が万歳して喜んだと後から聞いた、などなどなど。

あまりに想像を超えてて笑うしかない逸話が多数。

あのものすごい風格やオーラ、そして(60代目前であるのに)鋼のような体は、やはりそのような鍛錬の裏付けがあればこそなんですね。
やはり尋常な鍛え方ではないのだな・・・。

同じく師範である奥様からも「空手バカ一代って知ってる?あのままの稽古してたのよ~椰子の木で突きの練習してたり、もう信じられないようなことやってたわよ~」とさらっと言っているのを見て、奥様のご苦労もどれほどのものだったかを想像しようと思ったが、妻と二人怖くなったのでやめた。

「空手は空手じゃなく空手“道”なんだよ」
その言葉の意味、空手を愛する気持ち、ビシビシ伝わってきました。

人生に貴賎はないのですが、何を言われようと、自分が信じた道を極めんと歩んできた言葉と背中は単純にかっこよく眩しい。
そしてその凄まじい歩みから見える景色とはどんなものなんだろう・・・とちょっと憧れ夢想してしまいました。

今はとてつもなくやさしい師範です。
いや~すごい!
昇級試験
昨日は空手の昇級審査でした。

いつもは中学生以上の方たちと練習をしていますが、審査は小学生以下のお子さんたちも一緒ですし、そしてその保護者の方たちが大勢見守るなかで行われました。

私が受けた審査は5級、審査項目は太極初段(応用)、受七挙動(相体法)、八封之型(一之型)、そして口頭試問でした。

いつもと全く違う雰囲気ですし、大人の受験者は私一人なので、とても緊張しました。
でもこういう場で普段の練習の成果がでるものだと改めて思います。これらの型自体はずいぶん前にやっていたものでしたし。
師範も普段の練習を見ていて、その方の実力はだいたい把握していると思うのですが、審査の場でしっかりとそれが出来ないと出来たことにはならないのでしょう。

スポーツでも仕事でもなんでもそうですが、本番にだせる実力がやはり“実力”で、その実力を裏付けるためにはやはり練習や場数しかないのだと思います。
そういう意味では、みんなから見られながら、恥ずかしさもあり、緊張もあるなかで、審査を受けることはやはり“実力”をはっきりさせる上でとても大切な場ですし、あういう場を踏むことによって、いろいろなことから逃げず立ち向かえる気持ちも醸成されるのだろうと、ドキドキする自分を励ましたながら受けてきました。
そういう意味でとても貴重な機会。大人になったら、試験を受けるとか、公衆の面前で何かをする機会って滅多にないですし。

いつも一緒に練習している女子中学生で初段補に挑戦した子は、普段はとても引っ込み思案でおとなしい子なのですが、審査のときは本当に堂々としていて素晴らしかった。
そして今回初段・黒帯に挑戦した小学校高学年の子が3人いたのですが、いつも少年部の練習が終わっても、一般部の練習にもそのまま残って稽古をしていた子たちで、その成果がしっかりでていました。審査を待っている間に、おしゃべりしては親に怒られ、またはしゃぐを繰り返す普通のやんちゃな小学生なんですが。

「練習は裏切らないな~」と思ったのと、子どもたちの結果を待つときの緊張した表情、その後合格といわれたときの喜んだ表情をみていて、「あ~このまっすぐな気持ち、自分も見習わなければ」と思いながら帰ってきました。

そして自分もいろいろなところで突如あったりする“実力を試される機会”に堂々と相対せるようにもなりたいな~。
そのために私がいる
昨日のブログでもちょっと書いたが、現在各部署のマネジャーたちと面談している。
社員たちのボーナスの査定も含めて、その部署の社員たちのこと、現在の仕事について、いろいろなことをお一人ずつ聞いている。

話していて、このマネジャーたちが核となって、今の職場が成り立っていることを本当に実感した。
この方たちの責任感、使命感のようなもののおかげで私たちの仕事や職場がまわっているのだ。

