日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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戒め
「どんな状況であれ、どんな境遇であれ、自分がいかに恵まれた環境にあるのかという自覚を持とう。そしてそこから生まれる感謝と礼儀を忘れてはいけない。」

今の自分はまわりのいろいろな人たちに支えられて、むしろその人たちの生を分けてもらって生かされている。
金持ちだろうと、貧乏だろうと、完璧な状況など存在しえない。なぜなら自分の心持ちがその世界を創り出してしているからだ。つらく厳しい世界だと思えば世界はつらく厳しいものになるだけだ。だったら自分の今ある状況を素晴らしいものだと思って生きていったほうがいい。

だからこそ自分は恵まれているという自覚を持っていたい。
世界はそこにあるだけで、解釈は主観でいいのだ。そう思ったもん勝ちだ。

父が亡くなってから、その父からのつながりやご縁に本当に助けられていることが多い。
様々なご縁の種をまいてくれたのは父も含めてまわりの方であったり、自分が今こうしていられるのも、新しい事業をスタートできたのも、そのために多くの人たちが動いてくれているからだ。
もちろんいいことばかりではない、様々な障害となることもある。様々なしがらみに苦しめられることもある。
しかし自分は本当にありがたい恵まれた環境にいると思っている。

だからこそまわりの方たちに対しての感謝と礼儀も忘れてはいけない。
これらのことを“知っている・理解している・いつも思っている”というレベルではだめだ。

感謝する、礼を尽くすとは行動すること。自らが動いてそのことを示すことだ。
それも相手がいるというときだけではない。誰も見ていなくとも大切だ。
約束を守ること、期待に応えること、自分の目標に向かって邁進すること、それも例えば亡くなった父に対する礼儀でもあるし、まわりの人たちに対する私なりの礼儀でもある。
日常の行動のすべてが礼を尽くす場であると思っている。


「絶対に逃げない・現実から目を背けない」

“都合の悪い事実・苦しい状況・望まない現実”そういったものから絶対に逃げてはいけない。
何か成そうとするとき、順調にいくことなどまずない。様々な障害に合うことが常だ。しかもありえないようなところ、ありえない状況からそれらが降ってきたりする。
さらに自分のなかでは本当に努力して努力して努力してきたのに、それがうまく実現しないときもある。

それはもう絶望・悲観・自己喪失となることもある。どうなるのだろうと将来を悲観するときもある。
とにかく今ある現実から逃げ出したい、見たくないというときもある。

しかしその悲観や逃避からは何も生まれない、何も起こらない。
絶望のなかでも一つずつできることをやる。とにかく考えるかぎりのことをやり続ける。逃げずにやる。

そういう姿勢でいたなら必ず誰かが見ていてくれる。まわりの人からのサポートがあったり、乗り越えられたりする。数年後全く別なところで花開くこともある。
とにかくあきらめないことだ。絶対に逃げないことだ。

功なり名を上げる人は逃げなかった人たちだ。目を覆いたくなるような現実に、明日も知れないなか、あきらめず生き抜いてきた人たちだ。そういう人にしかない言葉の重み、雰囲気(オーラ)、やさしさがある。


「事を成すためには、必ず実現するという情熱と行動、そして冷静な分析が重要である」

物事を成すためには絶対にやるという情熱が必要だ。そしてその情熱に裏打ちされた行動も必要だ。
少しずつでいい。そのことに向けてとにかく行動する。
とにかく常に思い続けてやり続けることだ。

時間もないし、忙しいし、お金もないというだろう。
しかし、しっかりと自分の目標を達成してきている人も、時間がないし、忙しいし、お金もないのだ。
そんなことはできない理由にはならない。

そしてそういう情熱や行動とともに冷静な分析も必要となる。
走ったことのない人が、フルマラソンを走ろうとするのは、どんな情熱をもっていても実現不可能だ。
冷静に現在の状況(体力、練習メニュー、時間、期間、環境)などを分析しなくてはならない。そしてそこから少しずつ走り始めることだ。そして走り続けることだ。

