日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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感謝を込めて折り返す
ウィンブルドンの季節がくると、今年も半分終わりだな~と思います。
(ちなみにテニスは全くやったことがありません。本文にも関係ありません。フェデラーのファンなだけですw)

仕事もプライベートも本当に激動の上半期でした。
二年前から計画していた新しい事業所もオープンできましたし、また新たな事業所の建設もスタートできました。それに伴い新しい仲間も数十名増えましたし、私の仕事上の立場も変わりました。
プライベートでもいろいろな別れもありましたし、たくさんのご縁にも恵まれました。

毎年、数十項目の「今年の目標」というものを立てるのですが、今年ほどそれらが思い通りにいかない年はなさそうです。

自分の状況や環境、やりたいことが大きく変わったためなのでしかたがないことですが、それに伴い、捨てなければならないことやあきらめなければならないことがてんこ盛りでした。

それはときに自分の価値観まで変えることもありましたので、つらいな厳しいなと思うときもありましたが、いざ捨ててみると、本当に素晴らしいご縁に恵まれたり、新しいことに挑戦することになったり、たくさんのギフトもありました。世界がまた拡がっていきました。

やはり新しいことをやるためには一度整理しないといけないのかもしれません。
断捨離というのか、これはあきらめようとか、今やるべき事はこれなんだと決断したりする。

変化することをあたりまえの組織に!
状況が変われば仕事も変わる!
などど日頃社員に話していますが、その言葉が今一番当てはまるのは自分でした。

とにかくまだ下半期もありますが、2012年が私の人生のターニングポイントの一つであることは間違いないと思います。

すべてのことに感謝を込めて今年を折り返したいと思います。
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段階を踏む:上棟式
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先日、現在建築中の新事業所の上棟式がありました。

最近では上棟式のようなことをすることが少なくなったとのことで、ご近所の方からも「こんなふうにやるのは久しぶりに見ました」などと言ってくださいました。

今回私たちもいろいろなことを考えて、やろうということになったのでした。

あいにく会議が入っており、参列できませんでしたが、終わったところに駆けつけてみると、とても楽しんでいただいた雰囲気(お餅も撒きますし)が伝わってきました。
またその様子を撮った写真でも、大工の棟梁さんが行う神事が厳かに行われたこと、たくさんの方が集まってくれとても盛り上がっている様子も見てとれました。

地鎮祭や上棟式、竣工式などはとても大切なことだと思っています。
神事としても、そして一つの区切りとしてちゃんと段階を踏むということでも。

「これからこういう形、こういう目的で使わせていただきますので、よろしくお願いしますなどなど」(でいいのかな・・・)ということをその場その建物やその空間に通していく。

そうすることでその場やその空間が(使われる目的のもののように)少しずつ型づくられていく、そんなふうに思います。餅撒きの際に起こる歓声もまた大切なもののように感じます。

家や部屋が、誰も住まなくなっただけでどんどん朽ちていくのを見ると、よくそう思います。

少しずつ形になってきて、私たちやまわりの方たちも「この建物はこういう場なのだ」と具体的に認識しはじめる。
今回上棟式を経て、また一つその場と建物が引き締まったように思います。

まだまだ先は長いですが、まずは「上棟式をやってよかった」と心から思ったのでした。
きっかけと心持ちの差
少し前に友人の旦那さんが、仕事があまりに過酷な状況のため精神的に追いつめられて、辞めようかどうか悩んでいる。もしかしたら旦那の実家に帰るかもしれない。という話を聞いた。

かなり忙しいのと、いろいろな人間関係、会社に対する不信感に疲れ果てているようであった。

つい先日その後の話を聞いたら、しばらく仕事は辞めないことになった。そのため実家に戻ることもとりあえずはなくなったとのことであった。

なぜそうなったの?と聞くと、旦那さんから仕事を辞めたい、さらに実家に帰ってもいいかという話をされたとき、その(友人である)奥さんを一切反対しなかったとのことだった。

毎日「今日仕事辞めたかったら、辞めてきていいからね」と言って送り出したそうだ。

そしたら旦那さんは気持ちも楽になっていき、いま仕事を辞めなくてもいいと考えるようになったとのことだった。辞めるという選択はいつだってできると。

おそらく旦那さんは仕事を辞めたい気持ちと辞めたときの影響など(実家に帰ること、妻の仕事も辞めなければならなくなること等)生活そのものが変化することも考えていたのだと思う。