マネジャーたちも私からいろいろ要求されることもあり、また下からも不満や要望を言われることもある。
そして日々様々なトラブルに見舞われる。
最近も病気、事故、お子さんの体調不良、ケガなどなどなど…。

そのたびにマネジャーたちは、人のやり繰りから業務の調整をしてくれ、日常の業務が滞らないようにしてくれている。
ときに自分の都合を犠牲にして、役割を全うしてくれている。そしてもちろん調整が必要な場合に社員たちも応えてくれている。

私たちの仕事は24時間365日休むことがない。
そういう職場を維持できるのは、そのマネジャーたちと社員たちのおかげだ。
毎日なにげなく当たり前のように過ごしている日常は、この方たちが日々積み上げてくれているからだ。

私は本当にいい人たちに恵まれているとつくづく思う。

そしてお話を聞いていて、私のほうで対処してほしいということもたくさんある。
私のほうまでくるということは、もうその(マネジャーの)段階では難しいことで、当然厄介なことばかり。

だか、そこらへんはこちらでしっかりと解決してみせる。
そのために私がいる。
熱くなってしまった・・・
一昨日のブログに書いた方、その会社での部署間の対立に悩まされていた。
その方はある部署を代表する方だが、他部署からの一方的な締めつけのため、担当する部署内の不満が高まり退職者も数人でてしまった。そのため現場のやり繰りもままならなくなる状態で、心労が重なっていた。

そしてまたもう一つ、ある小学校のあるクラスが学級崩壊しているという話を聞いた。
詳細は避けるが、学級崩壊という言葉そのまま、もしくはその想像を超える光景であるという話であった。

そのような話をお聞きすると(そのクラスにお子さんがいる社員や知人がいる)、心が締めつけられる。

もちろんそれらの問題の原因は一つではなく、様々な要因が絡み合うものであるので、簡単に論じることはできない。

しかし、私の立場、私の視点から見ると、いつもこんなことを聞くたびに、「上(その組織のトップ)の存在って、役割って、なんだろう」ということを強く考えさせられる。

なぜなら上はそのことを処断することが可能だからだ。
だからこそ“組織”があって、“地位”があって、役割(権限)があるのだ。
(こういうことを考えるたびにつくづくドラッカーの偉大さを思う)

部署内での対立も、部署間での対立も、だいたいその上に立つものが機能してない、もしくは何もできないことでさらに拡がっていく。
マネジメントが不在なのだ。

時間が解決することを頼りに、あからさまに静観し無為無策のまま経過させること、自分が嫌われることを恐れ、解決にならない折衷案ばかり提案すること、偏った情報を鵜呑みにし、勧善懲悪を気取って特定の部署のみを攻撃すること(それでその部署は崩壊するかメンバーのモチべーションとパフォーマンスは地に堕ちる)。

自分の組織であるのに、なぜそのような自傷行為のようなことをするのか、なぜその問題に真正面に向き合おうとしないのか。そういう方をなぜトップに据えるのか。(こんな方たちをたくさん見てきた)

自分たちの組織も、どんな組織も日々様々な問題やトラブルを抱えている。
今マネジャーと面談しているが、課題も問題も山積みだ。何も問題のない組織など存在しない。

背負う、引き受ける、立ち向かう、そういう覚悟のない方がトップになるのは悲劇だ。
問題が深ければ深いほど、そして危機的な状況であればあるほど、そのトップの重要性は増していくが、反比例するように機能しなくなる。この話では子供たちの過ぎた時間を取り戻すこともできない。

諸刃の剣でもあるその役割や権限をどう使うか、誰が使うかはとても重要なこと。
自分がもしその会社の社長ならどうする?
自分がもしその学校の校長ならどうする?