さらにそのフルマラソンに辿り着くまで、考えつくすべてのことを想定する。もしこうだったら、こうしよう。あうなったらあうしよう。思いつくことはすべて調べ分析し対処法まで考えておく。何事も事前の準備は必須だ。

「人事を尽くして天命を待つ」の人事を尽くすとはこのレベルまでいかなければいけない。天命を待つのは考えうるすべてのことをし尽くして、さらにし尽くした上での話だ。

自分が努力して努力して努力してきたのに実現しないこともあるが、それがなぜ実現しないかを冷静に考えてみると、それは道理だったということもある。「それじゃあうまくいくわけはない」となることもある。
だからこそ冷静に冷静に現状を分析して、物事に取り組まなければならない。

不景気だから潰れたという会社はあまりない、逆にいえば不景気であってもしっかり経営されている方はたくさんいる。今起こった望まない現実を運とか不運とか不景気だから、需要がないからで片付けることなく、自分が積み上げた結果そうなってしまったと思うようになりたい。
「社長は電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのもすべて自分のせいだと思え」は一倉定さん言葉だ。
自分は知らない、わからないということでも起きたことすべては社長の責任なのだ。それくらいの責任感をもって仕事をしなければならないということだ。それは個人にも当てはまる。

絶対に無理。絶対に不可能。と言われ続けてきたことを成し遂げていく人を身近なところでたくさん見てきた。
こうしたいという情熱とともに、信じられない努力を積み重ねてきている。ある日突然そうなりましたという人などいない。

自分を経営しているのは自分だ。
自分を助けられるのも自分だ。
今の自分の現状に不満があるなら自分が変わるしかない、自分が努力するしかない。

いつもそう思って生きている。


思うところがあり、思いつくままに書いてみた。
読みづらくてすみません。
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寧静致遠
「非澹泊無以明志、非寧静無以致遠」
『誡子書(かいししょ)』にある諸葛亮孔明の言葉だ。

「淡白にあらざれば、もって志を明らかにすることなく、寧静にあらざればもって遠きを致すなし。」
「私利私欲に溺れることなく、無欲でなければ、志を持続できない。ゆったりと落ち着いた状況でなければ、遠大な境地に達すること(大きな仕事を成し遂げること)はできない。」という意味だ。

出会いと別れの月でもある年度末も近くなり、社内でもいろいろな動きがある。
インフルエンザも収まりつつあり、頭のなかは来年度の体制・人事をどうすべきかに移っている。

今回はこの先のことを見据えて、体制や配置をドラスティックに変えようと思っている。

今ある問題へも対処しなければならないだろうし、多少大変になるだろうとも思いつつ、初めてその役割やポジションを担うという人がたくさんいる組織となる。

体制や人事はそのままその組織のパフォーマンスに関係するので、とても重要なことだ。
「これが正解」ということのないなか、ベストな配置・体制をどのようなものにするかはいつも悩む。
信じてやるしかない。

そこには絶対に「私利私欲」のようなものを挟まないことは当然だが、お客様目線でみたときわかりやすいか、お客様とともにまわりの社員から信頼を得られるか、その他にも年功、専門性、人間関係、その方の能力など多くの要素が絡んでくる。とても複雑だ。

そして私が特に大切なことだと思っているのは、次世代のリーダーの育成だ。

いま目の前にある状況・問題への対処だけでなく、この先の未来に対して布石を打たねばならない。その組織から次から次へとリーダーが育つような組織を目指したい。
人材が次々と生まれる。それが企業価値を高めるものだと信じている。

経験不足やすぐに結果がでないなどの多少のリスクがあっても、素直でやる気のある社員がいれば積極的に登用するようにしている。その与えられたポジションで四苦八苦することで得た経験はその先必ず活かせると信じているからだ。

そのためにも私自身が「寧静致遠」という言葉を常に意識するようにしている。
落ち着いて個々の社員を見、長い目でその方たちにどうなってもらいたいのか、そして私たちの組織をどうしていきたいのか、どうすればお客様から喜ばれ、信頼されるような組織でありつづけられるのか、そういう視点を常に持っていたい。

寧静致遠の境地には程遠いが、そのような意識はいつも持っておきたいと思っている。
なんで?
ふと、
なんでこの仕事してるんだっけ?
なんでこの新しい建物ができたんだっけ?
なんでこの人たちと一緒に仕事してるんだっけ?
なんで走ってるんだっけ?
なんで空手やってるんだっけ?
なんでやせようしたんだっけ?
なんで今ここにいるんだっけ?

