日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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対照的な二人の退職
仕事を辞めるとき、その方の人間性や性格がとてもよく現れます。

ある社員より精神的なストレスが原因で、即日退職したいという申し出であった。
職場内の人間関係で精神的なストレスを抱えていたとのこと。
即日の退職であったため(旅行中の鹿児島で一報を聞く)、その方の自宅で話を聞くと、「こんなことがあった」「こんな目にあった」と滔々とお話されていました(気づかずに申し訳なかったですといって自宅を後にしました)。感じ方はその方の主観なので、何もいえません。それはそれはつらかったのでしょう。

その部署はローテーションであるため、誰かが欠ければ誰かが代わりに入らなければならない部署であった。
すぐいなくなること、そしてその後任が見つかるまでは、その部署全員が様々な影響を受ける。さっそくその部署の責任者は休みをずらして業務にあたってくれていた。
それも分かってて、そのような行動をとったのだった。

もう一方、先日「社長という立場」というブログにも書いた方も会社を退職することにしたとお聞きした。
現在の社長からは今も強力な慰留をされているそうです(そりゃそうだ、同業であればうちに欲しいくらいです!)。
その方と先週食事をした際に、いろいろお聞きしたが、専務(新社長)のいる会社には別に残らなくてもいいんじゃないかと思うような境遇であったので、退職するのだろうと思っていたが、そのような決断をしたとのことであった。

その方曰く、「俺を育ててくれたのは今の社長なので、ちゃんと筋を通すためにも時期は相談してます。それまでは今の会社でいろいろありますけど、腐らず前向きに仕事をしていきます」と言っていた。そして家族のことも考えて、ちゃんと冷静にお金や次に仕事のこともしっかりと考えますとも。

少しずつ積み上げてきた信用や技術、人脈をすべて断っていく方とちゃんと自分のものにしていく方、やっていることは同じなのに、対照的なお二人でした。
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「世界が広がっているよ!!!」
今週お休みをもらって、お墓参りを兼ねて九州にいってました。
鹿児島(ご先祖様のお墓があります)、熊本、高千穂(宮崎)へとまわる旅。
素晴らしかった!

夏休みということもあり、機内も新幹線も子供たちがもうたくさん。
子供たちの飛行機を見る表情、飛び立つときのワクワクした表情にはとても癒されます。
すべてが冒険なんですね!

そのにぎやかな機内で聞こえてきた声のなかに、「見て!世界が広がっているよ!!!」がありました。
空の上から大パノラマとなっている景色を見て、お母さんに言っているのかなと思います。

私は「なんていい言葉なんだろ~」としみじみと思っていました。
「世界が広がっている」・・・もういろんな意味で素晴らしい。

旅では日常から少し離れることによって、リラックスできたり。逆に日常を俯瞰することで、日常のありがたさを感じさせてくれたり。
また、実際にその場にいくことによって、いろいろなことを感じることができたり。(その場を実際に踏むというのはとても大切だと改めて思いました)

そういう意味では、自分たちの世界を広げてくれるのも、旅の醍醐味なんでしょうね。

嫁と一緒に、もっともっとたくさんいろんなところにいったり、いろんなことにチャレンジして、自分たちの世界を広げていこう!と改めて思った旅でした。
結局、人生そのものもまた旅なんだと思いますしね。

そしてその旅(世界)そのものが素晴らしい思い出となっていく。
そんな思い出以上に人生で価値あるものなんてないよなって思ってます。
共有できる喜び:漫画「陰陽師」について
例えば、とても素晴らしい景色を誰かと共有してみれたら、もっと素晴らしい体験になると思います。

数年来、ずーっといつかどこかで話せる日がくるのだろうか、きたらうれしいなと思っていたことがある。
いろいろな方に薦めてみても、興味がなさそうにするか、ちょっと難解すぎて分からないといわれ続け、少しあきらめていました。
(ものすごく大げさですが、でもけっこう本気で)

それは漫画「陰陽師」のこと。
陰陽師 (1) (Jets comics)陰陽師 (1) (Jets comics)
(1999/07)
岡野 玲子、夢枕 獏 他

商品詳細を見る


とてもおもしろく、とても好きな漫画です。
しかし、私のまわりには興味のある方がなかなかいなかった。または「博雅って天然だよね~」で終わるくらいでした。

ですが、先日熊野へ旅行に行くことになったことで、(熊野へ旅行にいくことになったのです)
熊野といえば、修験道、役行者、那智の滝、玉置、ヤタガラス、神倉山などなど、いろんなことが頭に浮かんできて、そのなかで「陰陽師」とのシンクロするところがけっこうあったことを思い出し、お話することを止められなくなってしまった。
(読んでくださっている方のほとんどは、全く意味不明な文章かと思います。すみません。ですが、ここが昨日も書いたシンクロニシティな出来事です)