自分に立ち返りながら、自らが選任する重み、人材を育てるとは、それらについて静かに考えたいと思います。
心は轟々と燃え上がっていますが。(勝手に熱くなってしまった)
汲む
私はけっこう詩が好きで、学生時代よく池袋リブロのなかにある詩集専門店「ぽえむ・ぱろうる」(今もあるのかな?)によく通っていた。
田舎からでてきた者にとっては、あれだけの詩集が普通に書店においてあることが感動だった。

谷川俊太郎、石垣りん、金子みすず、吉野弘、川崎洋など様々な詩人の詩集をたくさん読んだ。
こんなに感受性が鋭かったら、さぞかし生きるのがつらいだろうなどと思いながらも、自分にもそう“感じる”ことがたくさんあったので、その感覚を肯定してくれる詩がとても好きだった。そう感じたり、そう思うことは別に変なことじゃないとそうやって気づいたのだった。本当に助けられた。

なかでも茨木のり子さんの詩が特に好きで、よく読んでいた。

彼女の繊細さを秘めた力強さ、荒々しくもあり不器用でもあるがその奥にある優しさにとても励まされた。叱咤激励という表現が近いかもしれない。
彼女の感覚や言葉が、私にはとてつもなく共感でき、いつも心と体に沁みてきた。

2006年に亡くなられたとき、ちょうど地元へ帰ってきた直後だったこともあり、一人でショックを受けていたことを今でも覚えている。

「自分の感受性くらい」などたくさんたくさんの素晴らしい詩がありますが、今日ふと無性にこの詩を読みたくなって読み返していました。


汲む
 ―Y・Yに―

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 墜ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇  柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです


何度読んでもいい詩です。
日々いろいろなことがありますが、まぁ自分なりにがんばってみようと思います。
こんな形でつながっていくとは
月に数回ある役所関係の会議。
今日その会議があり、同じ委員となって親しくさせていただいている方と約二週間ぶりにお会いした。
「それでよいのか」というブログにも書かせていただいた方。
その会社ではとても重要な立場で、現在の職場の状況についてとても悩まれていたのだった。

声をかけると、今抱えている問題もほんの少し改善されてきたようで、以前お話したときよりも表情が明るくなっているのでホッとした。

いろいろとお話をしていると、先日その会社の社長(ではないけどそれと同じような方)とうちの現場スタッフが揉めた話となった。
そのこともまた「引き受ける」というブログに書いている。(いや~けっこう書いてるもんです~笑)
このブログに書いた出来事は、実はこの方が所属する会社との話であった。

揉めた(怒られた)ことについては、その方とは直接関係ない(さらに上の方との)ことであったので、こちらのほうからは話すことはなかったのだ。

「この間○○さんのこと(お客様)で、うちの社長と何かありました?」と聞かれたので、そのあたりの事情を説明して、私たちの対応にも非があること、その後私たちの内部でも話し合ったことなどをお話した。
するとその方から「それなら早くいってくださいよ~社長も何か引っかかるものがあるみたいでしたけど、明日しっかり話しておきますよ~。全然気にしないでください。社長も誤解してる部分もありますから。」と言ってくださった。

「いや、○○さん(その方)に全然関係ないことなのでいいですよ」と断ったのだが、「いつもいろいろ聞いてくださっているので、全然引き受けますよ。ちゃんとうまく通しておきますので、まかせてください!」とも言ってくださった。

特にそうしたいと意図したわけではなかったのに、その揉め事が解決となりそうだ・・・。
あれよあれよという間に、そしてなんだかよく分からないうちに、スルスルと話しが良い方向へ進んだのだった。


自分でもなんかすごいな~とポカーンとしてしまった。

まさかこんな形でつながっていくとはな~ほんとありがたいな~と思う今日の出来事でした。
一対多
先日友人と、ある大きなお寺にいってきた。

そこでご祈願していただくとともに、お護摩修行を見てみたかったのだ。

一通り参拝をすませた帰り道、その友人が「お寺の僧侶だからといっても、みんながみんな立派な方ではないんだよねぇ」とつぶやいたのだった。
その友人は学生時代に年末年始などに、お寺で巫女さんのバイトをしており、いろいろとそのあたりの事情のことを知っていた。

私もお護摩を焚くとき、そして御札を渡すときの、若い伴僧達(おそらくまだ学生なのでしょう)の所作や姿勢には、ムムムッとなっていたので、ちょうどシンクロした。

さらに「ものすごい人数がくるのはわかるし、その方たちを相手にする大変さも分かるけど、お参りする方にとってはたった一度きりのこと、そのとき言われた言葉によって励まされたり、落ち込んだりする人たちもいるのに、けっこう適当な人(僧侶)たちも多くて・・・」と続いた。