あ、そうだそうだ!自分がそうしたいと望んだからだった!

と確認することが多々あります。

じゃあ休みがないのも、心身ともに疲れ果てるのも、友達やお会いしたい方たちと会ったりする時間がとれないのもしょうがない、とも思います。

ところがときどきパタゴニアからお手紙が届いたり、美味しい美味しいチョコレートがもらえたり、甘~い瀬戸内海の蜜柑が届いたり、温かいスリッパが届いたり、やせた!と喜ばれたり、ブログ読んでるよとか大丈夫か?とメールいただいたり、ほんの少しの時間でも一緒にラーメンを食べたりできます。

そんなギフトをたまにいただけるので、とても幸せです。

感謝。
背伸びして行動しよう!
「まだ自分には早いなんてない、背伸びしてとにかくやってみる」
「(経営者として)常にブカブカの服を着ながら、それに合わせた体型になりたい」
二つともライフネット生命の岩瀬さんの言葉だ。
(於:2012年2月6日グロービズ経営大学院仙台校特別セミナーでの講演~この内容についてもそのうちまとめたいな)

先日ある集まりの例会にて、20名ほどの社長さんたちの前でスピーチさせていただいた。
テーマは「ダイエット」のことであった。
昨年別な集まりにて、このテーマでお話させていただいたのを見てくださった方が、とても喜んでくださりお誘いいただいたのだった。

全員その道の経営者で初めてお会いする方も多いなか、30代前半の自分がそんな話をするなんて絶対に無理だとも思ったが、「自分に降ってきたものは、すべて受け入れる」ことを信条としているので、ガクガク震えながらもやってみることにした。(今年の目標にも「プレゼンする機会をどんどん増やそう」というのもあった。)

実際ガクガクしていた。
スケジュール的に大丈夫かと心配したが、そもそもスピーチどころではない事態となったしまったのだが・・・なんとか行くことができた。先月のうちにあらかじめ原稿や資料を用意しておいて本当によかった。

お話してみてどのように感じてくださったのかはわからないが、終わったあとにいろいろな方から声をかけてくださり、お話してみてよかったと思っている。
そしてまだはっきりとはわからないが、次の展開もありそうだ。

「能力の差などほとんどない、それよりも行動するかしないかの差のほうが断然大きい」
これも同様に岩瀬さんの言葉だ。

以前友達にダイエットの経験をまとめてみようかなと言ったところ、ダイエットで検索かけると何百万という検索結果がでてくる、そんなダイエットの話なんてありきたりすぎると言われたことがあった。

そのときは「そういえばそうだな」と思っていたが、スピーチする機会を得て思いきってまとめてみようと思った。そしたらその後お話する機会をいただけたし、友人と一緒に痩せることもできたし、いろいろなご縁につながったように思う。

とにかくやはり行動しないとだめなんだな。しかも少し背伸びして。
まわりからありきたりだとかいろんなことを言われても、やろうと思ったことをどんどん実践していきたい。
決めてたこと:ダイエットした友人
ダイエット話、もう少し続きます。

今回友人のダイエットを手伝うことで自分のなかで決めていたことがあった。
とにかくその決めたことを最後までやろうと思っていた。

それらを備忘録としてまとめてみる。

・絶対にしないようにと思っていたこと
「怒らない・急かさない・強制しない」

ダイエットをしようと誘ったのは自分だが、実際にやるのは本人だ。本人がやる気になっていなければやせることはできない。だからできるだけ本人のやる気を削がないよう努めた。
そもそも痩せようと思う理由は、本人のやせたいという気持ち以外ないため、とにかく本人の気持ちが「続けよう!」と思っていてほしかった。