興味をもってくださり読んでくださる方がいらっしゃった。しかもおもしろいと言ってくださっている。
(いつか話したいと秘かにチャンスを伺っていたのですが、チャンスは来ず・・・半ば強引に話をふってしまいました・・・)

読んでいただいておもしろいと言ってもらえるだけでちょっとうれしかったりします。いや、だいぶうれしかったりします。
そしていつか「陰陽師」話できる日が楽しみです。
シンクロニシティ
シンクロニシティな出来事って、私の場合たくさんあります。
最近あったそんな出来事を挙げてみたいと思います。

・その人とは何か事前に連絡を取り合っていたわけではなく、それぞれが片や東京駅、私は仙台から新幹線に乗っていて、(もちろん互いが移動していることも知らず)「今度ご飯でも」とたまたま電話したら実は同じ新幹線に乗っていたり。(その後その人が自分の嫁になったり)

・5月という中途半端なときに、引っ越しするため不動産屋さんへいった当日に、「そういえば今日引っ越し作業しているところがあります」といわれ、紹介されたところが間取りや家賃、立地などすべて希望通りのところだったり(特に立地がよく、人気のため滅多に空室にならない物件であった)。しかもその大家さんは以前からとても懇意にしている社長さんで、その方も喜んでくれたりいろいろ融通がきいたり。(快適に暮らしてます)

・あまり肩に力を入れずに、何事も楽しみながらやってくださいととても尊敬している方たちから言っていただいたその翌日(つい先日)、所用で永田町にいてふと思い立ち赤坂の氷川神社にお参りに行った際に、引いたおみくじに「春は花 秋は紅葉と とりどりに 心楽しく 生きてぞ ゆかむ」とあったり。(お、同じようなことをまた…となりました)

・さらにその氷川神社にて社務所新築のご奉賛名簿を見ていたら、ある有名なキャスターの方の名前があり(特に興味があるというわけでもなく、ただ見ただけ)、お参り後境内をでて街を歩き始めるとそのキャスター本人が前から歩いてきたり。(見かけたときはまぼろしか、サブリミナル効果で他人なのにそう見えるだけなのかと思った・・・コントのような二度見をしてしまいました・・・笑)

・新事業所を建設する際に、候補に挙がる土地が軒並み農地転用不可、開発行為の許可が下りない地域、金額が折り合わない、のめない条件を出されるなどでなかなか決まらずに途方にくれかかっているとき、たまたまある土地(いろいろ事情がありあきらめていた)を思い出し、ダメ元で進めてみると、それらすべてがクリアになる土地であったり。(おかげさまで今年オープンできました)

・つい昨日、昇級審査後に家の近所にある自社の営業所でちょっと打ち合わせしたいと思って訪ねると、天の川までくっきり見える満天の星空でした。たまたまその日の夜(21時半)に行こうと思い立ったり、新月であったり、快晴であったり、空気が澄んでいたり、街灯や家の明かりの影響を受けないところだったり(そもそも夜空を見上げないといけなかったり)、田舎であってもそんないくつも条件が揃わないとなかなか天の川まで見ることはできないのに。さらに夜空を眺めていたら、ホタルまで飛んでて。初めて野生のホタルを見れたり。(想像よりとても小さくかわいかった)

私にとって、こんなシンクロニシティな出来事は枚挙に暇がありません。

“たまたま~”と書きましたが、それをそのまま“たまたま”とか“偶然に”というだけで済ますこともできます。
だけどそんな人智を超えて起こることに、何かしらの意味(ギフトだとか教訓だとか)を持たせることもできます。

私は、そこに何かしらの意味があるだと思いたい。損か得かもどうでもよく。

そしてそこで考えられた(思いついた)意味こそ、人生が豊かになれて楽しいと感じる秘訣だと思うのです。
真剣さに心打たれる
今日は空手の昇級審査でした。

いつもとは雰囲気も違って緊張しましたが、とりあえず受かることができました。
ですが、とても考えさせられる審査会でもありました。

審査は高校生の一級試験と準初段試験を受けた方たちと一緒だったのですが、その方たちが素晴らしかった。

その方たちは試合形式の組み手も審査のなかに入っていたのですが、実際の試合を目の当たりにすると、その鼓動や真剣さがビリビリと伝わってきて、自分はこんなに真剣になっていたのかなと考えさせられました。