状況や環境に変化はないのに、ストレスに支配されてつらかった自分と、それをストレスだと思わなくなった自分がいる。
その違いは自分のおかれた(幸せな)環境に気づいたということなんだろうと思います。

ちょっとしたきっかけと心持ちの差でもあるんでしょう。
自分もそういう幸せな状況に気づかないとな。


ちなみに、その友人は(ほんとに今日辞めてきたらどうしよう~)と毎日ドキドキしながら帰ってくるのを待っていたらしい。
ん~これこそ愛だな、愛!とも思ったのでした(笑)
言葉の力
最近、反省も込めてとても大切に思うことがある。
それは「言葉の力」だ。
言葉の力は想像以上に大きいと今更ながら実感している。

思っていることと話すことが一致しているときは言うまでもない。
しかし、意図や真意とは裏腹の言葉であったとしても。言葉そのものの力はけっこう強いものだとなんだと思うことがあった。

心配だと思っていても、「心配していない」と言う。
感謝していると思っていても、「ありがとう」とは言わない。

これらは“心配していない”ことになるし、“感謝していない”ことになる。
その言葉の真意を推し量ろうとすることはできても、やはり発せられた言葉はその言葉自体が力をもっている。

だからそれを言われるほうは、その言葉によって強くなったり、やさしくなったり、弱くなったり、傷ついたりする。(例えその裏腹な真意に気づいていたとしてもだ)

最近そういう私の言葉によって傷つけてしまった人が身近にいる。
というより、たぶんそういう言葉でこれまで多くの人を傷つけてきたのだと思う。

真意をわかってくれるだろうなどと考えるのは甘えであったな。
(でも自分は相手の真意をくみ取れるようになろう)

仕事でもプライベートでも、その言葉の力をちゃんと意識して、言葉で伝えないと。

それには素直になる必要があるのでしょう。
「素直になる」・・・私の大きな大きなテーマです。
見たいものしか見ない、聞きたいことしか聞かない
先週土曜、仙台にて不動産に関する勉強会に参加してきました。
いろいろなテーマがあったのですが、そのなかで私のいる業界と関わりの深い話もあった。

将来有望だとそのビジネスモデルを熱く語っていたが、私が普段仕事をしていて感じていることと大きな齟齬があったので、失礼のない範囲でその場や懇親会にて質問してみた。

しかし、返ってくる答えはその有望だというスキーム(仕組み)とそのやり方の話であった。
私はそれを利用される方のニーズをどの程度把握しているのか聞きたかったが、返ってくる答えはスキームの話ばかりであった。

人は見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞こうとしないもんな(自分も含めて)。
そんなことを思ってあきらめた。(自信のなさ、知識のなさ、そしてそれが露呈することの恐れ、そんなところも感じましたけど。)

その話が将来有望か否かは自分が判断するしかない。
やるもやらないもどうなるかもすべて自分の責任。

儲からない事業はだめだけど、儲けるためにやる事業もだめだ。
勉強会に参加してみて知識として得るものも多かったが、自分はこの人たちとは付き合えない(取引できない)。
そのことははっきりしたな。

いろいろな意味で大変勉強になりました。
仕事をしていて最高にうれしくなる瞬間
「会社の将来はそこに働く社員の意欲の総和にかかっている。(中略)つきつめれば、いかに元気よく楽しそうに仕事をしているかだと思う」:『ライフネット生命社長の常識破りの思考法』
ライフネット生命の出口治明さんの言葉だ。

仕事をしていて最高にうれしくなる瞬間がある。
この仕事や今の役割をしていてよかったと思う瞬間。
大きく分けて2つある。

一つは、お客様に喜んでいただいたとき。
もう一つは、社員が「この会社に入ってよかった」と言ってくれたとき(伝わってきたとき)だ。

このどちらかを実感できるとき、仕事をしていて最高にうれしくなる瞬間だ。

ここ数日社員たちの賞与の明細をお渡しがてら、お一人ずつと面談している。

人数も多くなり、さらに24時間交代勤務であったり、場所も離れていたりと、なかなか会うこともままならず大変ですが、この面談は毎回やっている。
だいたい自分から話すことが多いが、そこでは社員たちが思っていることを感じたり、聞いたりする機会として大切な時間だ。