フランクフルトに豚バラ肉がグルグルと巻いてある超高カロリーのB級グルメを食べて、「おいしかった~」というメールがきたときなども、自分は卒倒しそうになったが、つとめて冷静にカロリーを計算して分析していた(でも相手は俺が少し怒っているのを感じていたようです。)。
とにかくこらえて、できるだけ冷静に対処しようとしていた。

・常にそうしようと心がけていたこと
「励ます・見守る・率先する」

励ますことを優先した。
ただでさえ食べることを制限することはストレスなのに、唯一のご褒美である減量がない時期もある。そんなときはもう凹むなんてもんじゃない。絶望だ。その気持ちは痛いほどわかる。だからこそ励ましが必要だと思った。

そしてまだダイエットに半信半疑の段階から、自分も同じやり方で痩せていくのを見てもらおうとも思っていた。
だから自分も率先して減量に努めた。自分が痩せていくことで、友人もやせることがイメージできたのではないかと思う。

・約束は必ず守ること
自分が友人をダイエットに誘うにあたって、約束したこと(ダイエットの方法と関係する)があったがそれは絶対に最後まで守ること。
ダイエットの各段階で様々なことが起こる。それらにどう対処すればよいかを自分の経験からしっかり伝えようと思っていた。

この五ヶ月間、1日分も欠かさずメールを送ってくれた。ときには数日まとめてというときもあったし、自分の返信も数日まとめてというときもあったが、結局1日分も欠かさずやり取りできた。
それもうれしい。

私自身今回のことではとても勉強になった。というより修行になった。
人を励まし、動かすためにはをどうすればよいかをまた一つ学べたように思う。

この経験をこれからもいろんなところで活かしていこう。

約束を守る:ダイエットした友人
自分は数年前に60kgほどやせた。
ダイエットしてみて感じたことの一つに、これは誰でもやせられるのではないかと思うことがあった。
そしていつかこのダイエットの経験を活かしてみたいと思っていた。

そこで以前から「やせたい」と言っていた地元の友人(女性)と食事したときに「ダイエットしよう!」と誘ってみた。
それが昨年9月22日のこと。
最初はその友人もあまり乗り気ではなかったが、なんとか「やる!」と決断してくれて、翌日から開始することになった。

そして今日でちょうど5ヶ月、友人は10数kg減量し、目標としていた体重に到達した。

しかもやせただけではなく、その体重を維持するため(リバウンド対策)の健康的な食生活の習慣も身につき、そして適度な運動の心地よさも感じていると思う。

数日前からそろそろ達成しそうという状況ではあったが、実際に達成してみると本当にうれしい。

この5ヶ月、お互いに仕事も忙しいなか、食事内容とそのカロリー計算、体重等の様々なデータをほぼ毎日メールでやり取りをしていた。(お互いに体重や体脂肪率などのデータはすべてオープン!)

スタート時はその友人もあまり乗り気ではなかったり、けっこうお酒を飲むため、お酒とどう付き合うか(これは私も初めてだったのでいろいろ調べた)、年末年始をどう乗り切るかを話し合ったり、ほとんど体重が減らない停滞期もあったり、(商売をされていてとても顔がひろいため)飲み会が続いたり、そしてここ1ヶ月は亀のような減り方しかせず、とても落ち込んでいたり、私の心も折れそうになったりもした。
1月24日「ねばり」 ←このブログはこの友人に書いたものだ。
そんなことが思い出される。

目標に到達するまでは大変なプロセスだが、達成した今となっては素晴らしい思い出だ。

今回9割ほど達成したところからがとても長かったし、きつかった。それまで数キロずつ難なく減っていったものが、あと数百グラムというところからなかなか減らず、自分もなぜだ?と何度も食事内容やカロリー計算をチェックしたり、本人に会いに行ったりした。仕事の忙しさと相まってとても厳しい日々だった。
私も友人も何度も「もうこれくらいでいいんじゃないか」と思っていたように思う。
しかし友人はあきらめず(私もあきらめたくなかった)、ここまでやると決めたところまでキッチリ到達した。

