日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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「できるよ」と言い続ける方たち
普段こんなふうになれたらいいなぁと思っていることの一つに「人をやる気にさせる人になりたい」というのがある。
経営者として人材を育成するためにも、そして個人としても、まわりの人間を勇気づけ、その方の持っている資質や能力を開花させられる人になりたいと思っている。

社員のなかでもとても素晴らしい力をもっているのに、自分では気づいていない、または自分には絶対無理だと思い込んでいる方がとても多い。
自分で自分の限界を決めてしまっている方はとても多い。かくいう私もそういう面は持っている。

そんな方たちを見てもったいないな~と思うのだが、そういう力を引き出せない自分の力不足でもある。
(ただ会社であれば、素晴らしい能力を持っていると思えば、組織上異動という職務命令で、見合う役割を(本人はできないと思っていても)担ってもらうようなことはできるので、よくやってます…「大丈夫!やってみて!」と)

先日そういうことを実践している方たちにお会いした。
その方たちは強制するわけでもなく“なぜあなたならできるのか”という理由と、「だからできるよ~」とおしゃっていた。
そんなところを垣間見ていて、この方たちはほんとすごいな~と思う。

「あなたならできる」と言っても実際やるのは本人だ。
本人がやろうと思わないかぎり、そうはならない。だから強制させることもできないし、結局何も変わらず“励まし損”になることだってある。

だからこそそんなことを話してくださったり話していたりするのを見ていて感動してしまった。
これはとても強くないとできないことだと思うからだ。

まわりの人たちをやる気に・元気にするような人になりたい。
励まし続ける人になりたい。
それには自分が強くならないとな~
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現状にも不満、だけど変えることにも不満
先日テレビをちらっと見ていたら「そうそう、よくこんな場面に自分も合うな」と思ったことがあった。
たしか海外へ輸出することに活路を見出そうとするリンゴ農家とそれに取り組む方たちの番組であった。

(海外ではリンゴは高値であるのに)「自分たちの取り分が少ないのはなぜか」
(取り分を多くするため直販しようとする方たちへ)「こんな状況なのに、ほんとにできるのか」
「すでにいろいろな業者がいるのにできるのか」

リンゴ農家の方たちは今の現状に満足していないのでしょう。加えてこれまでと違うことをやろうとすることもとても不安なのでしょう。
これまでやっていた常識と違うことをすることはある意味恐怖なのでしょう。

人は現状に不満を抱いているが、現状が変わることにも不満をもっている。(方が多い)

何かをやろうとするとそんな常識や不安が最大の障害だったりする。
そしてそれが社員や利害関係者など多数となるとときには猛烈な逆風となる。
自分一人ならば、どんどん進んでいくこともできるが、一人でできることというのはほとんどないため、結局は説得が必要となる。

そんな堂々巡りの不満を打ち破るだけの情熱と計画と行動がなければ、なかなか説得できないし、実現しない。(かといって“うまくいく”という保証もない)

自分もそんな状況になることがあるが、私の場合は自分の会社に限れば“立場と役割”からスバッと押し通すことができる。しかしある意味“対等”や“パートナー”な関係というのはとても厳しいものだと思う。(~協会や~協議会みたいな団体が意見集約できず結局何も決められずにいるのをたくさん見ます)

ここではリンゴ農家の方たちの現状を打破することもその計画には含まれているはずだが、その農家から不満を突きつけられる。
そんな厳しい状況をテレビを見ていて「どこでも一緒だな。がんばってほしいな~」と思ってしまった。
自分で選んだ道ですが
ここ数週間けっこういろいろなことがあって、心身ともにかなりしんどくなってきている。
体に力が入らない。要は疲れているんでしょう。

状況は同じ(でも起こることは華やかすぎる)なのに、体や気持ちに余裕がなくなってくると、感じるプレッシャーも100倍くらいになってきます。

というわけでブログに書きたいと思うテーマも少し偏ってきて、なんだかもういろいろなものが“重い”というテーマになりつつありました・・・。やばいな~。

今週末は環境を変えていろいろな方にお会いして、いろいろなお話を聞いて、少し気持ちを入れ替えてきたいと思います。

そして今日は久しぶりに社員たちとの飲み会にいきます。
普段ほとんどいかないのですが、こんな心持ちをなんとかリセットするためにも、そしてまた日頃がんばってくれている社員たちを労うためにも参加したいと思っています。
儲けている社長は腹黒い?
先日ある方から「地元で腹黒い社長って誰ですか?」という質問を受けた。
なぜそんなことを聞きたいの?と聞いたら、「いやー腹黒くないと儲けられないと思いまして」とのことだった。
自分んとこの社長は?と聞いたら、「ド腹黒い」とのことだった(笑)