私にとってうれしいこともあれば、ちょっとつらそうにしているなと感じる方、私たちに不満をもっている方など、社員たちもいろいろな思いを持っている。
それら一つ一つの思いは、私に対する評価として、しっかりと受け止めようと思っている。そういう機会でもある。

私が評するぶん、私が評されることもしっかり受け入れようと思っています。

今日入社して半年ほど経った社員から「仕事はすっごく楽しいです」と言ってくださった方が何名かいた。
様々なリスクとプレッシャーにさらされる厳しい仕事だからこそ、楽しく仕事してほしい、楽しい職場であってほしいと思っている自分としてはとても嬉しかった。
というか、そんなことを言われて泣きそうになってしまった。

とてもうれしい言葉いただきました。
私にとってはご褒美みたいなものです。

そんなご褒美にあぐらをかかず、それはそれとしてありがたくいただいて、また次の瞬間へむけて(そんなふうに一人でも多く言っていただけるように)またがんばろうと思う。
そんなことの積み上げが、いい会社になるんだと信じて。
ストレッチをしていて気づいたこと
毎日できるかぎりストレッチをするようにしている。

筋トレや空手、ランニングをしてもストレッチはあまり意識していなかったが、とても素晴らしいご縁があって、体を柔軟にする大切さを教えてもらったのだ。

そのストレッチしていて気づいたことがある。

例えば屈伸をすると、体が硬い自分はすぐに激痛に襲われる。

痛い~!!となってこれ以上はもうだめだと思うのだが、ここで止めずに一呼吸おいて気持ちを落ち着かせる、冷静になってからさらに体を曲げると、もう一段曲がるのだ(その間ももちろん激痛です)。

それはどんなストレッチでも共通だ。
これはおもしろいなと思った。

痛い!とかつらい!という感覚に気持ちが支配されているとき、自分はもうその感覚から逃れたい一心となっている。
だから限界だと判断してそこで止めてしまう。
しかし、少し冷静になっただけで、さらに曲がっていく。

「痛い」という状態に支配されているときに感じる限界と、体の状態は必ずしも一致してないのでしょう。

それはストレッチ以外のことにも言えるのではないかと思う。

何かあるとそれがネガティブなことであれば、とてもつらかったり、ショックだったり、困惑したり、まずは感情や感覚が先に立って気持ちは支配される。

そんなふうになってしまうのはしょうがない。
やっぱりつらいものはつらい。無理してケガまでしてしまうのも避けたい。
そんな感覚も一つのシグナルだと思う。

しかし、そこでその感情や感覚にすべて支配されてしまっては、何も起こらないしなんの対処にもならない。

一呼吸おいて冷静になって考えてみると、いろいろな対処法だったり、妥協点だったり、なにかしらの糸口は見つかるように思う。

意外に限界まではもう少し距離があるのかも。
まだ先があるのかも!

いつだって冷静でいられるようにならないとな。
難しいんですけど。
見た目にすべてがでる
つい先日銀座を歩いていて一件のヒレカツサンドのお店に入った。

「新世界グリル 梵 銀座店」
その近隣のお店に用があり、偶然見つけてお腹も空いていたので入ったのだった。

食事のメニューはヘレカツサンドのみ。
(大阪に本店があり、大阪では“ヒレカツ”ではなく“ヘレカツ”だそうだ。しかも牛ヒレカツで豚ではない。)
あとはドリンクだけ。

カウンターが7席ほどしかない小さいお店だったが雰囲気がとてもよかった。
味についてはブログの主旨と離れるので書かないが、最高に美味しかった。

とても美味しいのでその店員さんにいろいろお話を伺っていたのだが、そのときの店員さんたちの振る舞いを見てほれぼれしてしまった。

・質問に対する当を得た受け答え
・まっすぐ、そしてしっかりとすわった目
・厨房のなかの凛とした姿勢
・愛嬌もあって品もある佇まい方に話し方、そして落ち着いた声のトーン
・厨房のなかでの無駄のない動きは、まさに職人さんであり、見ていてほれぼれしてしまった。

なにより、楽しそうに仕事をしていた。(ここがとても重要だ)