9割で成功としてしまうか、キッチリ達成して成功というかの違いはとてつもなく大きい。

そしてこれはおまけだが、その友人とともに自分も少し減量しようと思い(体重が増加傾向であった)、私自身も10kgほど減量することができた。(当初は自分も減量したいから一緒にやろうと誘った)

今年の目標の一つに「○○(その友人)の体重が目標値に達するまで、○○との約束をしっかり果たすこと」というのを立てた。

これで今年の目標のうち、また一つをクリアできた。

まだまだインフルエンザのことや先日開設した新しい事業所のことも含めて、仕事がもうバタバタしている。
お祝いをするのはもう少し先になりそう。
だけどお祝いのときは今年二度目のお酒を一緒に飲みたい。

ここ最近の出来事
ここ数日仕事で様々なトラブルに見舞われていた。
そのトラブルの一つに、業務に支障がでるほど社員たちがインフルエンザにバタバタと感染してしまったことがあった。

全社員予防接種もしていたし、様々な対策もしていたつもりだったが、悔しいが防ぐことができなかった。結果一つの事業所を止めることになってしまった。

社員たちの状態を聞くために電話すると、ほとんど社員たちからの一言目に「ご迷惑かけて申し訳ありません」とか「自覚が足りなくてすみません」という言葉で返ってきた。
その言葉で、社員たちの仕事に対する姿勢が伝わってくる。

誰も体調が悪くなりたくてなるわけでもないし、感染したくて感染するわけでもない。本人が防ぐために手を尽くしていたとしても家族が感染してしまうこともある。

ここ数日生きた心地がしなかったときもあったが、そんな社員たちからの声を聞いているうちに、すごく勇気づけられた。

私のいる業界はインフルエンザが流行してしまうと、まわりからいろいろと揶揄される。他社さんのなかにはうちをご利用されているお客様はすべてお断りせよというところまであった。感染を拡げたくない気持ちはわかるが、お客様の気持ちやニーズは完全無視の対応だと思う。

お客様にとって何が一番重要なことか、大切なことか、誠実なことか、常に考えそのことに正直に行動していきたい。決断していきたい。

とにもかくにも社員も全員元気に復帰してきてよかった。
このような事態になってしまって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
そしてまだまだ油断はできない。再度気を引き締めねばいけない。

それにしても今年のインフルエンザの感染力はすごい。
読んでくださっている皆さんもお気をつけください。
人を動かす:「北風と太陽」の太陽である友人
どんな組織においても関わってくれる人たちがそれぞれの役割(仕事・職責)を果たすことで、その組織が円滑にまわるものだ。

人を動かすのに、強制したり、説得したり、責任を押し付けつけることで動いてもらうことがよくある。しかし、一番いいのは、本人が自ら進んで動いてもらうことだ。そうすることによって、その組織のパフォーマンスが一気に上がる。

人との付き合い方、動かし方が抜群にうまい友人がいる。
その友人の様々な場面でのふるまい方をみて、いつもすごいなと思っている。
同級生であるが、とても尊敬している。

・まわりの人をやる気にさせる。
・(ときにはじれったくなるほど)敵を作らない。
・その場その場で何が最善かを考え、実行する。

いくつかエピソードを挙げたい。
・社内でとても苦手な人がいた。その人はまわりがする少しのミスでも許さず、まわりにあたりちらし、やるべき仕事をふると不機嫌になる人だそうだ(そんな人が普通に働けるなんて、その職場自体が問題じゃないのかと私は思ってしまった)。普通なら怒るなり注意するなりして、だめならあきらめるだろう。実際職場においてもものすごい嫌われていたそうだ。
しかし、彼はここでの優先事項は、「きちんと仕事をしてもらうこと」「円滑に仕事がまわること」だと思った。
そしてとにかく毎日あいさつをした。ちょっとしたことで声をかけるようにした。そして仕事としてやって当然のことでも必ず「ありがとう」「ありがたいよ」と声をかけ続けた。
それを数週間続けると、あいさつが返ってくるようになり、そして自ら率先して仕事をするようになったそうだ。