そしてその高校生の方たち(しかも女子)の一生懸命な表情やひたむきな姿勢にとても心を打たれました。

そんな方たちをじっくり見ることができ、自分を振り返る良い機会になりました。
気持ちを新たに、また練習がんばります。
どれも自分
・仕事がちょっと雑、だけど仕事は早い。
・仕事が丁寧、だけど仕事は遅い。

私の場合、こんな方がいれば、明確にどちらがいいのかとかはあまり考えず、そのバランスを見たり(一定の水準はありますが)、向いている部署ややってもらう仕事の内容で工夫したりします。
仕事をしてもらうにあたっては、できるだけ良いと思われるほう(仕事が早い、仕事が丁寧)にフォーカスしていきたいと思います。

・頼りがいがあるけど、気が強い
・やさしいけど、優柔不断で決断できない
・男らしいけど、自分勝手でわがまま
(例えです)

こんなふうに思う方がいたとして、「頼りがい」や「やさしい」とか「男らしい」だけにフォーカスしてるうちは好印象ですが、後者のほうへフォーカスしだすとあまりいい印象ではなくなると思います。
こんなことっていろいろな人間関係でもけっこうあったりします。
どちらにフォーカスするかはその方との関係や印象、時間とともに、だったりします。

でも、これらは一つの在り様を、その解釈で良い(長所)と悪い(短所)とに位置付けているだけなんじゃないかと思います。

みんな誰しもここはいいけど、ここはだめとか、あるんだと思います。
「やさしい」ゆえに「優柔不断」という側面もあったり、それらはもうワンセットなんだろうと。

私の場合は、やると決めたら必ずやろうとしますが、ゆえに頑固すぎる、融通がきかないともいわれます。(へこむな~)
あと興味あることにはとても熱心になりますが、興味ないことにはとことんどうでもよくなります。(各方面から怒られます)
これらはどれも自分なんですよね。

いいなと思うところも、ここはちょっと・・・と思うところも含めて、その方なのだと思えるようになりたいなと思います。

最近そんなことを思った出来事がありまして・・・。
社長という立場
先日取引先の担当さんと話していて、新社長とうまくいきそうにないという話をお聞きした。
来年その会社は代替わりするのだそうで、今の専務さんが社長へ就くとのことであった。

営業部長でもあるその担当さんは、今の専務さんの考え方、やり方には合わないようで、営業部長も降りたいと言っていた。

その担当さんの言うこともとてもよくわかる。
仕事の進め方や考え方の違いに折り合いがつかない気持ちが。

しかし、社長はその会社の命運をすべて一人で背負う人だ。
会社がうまくいくか、いかないかの最終的な責任を背負っている。
だからそのやり方に不満があるのなら、辞めるしかないのだろうなと思う。

どんな組織でもそのトップが変わると、メンバーは全く同じなのにすべて変わってしまう。そんな経験がある方も多いと思う。
その方針や仕事の進め方など目に見えるところから、雰囲気など目に見えないところまで変わる。
それくらい組織のトップというのは望む望まないにかかわらず、いろいろなところに影響を与えてしまう。

社長という立場とそれ以外の立場の差(例え副社長や専務、常務であっても)は、とてつもなく大きい。
考え方も視点もすべて違う。
ゆえに社長は孤独でまわりから常に一線を敷かれている。

来年から会社を引き継ぐその専務さんもまた不安なのでしょうし、おそらくその営業部長さんに「なぜわかってくれないんだ」などと思っているのではないかと思う。

しかし、私も経験があるが、その方針や判断を説明することはできるし、そうすることも必要なのだと思うが、本当の意味での相互理解は難しい。
もう見ている現実(前提条件)が全く違っている。

どんなスタンスでいくかは、その社長さん次第ですが、そこは相容れないよなぁ、そして突き詰めれば“ついていけるかどうか”に集約されるんだろうな。

ですが、社員のことを大切にしているという態度や考えをしっかりと持っていれば、時間はかかっても少しずつ理解も深まるのだろうとも思います。

どちらも納得した形におさまればよいな~と願っています。
栄えるには栄えるだけの理由がある
まったく同じ業態でまったく同じ規模、商品レベルそのものにほとんど差のない、この会社とこの会社でどうしてこうも業績が違うのだろうと思うことがあります。