やはり人は見た目がすべてだなと思う。

ルックスがいいとか、スタイルがいいとかではない。
どんな人であれ、その人の生き様や性格などが、その見た目にでてしまう。

久しぶりにプロフェッショナルな人たちを見た。
そしてそういう方はまわりをとても元気にする。
自分もパワーをもらえました。

いつか自分もまわりを元気にする人になりたい。
そのためにも自分が元気でいないとな。

“一回りする”
平日のゴルフに行けない。行くことに対する罪悪感が強い。
普通に考えれば、この気持ちは至極真っ当なように思うだろう。

普通の人は休日ならまだしも平日にゴルフなんて・・・さぼらないで仕事しろ!というだろう。

しかし、平日にゴルフへ行けるようにならないといけないと思っている。

別にゴルフが好きで好きでしょうがないというわけではない。
仕事がしたくないというわけでもない。

そうではなくて、それくらいまかせられる会社にしないとな、そしてそれだけ度量のある人にならないとなという意味で思うのです。

平日にゴルフへいくという行為は同じでも、上記のように思っているのと、単にゴルフが好きとか、仕事がしたくないからやるというのとはやはり違うと思う。

みんな経験があると思うが、
小さい頃に刷り込まれていた「努力すれば必ず報われる、だから努力しよう」という状態から
年を重ねると「努力は必ずしも報われるわけではない」ということが分かってくる。
そのとき
「だから努力するのは無駄」だと思う人もいる(残念ながらこうなると何も得られない)。
「(報われるわけではない)というのを分かった上で、それでも努力し続けるんだ」という状態へ昇華していく人。

このようなプロセスを経ることによって、その努力が報われる精度が一段とアップするような気がする。
自分のなかでこんなプロセスを経ることを“一回りしてくる”と言っている。

それはその行動の解釈・意味が変わることになる。
ここでいえば努力やゴルフの意味が変わるように。

ゴルフは「単なる遊び」から「自分を試す機会」という意味になる。

この意味の転換がいろいろなことをするのに重要になってくるように思う。
モティベーションを維持すること、一層励むようになること等。

そして様々な物事はこの転換を経ないとなかなか実現させてくれないようにも思う。

ゴルフについては、今はまだ一回りできてません。
いつか一回りしてきたいなと思う。
バトンを受け継ぐ
「ゼロを1にする苦労に比べたら、1を100にすることなんて苦労のうちには入らない」
親父の苦労に比べたら自分の苦労なんて足下にもおよばない。
いつも自分に言い聞かせている言葉だ。

亡くなった父が今の会社を始めようとしたとき、周囲は猛反対であった。当時私は小学生。
「絶対やめろ」「うまくいくわけはない」「儲からないと聞いた」そんな声の大合唱であった。
唯一、母だけがやってもいいと言った。祖父も了承していたが、亡くなっていた。
結局当時勤めていた祖父が興した会社を半ば強制的に退職させられ、今の会社を始めた。

しかも開設するにあたって役所からの認可が必要であったから、その認可をとることでも苦労した。
無認可でスタートして結局認可をもらうのに8年待った。「当時全く眠れなくなった」と言っていた。
許認可というのはいろいろな背景や利害が絡み合うものだと私も勉強になっている。
その間様々な人たちの支援もあった。父と関わってくれた役所の方たちがなぜかどんどん出世していったとも言っていた。

(それが今では「お父さんは先見の明があった」などと言われる。評価いただくことは嬉しいが、世間の評価というのはなんとも気まぐれで後付けだ。先を見通してやってきたわけではないことは、母が一番よく知っている。ただ目の前のことにひたすらあたってきただけだ。その他にも様々な苦労を聞いた。小さい頃生活に苦労したという記憶はあまりないのだが、一歩間違えればすべて失うようなギリギリの状態のなかにいたことを大きくなってから知った。なんとも愛されたおめでたい息子であった。)

先日役員の改選があり、設立当初から役員として20年以上会社を支えてくださった方が勇退された。
父の弔辞を読んでくださった方でもある。
その役員会のあいさつでその方への感謝の言葉とともに、当時のいろいろなお話を伺った。
なんども父と役所へ陳情にいったこと、当時会計ソフトもなく一つ一つ手書きにて決算書を作成していったことなど。

この方を含めて、本当に多くの方のご支援があって、今がある。
その感謝の気持ちをどういう言葉で表すことができるのか、適当な言葉が見つからない。
ただただ感謝の気持ちで一杯だ。