・彼は自転車通勤をしている。そのオフィスの自転車置き場をいつも整理してくれる管理人さんがいて、彼は見かけると必ずあいさつをしていた。ある日「いつも整頓していただいてありがとうございます」と声をかけると、その管理人さんは「そんなこと言われたの初めてだよ~」とうれしそうに言ってくれ、それ以来彼の自転車はいつも取り出しやすい場所に置かれている。

・旅先で一緒にお寿司屋さんに入ったときのこと。食べ終わって私は普通に店を出たが、彼はなかなか出てこず、やっと出てきたと思ったら手にはお土産を持たされていた。聞くと、会計したときに店の方に「とてもおいしかったです~」といろいろ話していたら、お店の方が喜んでくれ「これ食べて」とお土産をくれたとのことだった。

彼といて、そんなエピソードは枚挙にいとまがないほどたくさんある。

人を動かす最善の方法は、相手をほめることであり、相手を認めることだ。
それこそマネジメントの本質だ。

彼は言う。「まわりを攻撃してばかりの人(いわゆる嫌な人)って、本人が幸せじゃないんだよ。でも本当に性根から腐っている人ってそうそういない。だからその人のほんの少しでもすばらしい点を見つけて、認めてあげれば大体の人は変わっていくよ」と。
至言だと思う。見習いたい。

彼は友達同士で話しているときも、そういうスタンスを貫く。
評者のような、または上から目線でものをみるようなことはせず、かといって媚びるわけでもなく、フラットな姿勢で相手と対峙する。

このことは偉大なことだとなかなか理解されないが、とても偉大なことだ。
自分のなかに確固たる“支え”がなければできないことだと思う。

私自身、何度も彼に救われている。

そしてたまにそんな彼も愚痴をこぼすことがある。
彼から愚痴を聞けることはとても名誉なことだと思いながら聞いている。

円安・インフレ・金利上昇への備え
歴史的円高といわれている。円は今もドルに対して77円台だ。
デフレだともいわれている。ものの価値が下がり続けている(紙幣の価値は↑)。
さらに国債の金利は1%の水準となっている(価格は上昇)。

しかしこの状況に対してとても強い懸念を抱いている。
近い将来、この状況が一変するのではないかという懸念だ。
すなわち円安・インフレ・金利上昇がそのうち起こるのではないかという不安だ。

その国の通貨の価値はその国の信用を現すものだ。
その信用の裏づけが揺らいできている。
先日各紙一面にも載っていたが、貿易収支が赤字化したというニュースもその一つだ。
(この赤字化は震災の影響による一時的なものとの見方もあるし、2005年時点で貿易収支の額を所得収支の額が上回っており、今回の貿易収支が赤字化しても経常収支までは赤字化していない。)しかし、WSJでも「円の40年間に及ぶ上昇局面、終結の可能性も」という記事にもあったが、http://jp.wsj.com/Finance-Markets/Foreign-Currency-Markets/node_383196?mod=KW_Search_Result(会員のみ)1,000兆円を超える財政赤字、遅々として進まない財政再建、高齢化の進展と少子化による人口の減少など、円の信用を裏づけるものが少しずつ瓦解しているように思う。

その信用の裏づけの瓦解は国債にも当然影響してくる。
今はまだ国債の金利も落ち着いているが、そのうちこの金利が跳ね上がる日がくるのではないかとかなり本気で危惧している。日本国債は9割以上が国内で消化できているため、ギリシャやイタリアなどの国とは違うといわれるが、CDSの保証料ではすでに中国より高い水準となっている、さらにここ5年のチャートで見ても緩やかではあるが上昇してきている。http://www.bloomberg.co.jp/apps/cbuilder?T=jp09_&ticker1=CJGB1U5%3AIND

さらに怖いことに、日本国債で運用している金融機関がとても多い。身近なところでは地元の秋田銀行のIRをみても、約9000億の有価証券残高に対して約6割が国債と地方債だ。http://www.akita-bank.co.jp/ir/ir_r/ir_index6.html
社債もいれると9割近くとなる。こうした債券の金利が上昇した場合、銀行は多額の含み損を抱えることになり、さらにそれが自己資本比率の低下へとつながる。そうなればお金の流れもかなり停滞することとなることはとても容易に想像できる。
しかもこのような事態が秋田銀行だけですむのであればまだいいが、ほとんどの地銀でも同じようなポートフォリオとなっている。すなわち連鎖しやすい状況がそろっている。