それを聞いて、そうだよね~と思いつつも、「あ~自分も同じことしちゃってるかも~」とドキッとしたのだった。

個々の社員たちにとっては一回のことでも、私には数十回繰り返すこともある。
例えば給与明細をお渡しするときなど、私の担当分で約80名。80回以上同じことを繰り返す。

都合が合わずなかなか会えずにいた社員たちに直接会って、表情を見たり、一言二言お話することで、その方の様子がわかったり、逆に私の考えを知ってもらえたりする絶好の機会であるのに(だからこそ今でも直接お渡ししているのに)、その機会を大切にしているかと思えば、正直自信がない。

社員にとってはそのときが一度きりで全てなのだと頭ではわかっていても、小慣れた対応をしてしまったり、不躾な態度をとってしまうこともあった(だろう)。

「一対多」の構造のなかでも、自分をしっかりと保っていけたらと改めて思います。
そのためには、まず己の姿を知ることから始めないといけないですね。

そして己の姿は自分の目の前にあったよ(気づいてなかったよ)。


身の回りに起こることは、自分がそれを評するためではなく、自分のこととして、自らを振り返る機会でもあるのだとつくづく思います。
ムカッとして、人のことを言ってる場合じゃなかったですね。

「あなたは私であって、私はあなたでもあるのだ」とはこういうことでもあるのかな~なんても思ってみたり。
「あぁ、御札を渡されるときあなたにムカッとしたけど、自分もおなたと同じことしてたよ~」と。


勉強になりました!
いろいろと気づかせてくれた友人にふたたび感謝。
シンプルで核心をつく質問
「なぜ会社を大きくしたいの?」
「なぜその仕事をやっているの?」
先日友達から聞かれた質問です。

自分の行動はある動機や意志があってそう行動している。

仕事の進め方でも、最初はそう進めるべき理由がある。
だからこういうシステムにしましょう。とか、この順番でやろうとかが決まる。
それはお店を始めようとか会社を大きくしようとかでも同様だ。

だけどある程度時間がたってくると、その動機や意志をあまり意識する必要がなくなる。

自分もそうだし、大部分の人もそうだと思うが、時間がたてばたつほど、その仕事を“その仕組みで進めている”意味・理由というのがどんどん薄まってきて、一つの流れ作業的な仕事になってしまったりする。いわゆるルーティン化する。「これとこれをこの順番でやればとりあえずおしまい」みたいな。そもそも多くの仕事がそうしている理由よりも、ルーティンを覚えるところからスタートする。

それはそれでしょうがない。やっぱり自分もまわりも決められたことを決められたとおりにこなしていたほうが楽なのだ。
さらに組織となってたくさんの方が関われば関わるほど、ルーティン化(マニュアル化)しないとその仕事(商品・サービス)を標準化できないということもある。

だけど自分の人生ややっている行動までルーティン化するのはまずい。

冒頭の質問を聞かれて、その答えとともに、「そうだった!俺こんなこと考えていたから、会社を大きくしようと思ってた」ということを思い出したのだった。
仕事は目的ではなく、手段であること。それが逆になっているときは自分も会社もちょっとおかしくなる。
(「健康のために走る」だったのが、いつのまにか走ることそのものが目的とすり替わって、走らないことを責めたり、体が疲弊するまで走る・・・俺こんなことしょっちょう)

忙しさにかまけてそういうことを忘れてしまうことはしょうがないとも思う。
だけどなぜそうするべきか、なぜそうしたのかという問いに対する答えは、自分がやっていることの礎として“自分のなかにある”ことは忘れないようにしよう。

ときどきでいいから、自分の動機や意志を意識するようにしたいなと思います。
疲れていたり、困難な状況であればあるほど、その動機や意志がパワーの源となって効いてくる。

そんなことに気づかされました。
友人に感謝。




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