利益がでている(儲かっている)経営者は腹黒いというイメージがあるのでしょう。

私が尊敬する経営者の方は利益を出している方だ。私自身も売り上げよりも利益とキャッシュフローが重要だと思っている。

利益が出なくても、まじめにやっているから、誠実にやっているからというのは単なる方便にすぎない。
なぜなら赤字ということは会社の存続を担保できない事態だからだ。
経営者の責務としての最大かつ最終的なことは「会社をつぶさないこと」だ。

赤字でも黒字でも会社がつぶれるのは資金繰りがショートしたときだが、赤字であればその可能性は一気に高まる。足りない分は内部留保か借り入れで賄わなければならない。
つぶさないために利益は絶対に必要だ(あたりまえですね)。

「利益と社会的責任との間にはいかなる対立も生じない。真のコストをカバーする利益をあげることこそ、企業に特有の社会的責任である」
「利益は目的や動機ではない。事業を発展・継続させる明日のためのコストである。」
これらはドラッカーの言葉だが、全くその通りだと思う。

利益は会社の存続という目的を果たす重要な手段である。
しっかりと利益を出せているということは、少なくとも経営者の責務を果たしていることになる。そしてそれは利益がのるだけのモノ・サービスを市場に提供し、それを買ってくださる方がいるということでもある。

もちろんその利益だけが事業の目的や動機になっている方もいる。
その利益の出し方が仁義に欠ける方もいる。そういう意味では腹黒い方もいる。

しかし、そういう方も含めて一緒くたにされてしまうのは残念だと思った。

そしてそういうイメージを持っている人はとても多い。
経営者であってもそう考えている方が多い。
自分のまわりにも「あいつは儲けてる」と妬まれ(それのどこが悪いんだろう?)、まるで悪いことをしているかのように萎縮している方はとても多い。私と同世代くらいのあまり免疫のない方たちなどは特に。

雑談程度の話であったが、日頃感じていたこととつながって少し考え込んでしまった。
引っ越しして感じたこと
細かいところはまだまだですが、引っ越しも無事終了して新居もわが家らしくなってきました。

引っ越し作業では、出てくる持ち物などを通して自分の生活や大切にしていることなどを確認する機会でもありました。

普段はあまり気にかけているものではなくても、大切にとってあるものや大事にしまってあるものを掘り返してみて、自分が何を大切にしているのか、おおげさにいえば人生で何が重要なことなのかを再確認できました。

特に今の自分を形作る要素になっている本と、いろいろな方からもらった手紙、そのとき考えていたこと対処していたことが綴られた手帳、様々な場面を切りとった写真など、それら以上に大切なものはないなと思いました。

人生は“思い出作り”だと思っているので、そんな大切にしまってあるものを見ていて、それほどずれてはいなかったな~と少しうれしく思いました。(いろいろあったな~なんて過去を振り返るにはまだまだ早すぎるのでそんな感傷にふけないようにしてますが)

そういう意味でも今回の引っ越しは単に住む場所を変える作業ではなく、自分を振り返る作業でもありました。

さてこれからどんな“すばらしい思い出”をパートナーと共につくっていけるのか、楽しみです!
いろいろ起こる(笑)
今日夜に残って仕事をしていると、社員の一人が「すみません、さきほど車をぶつけてしまいました!」とかなり動揺・動転した様子で駆け込んできました。

ケガはない?単独?ときくと、ケガもなく自分の車の操作を誤り、会社の駐車場に停めてあった車にぶつけてしまったとのこと。

誰もケガしなくてまずはよかった、誰の車にぶつけちゃったの?と聞いたら、私の車であった(笑)

本人はかなりショックのようで少し涙目でしたが、傷も凹みもたいしたことないのと、そもそも直せばいいことなので、全く気にならないレベルでした。

ただ言われた瞬間、「へ!俺の車!」と思ったのと、“毎日いろんなことが起こる”なんて書いているブログのネタとしておもしろいじゃないか!と思ってしまった。というかむしろそっちのほうが強く。

そして本人にも「全然大丈夫。気にしないでください。ただおもしろいからネタとしていろんなとこで使わせてね」といってあります(笑)

というわけで毎日いろんなことが起こっております(笑)
備忘録:山口絵理子著「裸でも生きる」を読んで
裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記 (講談社BIZ)裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記 (講談社BIZ)
(2007/09/22)
山口 絵理子

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ライフネット生命の岩瀬さんが講演のなかで薦めていたのをきっかけに読んでみました。
著者の学生時代から途上国援助を志し、バングラデッシュでのジュートを使ったバック作りに励む半生が綴られている。
すさまじい話がたくさん出てくる。
バングラデッシュでの裏切りの場面はあまりにもつらく血の気が引いてしまった。