先日の記事で三菱UFJが国債の金利上昇に備えるため危機シナリオ作成もそのような事態となることを想定した流れであるし、http://www.asahi.com/business/update/0202/TKY201202010846.html
明治安田生命の窓販制限も同様だ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120212-00000439-yom-bus_all

円安・インフレ・金利上昇に向けた駒が徐々にそろいつつあるように思う。

信用不安は恐怖の連鎖で起こることも多い。実際にこうだからこうなるという理屈で起こることは少ない。しかも一旦起こった連鎖は売りが売りを呼ぶように自己実現してしまう。
リーマンショックでも、ギリシャ危機から拡がった欧州危機でも同じだ。次に危ないのはアイルランドではないか、次はポルトガルではないか、次はスペイン、次はイタリアが危ない、ついにはフランスまで、とどんどん連鎖してしまう。

もちろん、それがいつ起こるのかはわからないし、起こらないかもしれない(そう願いたい)。

今や不確実性の時代といわれて久しい。
「大丈夫、大丈夫、そんなこと起こらない」と言われていたことがどんどん起こっている。
だからこそ、その備えだけはしておかなくてはならないと、個人としても経営者としても考えなくてならないと思っている。
ものすごい胆力
今週は仕事もしつつ、いろいろなところへいって学ぶ週です。
ワークアウトしててよかった~

私たちの業界は国の政策などに強く影響される。
そのため、国が今後どのような方向に進もうとしているのかは、とても重要なことだ。
この決定をした意図は?今後の方向性は?
そういったことを機会があれば勉強するようにしている。

今日は横浜にてセミナーに参加してきた。

数人いる登壇者のうちお一人は国の政策にかなり影響力にある方(審議会等の会長さん)であった。
話の内容は私たちには大変厳しいものであったが、その方の話を聞いていて、とても共振してしまった。
リーダーのあるべき姿を垣間見たように思う。

私たちの業界にとって、先般発表された政府が推し進める政策はかなり厳しいものだった。
それを決めた(というより関わった)張本人が来るのであるから、あまり歓迎されていなかった。

しかしその方は演壇に上がり、堂々とその政策決定の道程をしっかり説明されていた。そして“少なくとも”自分はこうあるべきだと思ってそのような決定をしたと力強く語られていた。
話の途中に、「私のことを恨んだり、怒っていらっしゃるのは当然かと思うが、今後のことを考えればやはりこの方針は変えるつもりはない」という趣旨のことをおっしゃっていた。

その方の話し方はとても静かに落ち着いてお話されるのだが、その言葉の端々にものすごい情熱がにじみでていた。
「これはこうあるべき」という確固たる信念をお持ちのようだった。

政府の決定が報道されて以降、我々も社内で検討してみると、非常に厳しい状況になることがわかり、現在も全社を挙げてその対応をしているところであった。
私にとっても、そういう意味では参ってしまうものであったが、その方のまわりの怨嗟にへこたれない姿勢を見て「この方はすごいな」とも素直に思ってしまった。

ものすごい強い胆力だ。

やはりリーダーたるものこうでなくてはいけない。
決定を下すということは、一方を切り捨てるということだ。でも決定を下さねばならない。
それを中途半端に八方美人的な決定をして行き詰まってしまう組織や人をいくつも見てきた。

あんな胆力をいつか自分も身につけたい。
結局未来はわからないものだから、自分が信じて進むしかない。

素晴らしいリーダー像の一端を垣間見ることができたセミナーであった。
もちろん内容も勉強になりましたし、今後の方向性もつかめました。

感謝を込めて
かねてより準備していた新しい事業所が、今日(2012年2月6日)県の検査を終え、来週予定通り開設できることになりました。

やろうと決心してから3年経ちました。
この3年の間に父が亡くなり、震災もあり、次から次へと困難な状況が起こり、心が折れそうになることが何度もありました。

経験の浅い自分にはすべてがプレッシャーでした。
自分が止めたといえば、すべてがストップするような状況で、このまま推し進めていいのだろうかと悩みに悩みました。ちゃんと開設できるのかこれらがうまくいくのか自分でも定かではないけれども、まわりの社員たちには絶対にやる!できる!と言わねばならない。それは本当にきついものでした。
運動をして体をヘトヘトにしなければなかなか眠れない日々が続きました。
社員とは絶対に分かち合えないものも知りました。その孤独を実感しました。