今また一つバトンを受け継いだように思う。
私は父やその方たちの苦労や支援の上にいさせていただいているだけだ。

自分にできるのだろうかといえば全く自信がない。
しかし、喜ばれるものを一生懸命創っていく。その決意だけは自信をもって「ある!」と言える。

私もいつかそのバトンを引き渡す、そのときまで。

(その役員の方をお見送りする際に、そのお帰りになる背中を見ていて、今書いたようなことを思いました。)
常識が変われば
社員たちに話す機会があると常に言っていることがある。
「常に変化する組織でいましょう。変わることを風土として持っている組織でありましょう。」

半年前に産休に入った社員が育児休暇を経て、今月から会社に復帰した。
とても優秀な方なのと家庭の事情により配属先が限定されるとのことで、産休に入る前にやってもらっていた仕事にそのまま復帰してもらった。

その部署は、4月になって実績が落ち込んでしまった部署であった。
彼女の配属は、様々な対応策の一環でもあった。力を発揮してほしいという。

復帰前にその社員と面談をして、その部署の現状とその対応策、そしてやってもらいたいこと、期待していることを話し合っていた。

それらを聞いた彼女は「半年前と仕事の一番重要な部分が全く変わっているんですね」と驚いたように言っていた。
そして「あまりに違うので、なんだかできるのかドキドキしてきました」とも言っていた。(あなたならできる!と言いました)

その変化を少し具体的にいうと、それまでの仕事は連絡・調整が主な仕事であったものが、いかにお客様を確保するかという「営業活動」がメインの仕事となった。

このようにたった半年でもそれまでやっていた仕事が大きく変わることはよくある。
状況が変わり(今回の変化は外部環境が変わったことに起因している)、それまでの常識も変わったのだ。

常識が変われば、やること(仕事)も大きく変わる。

その変化に気づくこと、そして抵抗するのか、過ぎ去るのを待つのか、適応していくのか、いろいろな対処法があると思うが、私はそうした変化にはすぐに適応していかなければならないと思っている。

いつだってそういう変化は緩慢だが、確実に起こっている。
そういう変化に合わせて即座に適応できる会社こそ生き残っていけるのではないかと信じている。
覚悟
(少し重たい言い方ですが)自分にとって社員を採用するというのは、その人の人生の一部を背負うことだと思っている。

その方の時間をこの会社に費やす“重み・責任”というものを常に感じている。

余談だが社員が家を建てたといえば、この先数十年のローンをうちの会社に勤めながら・・・と思えば、私も勝手にドキドキしたりする。(あと俺もがんばる!って思う)

それくらいの“覚悟”をもって会社の経営にあたっている。
会社の存続と発展という経営者としての責任は全力で果たそうと思っている(なんだか熱い!)
それがこの会社に勤めていただいている方たちに対する礼儀だ。(お給料をたくさん払いますというのとも違う。)

もちろんその人の人生はその人のものなので(その人のローンだってその方のものですし)、そんな私の覚悟を強いることはしません。
仕事が合わなくて辞めていくこともありますし、辞めていただくこともあるかもしれません。
辞めていただくこともまた会社の存続のために必要なことと判断すれば、ズバッと実行します。

静かに背負い覚悟しているのです。

だからこそ、採用するにあたり、そして一緒に仕事をしていくにあたり、従順である、言うことを聞く、甘言をいう、そんな私にとって心地よいだけの人を採用したいということはありません。
会社にとって必要な存在になりうるかという視点が大前提にあります。(特に我々のような中小企業であれば一人一人の力がとても重要です)
心地よくても仕事ができなければ、会社が存続できません。(これもあたりまえですね)

ものすごくまわりくどい言い方になってしまったが、それは結婚などにもいえる。

最近結婚しようと考えている人と話していたとき、その方の話していることに少し違和感を覚えた。
結婚というとても重要なことを、“自分にとってどうなのか”という視点だけで見ているな~と思ったのだった。
(好きでいることが前提にあるとしても)一緒にいて楽だ、自分に何でも合わせてくれるなど、自分にとって都合のいいような面だけをみて、「この人なら!」と思うのはとても安易だと思うのです。

そして時間が経過していくことで、そうじゃない面がでてくると、そんなことは考えもしなかったとかそんな人とは思わなかったとか言うのではないかとも思う。
なんとも安易で浅い決断だ。

結婚するのであれば、その方のすべてを背負う覚悟がなければ一緒にならないほうがいい、全部受け入れますという心構えをもった上でするほうがよい。それでも別れることもあるでしょうが。