特に地元の身近な会社同士を見てて、よくそんなことを考えます。
こっちの会社は業績好調、あっちの会社は赤字で自転車操業というふうに。
その業界単位でかなり厳しい業界(例えば建設や土木など)、さらに疲弊している(と言われる)地方でも業績が好調な会社はたくさんあります。
なぜそんな差が生まれてくるのか。

いろいろな理由を挙げられると思います。(しかも条件も違ったりするので、単純に比較そのものもできないとも思いますが)

先日そういう疑問に対して一番的を得たような、そうだよな~ととても納得できる答えが見つかりました。

NHKのクローズアップ現代で「密着!女性起業家1000万円コンペ」というのをたまたま観た。⇒クローズアップ現代
その大賞に選ばれた方の受賞理由が「すごい!とうならせるようなビジネスプランというよりも、けっしてあきらめず困難に立ち向かう姿勢こそ、起業した経営者には最も重要な資質であり、その点が評価された」というふうにあった。(たしかこんな趣旨のようなナレーションでした。間違っていたらすいません)

それを観たとき、以前読んだ本のなかで「あすかアセットマネジメントCEO谷家衛さん」の言葉を思い出した。
「これまで100社近いベンチャーに出資してきて、分かったことは『ベンチャーの成否は人で決まる』ということ。経営者はさほど魅力的でないが、ビジネスモデルや技術が面白いと思って出資した会社は、すべてうまくいかなかった。他方で、創業時のビジネスプランはいまいちだけど経営している人がユニークで面白いと思った会社は、なんとか軌道修正して、うまくいった。だから、もう僕はもう、ベンチャー企業の事業計画は見ないことにした。すべては『誰がやるか』に尽きる」:岩瀬大輔著「ネットで生保を売ろう!」

ここでは起業家の話ですが、このことは冒頭にある疑問への一つの答えのように思いました。

やはりその会社の社長、経営者次第なんだろうと。
受賞理由にあるようなことや誠実に仕事をする姿勢、そんなものを持っているか否か、そしてそれを積み上げていけるのかによって変わってくるのだと思いました。

そういえば、私が一昨年から取り組んでいる2件の新しい事業所の建設を、「この建設会社にお願いできたらな~」と思ったのも、その会社が私の職場のすぐ隣の家を建てているとき、その社長さんが(他にも多数現場を抱えているなかで)ほぼ毎朝7:30くらいにまだ誰も来ていないその現場を一人でチェックしているのを見ていて、「この人なら!」と思ったのでした。
(私たちの建物が特殊な建物というわけではなく、一定の規模以上の建設会社であれば同じ予算で同じように建てられるのだと思います)

やはり栄えるには栄えるだけの理由があるんだな。
そしてそんな誠実な仕事を誰かが見ていて次へ次へとつながっていく(ちなみに私と同じ建物を見て、ここに頼もうと決めて事業所の新築をその会社に発注したある法人の理事長さんもいました)。

ちゃんと肝に銘じよう。
次の展開にむけて
会社の次の展開にむけた布石を打っている。

何かをやろうと思うとき、とても意識することがある。
「みんなにとってメリットがあるのか」ということだ。

会社で新しいことや新たな展開を目指すというのは、会社が発展すること、成長することを目指すものであるが、お客様にとって、そして様々な関係者にとってどうなのかということも大切だと思っている。

私たちは利用いただいているお客様がいるからこそ、そしてそのお客様に喜んでいただいているからこそ、存続させていただいている。
そしてさらに社員であったり、行政であったり、地域の方であったり、そういう方たちの支援があればこそ、成り立つものだ。

それらの方たちが「それはいいねぇ!」と言ってくださるものでなければいけないと思っている。
関わってくださる方がそれぞれメリットがあるような、八方良しの状態になることが理想だ。
いろいろなことを精査した上で、そういう状態になれそうなことであれば、進めていこうと思う。

そして先日そんな状態になれそうと考え、決断をした。
いろいろ相談をして、こうしようと決めたことがある。

それがうまくいったとして数年後だ。

そしてもう一つ新しいことをやろうと思うとき、意識することがある
「実現できることを前提とした準備をすでに整えていること」

チャンスは瞬間だ。その瞬間から準備するのでは遅すぎる。
「できそう」となった瞬間に、すでにできるという状態にならなければいけないと思っている。
それがチャンスをつかむということだと思う。