主に2点挙げる。
・本当のリスクってなに?
何かをやろうとすると、そこには必ずリスクがあると思ってしまう。
しかし、これを読むとそれは自分が作り出す幻想であることがほとんどだと言われているように感じる。
「この先どうなるのだろう?」と不安になることもあれば、「絶対に無理、失敗したらどうすの?」とまわりから言われることもある。(この著者も言われまくっている)

しかし自分の生活がどうなろうが、今日生きるために生活している人から見ればまだまだ恵まれている。挫折・失敗=死というわけでもない。
そんなことを実際に体験して、リスクなんてほとんどない、考える必要もないと思わせてくれる。

本当の意味でのリスクとは自分のやりたいことをやらずに人生を送ることだと教えてくれたように思う。

・行動力がすべての困難さを圧倒している
この著者の行動力がすごいというよりもすさまじい。
思い込んだら必ず実行する。

無計画や無知という言葉も、その行動力の前ではなんの意味ももたない。
しかしその行動力が万能なわけはなく、社会は“困難な現実”という素晴らしい機会を与えられる(もちろんそのつらい状況にいれば“素晴らしい機会”だなんて思わないですが)。
そしてその現実の前で泣きに泣き、絶望するだけ絶望して、また動き始める。

すさまじい行動力によって願望が現実へと昇華していくプロセスを見せてくれる。
本当に勇気づけられる。

マザーハウスのホームページを見た。
会社としてものすごい成長をしている。
なんだってそう、始めは何もなくただ“思い”だけがあったのだ。
本当に勇気づけられ、励まされる著書であった。
ここ最近の雑感
ここ最近は仕事でもプライベートでもなにかと起こったり、やるべきことが目白押しだったりしてます。

その一つが引っ越しです。
今月引っ越すことにしまして、その転居先を決めることから始まり、手続きやら新生活に必要なものの準備などに追われていました。
ようやく今日から引っ越しの段取りを組めるところまできました。時間は確実に流れていくため、動かざる得ないのはありがたかった。

仕事で大変なことが起こってしまい休みがとれず、不動産屋で物件を紹介してもらってそのまま職場へいったりと、各方面にはいろいろと迷惑をかけましたが、びっくりするくらいスムーズに物件が決まるなど(後日書きたいと思います)、こちらのほうはほとんど滞るような状況にはならず、あとはどんどん進んでいくだけというところになったのはありがたかったです。通るときは通っていくな~。

さて引っ越しをどう段取りつけるか、いかに楽に終わらせるか(笑)、考え中です。

ここ最近は仕事もプライベートもひたすら追われているので、なかなか休まらないのがつらいところです。
いつもと変わらない日常のありがたさを実感する日々です。(そんななかでも空手にもいけて、走れて、おいしいご飯が食べられるのは、ほんとうに感謝感謝です)

さて明日からまた新しい週の始まりです。引っ越しを実行する週でもあります。
とりあえず日曜に起こったことの対処からスタートします。

明日から何が起こるのか、このドキドキがワクワクに変わる日がいつかくるのか、慣れる日がくるのか。
未来はわかりませんが、全力で当たって、砕けちゃうときは砕けちゃっていいんじゃない!と思っています。
人間関係が変わる
以前は心地よかった人との関係が変わってきたり、何かのズレを感じるように思ってしまうことがある。

時間とともにいろいろな経験や知識を積んでいけば、人は誰しも変わらざるをえない。

そこで相手が離れていく、自分がズレを感じる、そんなときはそのどちらかがすでに変わったということなのだと思う。

そんなときは自分がその方に合わせて付き合っていくか、もしくは疎遠になっていくしかない。
友人だったりすると、たいてい知らず知らず疎遠になっていったりする。(“疎遠になる”というのは時間が合わないとか、距離が遠い、会う回数が少ないなどとはまた違う)

私は疎遠になる、付き合いがなくなるということは悪いことだとは思わない。
しかし、そういうことをしたくないという方も多い。

そのズレを感じているにもかかわらず、続けようと思いたい気持ちも分かる。もしくはそのままにしておこうという気持ちもよく分かる。
親しかった方と疎遠になるということはとても寂しいことでもある。

しかしそれを放置していたり、向き合わずにいたりすると、自分がどんどんつらくなる。
自分をごまかしていかなければならなくなる。

そんなズレは変化をもたらすシグナルなのでしょう。
もちろんそれを機会ととるか、許容できる違和感ととるかはそれぞれなのだと思いますが。

次!
ここ数日頭を抱えていたこと、対処していたことがようやく雪解けとなる。
懸念していたことがいろいろと表面化してきてとても大変でしたが、全力で向き合ったつもりです。