そもそも何もかもがピッタリなどという方はいない、そして生きてたら突拍子もないようなことがいくらでも起こるし降りかかってくる。
そんなとき「こんなはずでは・・・」と思うか、「一緒ならばそれもまたよし」と思うかはその方の性質かもしれないが、その思い方ですべての世界が変わってくる。
願わくばそれらを受け入れられるだけのパートナーであってほしいと思う。

あまりそんなことまで考える人はいないのかな、私が考えすぎなのかな。

一緒であれば、思いがけず身に降りかかってくるものすべてを良しとする人に自分はなりたい。
評することは評されること
本日もボーナス関連のお話です。

「書評を読めばその本のこともわかるが、その書評を書いた人のレベルもわかってしまう。批評するってとても怖いものなんだよ」は学生時代の指導教授の言葉だ。

連日ボーナスの査定のため、各部署のマネジャーやリーダーと面談している。
100名以上いる社員について担当マネジャーたちから一人ずつお聞きしている。

・その担当部署の社員たちに対してどのような認識・見方をしているか
・現在の担当部署をどのように考え、どのようにしていきたいか
・今抱えている問題にどのように対処しているのか

その他にも普段の仕事で感じていることや仕事の悩みを聞いたり、励ましたり。
私といろいろな問題に対する認識を共有することで、マネジャーさんたちが孤立しないように、逆に(把握してますよと伝え)緊張感をもってもらうようにすることも面談の目的です。
(いろいろなタイプの方がいます。とても能力があるのに全然自信のない方、逆にすぐ調子にのっちゃう方、その方の性質に応じて接し方や話すことは変えています)

すなわち私とマネジャーさんたちは、その担当部署社員のことを一人ずつ話し合い評するのだが、そのプロセスのなかでそのマネジャーさんたちも私から評されている。
自分のチームをどのように思っているのか、そこからそのマネジャー像が見えてきます。

ということは、私もその方針や対処法などによってマネジャーさんたちから評されていますし、その評価(ここでいえばボーナスの額)によって社員からも評されています。

社員たちも自己評価とまわり(会社)の評価にあまりに違いがあれば、正当に評価されていないと思うでしょうし、場合によっては辞めていくでしょう。それも私(の会社)に対する評価です。

評することはそれだけ自分を晒すことになる。
どんな立場や人であろうと、評することは評されること!肝に銘じておきたい。
誰も分からない誇り
6月はボーナス月です。
うちの会社の場合、夏は6月、冬は12月なのです。

経営者であれば、常に資金繰りのことは頭から離れないものですが、今年は新事業所の開設もあり、昨年暮れあたりから今月のボーナスのことを考えていました。(5月あたりまでフローが薄かったのです)

ボーナス月というのはお支払いするほうからすれば、通常のお給料を振り込んでから、さらにそれよりも多いお金がまたすぐでていく月ですので、それはそれはすごい衝撃があります。クラクラしますね(笑)

計算上は通常の資金繰りでいけると踏んでいたのですが、昨年のように震災があったりしますので、全然計画どおりには進まないものです。
今年もトラブルがあって稼働を止めるときもありましたし、思ったような実績があがってこなかったりと想像どおりにはなかなかいかなかったです。

そんな状況でもどうにかするのが私の役割なので、万一のことも考えていろいろな方策を練っていました。

そんななか先日しっかりお支払いできる!と確信するにいたり、とてもホッとしました。
(払えるとしても会社のお金がスッカラカンになってしまってもいけないので、安心できる運転資金も確保した上でです)

ですが社員たちからは、「(金額が)少ない」とか「もらうのはあたりまえ」などと思われても、「よく払ってくれた」なんて言ってはくれないもの。

だから払えるメドが立ったとき、ヨシ!と一人でガッツポーズしました。
誰も分かってくれませんが、社員たちとの約束を果たせたことを“誇り”としてもっています。
飲み会に行かない理由を考えてみる
昨日はある集まりがあり、多くの社長さんたちにお会いした。
いろいろな話題がでたが、その一つに“夜はほぼ毎日家にいない”というのがあった。

いろいろな集まりがあるようで、毎晩~協会や~協議会などの会合という飲み会があるとのことだった。
たまに夜家にいると「どうしたの?ご飯食べるの?」、9時前に帰ると「具合が悪いの?何かあったの?」と家族から言われると。