未来はわからないが、準備を怠らずとそういう思いを持ち続け、まわりに発信しつづけよう。
昇級試験を受けます
今日は空手でした。
今となって空手は自分にとっては欠かせない時間となっています。

今日も練習前は仕事の疲労感と腰痛にぐったりしていましたが、練習後はスッキリします。
仕事で疲れているのに、空手でますます汗だくになってヘロヘロになるわ、体も痛めることもあるのですが(今日も手の甲を膝にぶつけてしまって腫れあがっています。痛て!)、不思議と体が軽くなります。
そして普段なかなか頭から離れない悩みや仕事の考え事が、「エイ!」という気合いとともに霧散していくのも感じます。

空手を始めて1年5ヶ月ほど経ちますが、今月21日に昇級試験があるので受けようと思っています。

昇級することが目標ではないのですが、自分の実力を測る機会ですし、励みにもなりますので、チャレンジしていこうと思っています。

初級位の6級から・・・定位置鍛錬と前進攻防一の段、太極初段という一番最初のほうに習ったものですが、受かるようにがんばりたいと思います。

先生の型は、空気が割れるようなビリビリするくらい気迫に満ちています。
いつか先生のように空気が割れるような型ができるようになりたいと密かに思っています。
怒りと虚無
昨年ある親しくしている方が大病した。
ほぼ半年以上入院され、自宅療養も含めると約1年かかった。
その入院もあともう少し後であれば亡くなっていただろうというギリギリのタイミングの入院であり、まさに九死に一生を得たのだった。

親しくしていたことと、奥様と小学生のお子さんたちもいたので、仕事もできず1年療養するというのは大変なことでもあり、とても心配していたのだが、つい数ヶ月前からまわりの方たちのサポートもあって、ようやく仕事ができるまで回復した。

その方の親類が経営する会社に就職したのだが、経営状態は芳しくなく、昨年には金融機関管理のもと大幅な人員整理や資産の売却をするなど債務の圧縮をはかってる会社であった。
その会社の再建を図るべく、勤め始めたのだった。

その会社とも親しいお付き合いをしていたので、私もできるだけの協力をしてきた。
仕事をまわすことしかり、資金繰りの面でも例えば私の会社では月末締め翌月末払いのところを、経理担当の従業員の方より「なんとかお願いします」といわれ月末締め即日払いにするなど、いろいろと協力してきたつもりだった。

その方の自らの生活を成り立たせるとともに、その会社の再建をこれから進めようという覚悟と決意をもって仕事をしていると思っていたのでやっていた(少なくとも従業員の方たちからはそんな気概を感じていた)。お金を前倒しで支払うということの意味を経営者ならばわかるだろうと思う。
そしてこれからも微力ながら人の仲介や仕事の紹介などできるだけ支援しようと考えていた。

そしたらその矢先、その方は高級外車を購入していた。

昨年1年病気のため仕事もできず、ようやくいろいろな方たちの助けを得て体も仕事も生活もまずは得られて、ちゃんと家族もいて、経営状態の厳しい会社で一生懸命仕事をとろうと奔走する従業員たちがいるなかで、「買っちゃった~」と喜んでいた。しかも家族にも誰にも言わずに。

せっかく助かった自分の命のこと、家族の今後の生活のこと、家族やまわりにいる親しい方たちがどれほど心配して、そして無事に復帰できたことを喜んだかという人の気持ち、従業員(とその家族)がいる会社の経営と順風ではないその行く末、そういうことをなんだと思っているのか、怒りとともに虚無感に襲われた。

自分の心配はなんだったのだろうと思った。そして奥様とその子供たちが心底不憫だと思った。
その会社でその方とともに一蓮托生の運命をたどる、まじめに仕事をしている従業員たちが本当にかわいそうだと思った。

たぶん彼にとってはなんの悪気もないのだろう。
どこからそんなお金が出たのか、そんなことを詮索する気もない。
欲しかったから買っただけだろう。
しかしその行為で、失ったものは計り知れない(少なくとも私には)。

私にとってその方の存在は地に落ちた。
あとはもう沈黙しようと思う。

その行為の意味を知る日がくるのか、願わくば今気づいてほしいと心底思う。
だけど気づかないだろう。
人として弱すぎる。
共有できる幸せ
それまで一人で考えていたり、答えを出したりしてきたことが、相談できたり、共感できたりする。
結婚して3ヶ月ほどになるが、妻には本当にいろいろなことを相談している、そしていろいろなことを共有している。