ゴールデンウィークもとんでしまったことで、いろいろと迷惑をかけたところもありました。
そして私の下した決断によっていろいろな意味で気持ちが揺さぶられた社員もいました。
しかし、ここを一緒に乗り越えた社員とはますますつながりが強くなったように思う。

失ったもの、苦しんだこと、ここから学んだこと、今後はそれらがあってよかったと思うようにしていきたい。

まだもう少し影響はありますし、対処しなければならないこともありますが、信じたことをしっかりとやりつづけていくしかない。

まだまだやるべきこと、やらねばならないことがたくさんあります。
さぁ、次!
初期対応で決まる
会社では毎日いろいろなことが起こる。
たまには平穏な日というのもあってもいいのにと思うくらい、もういろいろと。

そのなかには即断の対処を求められることもある。

そんなときとても大切だと思っていることがある。
「起きたことへの初期対応でその後が決まってくる」ということだ。

初期対応でやることは大きく分けて2つ
・事態の徹底的な把握と具体的な対応策をしっかり指示すること
・これは「重大なこと」だという危機感を現場に醸成すること。

前者はある意味当然のことであるし、現場のマネジャーたちや専門職にまかせることもできる。
しかし後者の危機感(非常事態)は、私が(ピリピリしながら)現場に直接でていくことで醸成される。
私の役割という意味では後者がとても重要なことだ。

これまで実際の対応は変わらないのに、小事が大事になってしまったことがある。
その違いは緊張感のなさ、危機感のなさではないかと思っている。

緊張感の有る無しでその対応策が徹底されるか否かが決まる。
私もそうだが、人は楽なほう安易なほうに流されるものだ。

私から発する雰囲気をみんなが感じているので、大げさといわれてもピリピリとした雰囲気を出すことが大切なのだと思っている。それが安易な方へと流されない重しとなる。

どんなことがあっても、そんなスピード感をもった初期対応がその後の明暗を分けるように感じている。
だから起きたことから逃げたり、目をそらしたりするのはいかんのです(・・・自分に言っています)

そして今日も、
今できることはすべてやったのか。
やり残したことはないか。
これでよかったのか。
自問自答しながら事にあたっていこう。
気をつかうより気をきかす
相手のことを思ってやることと、相手が望んでいることをやることは違う。
私自身いつも反省しなければと思っていることだ。

特に身内だったりすると「こうしたほうがいい」などと言ってしまう。
しかし、いくら身内でももうその人の人生を歩いているのだ。親しい友人でもそれは同じだ。

自分もそんなことをされるときがあるが、「う~む、気持ちはありがたいがうれしくない」と思ってしまう。なのに自分もやってしまっている。

やっているほうは「相手のため」と思っているため、良いことだと思っている。
しかし、されるほうからすればただただ余計なお世話でしかない。
しかも「自分のためにしてくれている」とも思うため、むげにもできない。

結局厚意は相手が望んだことをして始めて成立するのだと思う。

“気をつかうことより気をきかす”
“相手のためより相手の立場で”

いつだって肝に銘じていたいが、なかなかできないものです。
“分かち合う”
私の役割柄、仕事上のことを共有できる人はなかなかいない。

いつも一人で整理していたことを共有できたり、心情と振る舞いが一致しないこと(例えば哀しい状況だけど笑顔でいる等)を分かっていてくれたりするだけでもうれしかったりする。

そんなふうに分かち合ってくれる人がいるというのはなんてありがたいものなんだろうとしみじみと思う。
そして自分もそんなふうに分かち合っていきたいとも思う。

そんなことを思い、そしてただただすべてのことに感謝申し上げる日々です。
“情”を御する
人と接していると、情に訴えられることは多い。

泣かれたり、哀しまれたり、憎まれたり。
こちらの不安や恐怖を煽るような言動をしたりといろいろなバリエーションがある。
それを受けて自分の感情も敏感に反応する。うろたえたり、流されたり。

私もいつも気をつけているつもりだが、いざそういうものに晒されると気持ちがゆさぶられる。
冷静に考えれば、そのつらそうで哀しそうな表情、逆に冷静でいられることは、ある事態とはつじつまが合わないのだが、その表情そのものに影響されてしまったり。

漫画「陰陽師」に「鬼というのは感情のゆらめきを最大限利用してくる」という場面があったことを思い出す。

自分の感情を一切遮断することはしたくない。
しかし、そのゆらめきはできるだけ排除して理性的に決断していきたい。そのためにも知識も大義も必要だ。

ここ数日そういう人間の情をさらに知る上で大変勉強になることがあった。
かなり深刻な事態で、猛烈な感情の嵐にさらされたが、サポートもあってなんとか乗り越えられそうです。




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