たしかにお正月や総会シーズンになると、毎日毎晩飲み会が続いている方はよくお見かけする。
2月に入ってもまだまだ新年会が終わらず、日中気持ち悪そうにしている方もいらっしゃる。
そういえば、うちの親父も小さい頃は平日の夜はほとんど家にはいなかったな。

たしかに同じ立場の人同士でないと、分かち得ないことは多々あります。
そういうつながりが次の仕事につながることもあれば、助けられることもあるのでしょう。

ですが、私はそういう集まりにほとんどいきませんし、いろいろな団体にもほとんど所属していません。
ですので、知り合いも多くないです。

なぜそんなに飲み会などの“会合”に行こうと思わないのか、少し考えてみました。

・私はあまりお酒が飲めないのと、人付き合いが得意なほうではないこと。(わがままであまのじゃくな性格だと思います。)
・今の自分にとってとても大切なものは時間なので、その時間がかなりとられることに耐えられないこと。
・年齢的なこともありますが、まだまだ知りたいことや勉強したいこと、やりたいことがたくさんあること。

考えてみると、そんなところなんだろうと思いました。

今週は昨日に続き明日も飲み会ですが、週に2回も飲み会があるとやりたいことができないため、めまいがしてきます(笑)
明日の飲み会はお付き合いではなく、行きたいと思って行くのですが。

逆風でこそ
「“逆境”こそ最良の教育者である」はチャーチルの言葉だ。

4月に、ある部門の数字がかなり落ち込んでしまった。
外部環境の大幅な変化があり、かなり厳しい数字になることを予想していたが、その通りの結果になってしまった。

すぐにテコ入れしようということで先月様々な手を打とうとしていた。

そんなことをしていたときのこと、
ご意見番のようなご年配の役員さんに役員会資料を持っていった際に、
「最近あの部門はどうだ?」と聞かれ、「正直かなり厳しい状況です」とお伝えしたら、
満面の笑みで「よかったな~!順風なときっていうのは、みんな慢心するんだ。厳しい状況じゃなければ人と会社は成長せん。それははとてもいい状況なんだ。逆風でこそ人も会社も磨かれるんだ。」とおしゃってくださった。

う~む、なんて勇気づけられるお言葉なんだ。
最初に書いたチャーチルの言葉を思い出した。
まずいな~と凹んでいた気持ちがシャキッとした。

まずは事実とデータを分析してロジックを組み上げていこう。その積み上げたロジックを元にした策を必ず実行していくんだ!と自分の背中を押されたように思います。

こんなことを大所高所から話してくださる方がいてくれるのは、本当にありがたい。
自分はなんて恵まれているのだろうと思います。
環境を変えて休む
数ヶ月前からお芝居のチケットをとっていたこともあり、上京しがてら休日を満喫してきました。

・目覚ましをかけないで寝る
・一日一スケジュールだけにする
・好きなものを好きなだけ食べる
・ぶらぶらする
それはそれは夢のような生活でした。正味2日間。

いつも上京する際には普段なかなか会えない友人たちに会うことと、日頃やりたいと思っていることをすべてやるために、スケジュールがびっしりになっていたのですが、それらを止めてみました。

そんなことはとても怠惰なこと、もったいないことだと思っていたのですが、嫁の希望もあり二人だけでぶらぶらと過ごしてみました。

おかげで久しぶりに心身共にとても軽くなったように思います。

私にとっては環境を変えるというのはとても重要なことです。
ずーっと仕事のことを考えていたりするので、場所・環境が変わると気が楽になります。
そういう意味で上京するのはとてもいい気分転換です。全く知らない土地ではないところも、友達が多くいるというのもとても重要な要素です。

田舎と都会それぞれの素晴らしいところを味わえるのは、とてもありがたいことですし、いろいろなものに触れて刺激になります。
(よく田舎には何もない、都会にはいろいろあると言いますが、自分的には田舎にあるものが都会にはなかったりしますので、価値としてはどちらも一緒です。田舎と都会を使い分けてます)

怠惰な日々と引き替えにジャケットのボタンがきつくなるほど体重が増加しましたし、お金もかかりますが、それ以上に有意義な休暇でした。

今日からまた仕事もダイエットも運動もがんばれそうです。
“できれば見たくない現実(自分の体重など)”を直視するところから始めたいと思います。
また一歩ずつ。




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