そういうふうにできることが本当にありがたいと思っている。

いろいろなことを共有できることがここまでうれしいことだったり、心強いものだと思わなかった。
というよりこれまで共有できることが幸せだということに全然気づいていなかった。

友人にも仕事のことや自分の決断について話すことはこれまであまりなかった。
なかなか同じような役割をしている人がいないというのもあるし、いくら説明しても理解されにくい、わからないということもあった。

しかし、私の仕事の状況について知らなくても、思いをめぐらして考えてくれ理解しようとしてくれているのを見ていると、話したいと思うし、どう思うのかという意見も聞きたくなってしまう。
なんとありがたい存在なのかと思います。

日々起こるいい出来事も好ましくない出来事も全部共有してくれて、さらに自分の味方でいてくれるっていうことは、この上ない幸せなことだと思っています。

ただ天然この上ないときがあるのが、玉に瑕ですが…。
葛藤
毎日職場ではいろいろなことが起こります。
たくさんの方がいるので、それはもうしょうがないことだと思っています。

いろいろと起こるなかで、先日顔が腫れ、目に内出血のあと、体中にアザをつくってきた女性の社員がいた(だいぶひいてきてはいましたが)。
数日間の有休伺い(理由は私事都合)が出ていたため、休んでいたことは知っていたが、その本当の理由まで知らなかった。

その顔を見て驚き、さっそく事情を聞くと、やはり家庭内でのトラブルであった。
以前から家庭の事情については聞いていたが、ここまで明らかな暴力の跡は初めてであった。
(警察等の公的な機関も介入しているとのことではあった)

私に顔を合わせるのを避けていたとのこと(その気持ちよくわかります)。
会社にも部署にも迷惑をかけたくないとのことで、直属の上司には話していたが、それ以上は話さなかったとのこと。

社員は身内のような仲間ですので、傷ついて涙する社員を見ているのはつらい。そのような行為に及んで傷つけた者への怒りもある。

しかし、ここで自分がどのようなにすることがいいのか、迷いがある。

感情的になること(怒りも励ましも)や、現実的なアドバイスなど何も意味をなさないように思う。
そもそも当事者である本人がそんなことを求めてない、そして私が関わったとして逆に混乱させるだけだ。

私ができることは、ちゃんと私は知っていること(見守ること)とその社員の絶対的な味方であることを伝えること、その社員が現実的な方向にしっかりと向かえるように仕事面で配慮すること。
それくらいなのだろう。
といっても、先週から今週ずっと「これでいいのか」と葛藤していました。迷っていました。

その社員は複雑な事情もあるなか、乗り越えてほしいなと切に願う。
そして私自身ここでもまた強くなりたいと切に思う。

(なんのまとまりもない文章ですみません)
強くなりたい
私はときどき自分の思いや価値観を優先してしまうときがある。
それは相手の気持ちや価値観をないがしろにしたり、軽んじたりすることでもある。

私は相手がどう思うかとか、どう考えるかとか、どう解釈するとか、考えないで(というよりこんなふうに思うだろうと思い込んで)、ズバッと口に出すときがある。

あとからなぜ怒ってるの?なぜ悲しませたの?なんて思うほど気づかないまま、一方的な解釈のまま行動したりする。

つい先日もそんなことがあって、とても大切な友人を傷つけてしまった。
そしてそういうことがこれまでたくさんあったのだと思う。

ここ数日起こったことを振り返りながら、そんなことをずっと考えていた。

普段、人の領域にはできるだけ踏み込まないようにしている(つもりです)。
合わないようなら少しずつ疎遠になっていくだろうし。

しかし身内だったり友人だったりすると、自分の思いがどうしてものってしまい、その人の領域にドカドカと入ったりする。
しかも「その人のため」「絶対これがいい」とか思っていたりするから性質が悪い。

その人に関わることである限り、価値観や行動はその当人のものだ。
誰もそれを強制することはできない。そこで起きる結果もその方が背負うしかない。

だからこそどのようなことであっても、身内や友人であれば特に、温かく見守っていければと思う。

自分の価値観の狭さ、思慮の足りなさに辟易してしまうが、もう無きものにもできないし、現実をしっかりと受け止めていきます。
そしてそれに気づかせてくれた友人に感謝して、また出直します。

そして腕っぷしとか精神的にとかではなく、もっともっと人としての強さを持ちたい。
諦めるとか無関心などではない、見守るということ、様々なことを受け入れること、迎い入れること、それは肯定するということだ。
肯定することは本当に強い人でなければできないと思う。

強くなりたいな。
心身が不一致
日曜から体調がおかしくなってしまいました。

体中が痛いし重い。節々が痛いのですが、風邪とも違う。
全然運動していないのに(といっても2日間だけですが)、なぜか急に足が筋肉痛のようになって、車の乗り降りすらきつい。
月曜も走りたかったのですが、痛くて痛くて走れない。

疲れているのか。
疲れているという感覚がないんだけど、体が動かないな~。
ストレッチすらおぼつかなくなってしまった。
なんだろうな~いつもの感覚ではないし、寝ても戻ってこないな~
などとブツブツ思っていました。

心身が一致していないような感覚だと思って、妻に聞いてみると、全く逆じゃないかとのこと。

むしろ普段気力と体の状態が一致していないそうです。
今の感覚がいつもの体の状態なんだそうで、いつも気力が勝ってるからそう感じないだけだそうです。
いま気力が少し落ちてるから体の状態がよくわかるようになったのだと。

「感じてないだけで、けっこう体は疲弊してるのよ」などと言われ、なるほど~そういうことかと納得してしまいました。

それにしても体がこんな状態だったなんて全然わからなかったな~。

休むこととさぼること、この二つが同義になっているのかもしれません(意識はしてないのに)。
そして仕事についてもまかせられるだけの腹も据わってないんだろうなとも思います。

体が戻るまで少しいろいろなことをセーブしなければ。
これもまた機会だ。

体の状態を意識しないとな~
そしてちゃんと休まないとな~などと思う今日この頃です。
逃げてみて、避けてみて、わかったこと
今年が人生のターニングポイントだと書いたついでに、これまでの人生でターニングポイントだったと思うときを書いてみたいと思います。
(リクエストもありまして)

大学時代が終わりに差し掛かったときに、本気で悩んでいることがありました。
自分が何をしたらいいのかわからない、自分がこれからどう生きていったらいいのかわからない、なんの仕事をやったらいいのか、そんなことを本気で悩んでいる時期でした。(とろとろに甘っちょろい小僧でした)

そこで出した結論は、「逃げる」ということ。
仕事や就職を後回しにして、大学院へ進学することにしました。
幸い、大学時代の成績が良かったため、特別推薦枠というのに入ることができ、無事合格して修士課程に進みました。

そこで研究室に所属するのですが、そこからけっこう厳しい状況になりました。
もともと研究者や大学教員になろうなどと思っていなかったため、まわりとモチベーションが全然違う。研究に対する熱意や基礎学力も違いすぎる。
積極的に人脈を作ろうと学会やいろいろな研究会に参加することもせず、先生たちの資料作りやフィールドワークのお手伝いなども積極的にはやりませんでした。

さらに研究者というのはやはり社会からある意味隔絶している分、少し変わった方たちがとても多く、そういう方たちともどう付き合っていけばいいのか、けっこう悩みました。
夏休みには研究室のOBを交えた研究発表合宿があるのですが、あまりに“変わった”方たちが多く耐えられずに途中で帰ってきたこともありました。(ここでも“逃げた”のです)

なんとか必要単位と修士論文を書くことができましたので、卒業することはできましたが、博士課程に進もうとは思っていませんでした。
そもそも自分が何をしたらいいのか、などという悩みなんかどうでもよくなっていました。これ以上この世界にいて社会から乖離していると、普通の仕事ができなくなると思うようになっていました。

自分にとって不都合なことや嫌なことを避けたつもりが、もっと大変なことになる。
逃げても何も変わらない、それどころかもっとつらいことになる。
そんなことを思い知らされた大学院時代です。

避けたいこと、できたらやりたくないこと、そんなことが降りかかってくることが生きていたら多々あります。
いやでいやでもうどうしようもないこともあります。
しかし、そこを避けていても結局もっと厳しい状況に陥るだけ。

逃げてみて、避けてみて、わかったことでした。

うまく対処できなくても、つらくてつらくてどうしようもなくても、まずはその現実と対峙しよう。

今もそう思っている自分を形づるきっかけとなったあの時代は、私にとってターニングポイントの一つでした。




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