しかし、そのたびに家族やまわりの社員の皆さん、友人たち、そしてこの事業に携わっていただいた皆さんに助けられてきました。新しく加わった素晴らしい仲間もできました。

2006年に、5年後の「2011年に起業する」という目標を立てました。
自分の部屋にそのとき書いたメモ用紙を貼っていました。
その当時は今とは少し違うことを考えていて、このような形(というか状況)になるとは夢にも思っていませんでしたが、これもまた起業であると思っています。
こんな形でも目標を叶えることができたといいたいと思います。

そしてこれはゴールではありません。
ようやくスタートラインに立てただけのことです。
これから先もお客様に喜んでいただけるもの創り続けていきたい。
そのプロセスを愚直に積み重ねていこうと思っています。

ここ数週間で少しずつ自分のできることが減っていき、現場にまかせるようになってみて、現場の社員たちが自主的にそれぞれの役割を強い責任感とともに果たそうとしているのを見て、なんて素晴らしい人たちなんだろうと思っていました。
最後は自分が一番励まされていました。

ようやく一つの形になりました。
ありがとうございます。すべてのことに感謝を込めて。

グレゴリー・ザッカーマン著:「史上最大のボロ儲け」を読んで
史上最大のボロ儲け ジョン・ポールソンはいかにしてウォール街を出し抜いたか史上最大のボロ儲け ジョン・ポールソンはいかにしてウォール街を出し抜いたか
(2010/12/09)
グレゴリー・ザッカーマン

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リーマンショックから世界金融危機へつながるアメリカの住宅不動産バブルの崩壊に賭けて、一年間での金融史上最大のお金(会社としては一年で150億ドル。本人の2007年の収入は40億ドルとある。今のレートでも1兆2000億円弱と3000億円ほどになる)を稼いだジョン・ポールソンを中心とした人たちのお話である。

ジョン・ポールソンの名前はリーマンショック時にニュースなどで知っていたが、あらためてどんな人物であるか、そしてどのようにして巨利を得たのかを知ることができる。

400ページ以上ある読み応え十分な著書だが、実際にリーマンショックへとつながるあの時代に何が起こっていたのを知ることができ、大変勉強になった。読み物としてもとてもハラハラドキドキさせられおもしろかった。

先日ブログに書いた「市場は間違える、だからチャンスがある」が30年以上のブームバブルバーストの歴史を概括できるが、この著書はアメリカの不動産バブルにフォーカスし、どのような経緯で不動産にお金が流れ込んでいき、サブプライムローンが組成されていき、さらにCDS・CDOのような金融派生商品(デリバティブ)取引へとつながっていくか、そしてそもそもCDS・CDOとは何なのかをしっかりと把握することができる。バブル形成のメカニズムはやはり「市場は間違える~」で書かれていることと同じだ。

このなかで最も印象に残っていることは、以下の2点。
・ジョン・ポールソンをはじめとするウォール街の人たちが、投資する際にどのようなロジックの積み上げをしていくか、そしてロジックを裏付けるデータの収集をどのようにしていくかが参考になった。

過熱している市場がバブルであるというのは、はじけたあとにいわれることが一般的だ。そのため現在の状況をバブル真っ盛りですとはなかなかいえないものだ(この著書のなかでもポールソン自身も2005年当時、「何か悪いことが起こりそうな気配」だけであった)。しかもそれがはじけたとしても「こうなれば、こんな状況になるのではないか」というのも、それだけではあくまでも推測だ。これでは投資家や出資者を納得させることはできないし、自分自身もその“気配”や“予感”だけでは投資することはできない。そのためにそれらを裏付けるデータが必要となる。そのデータの収集に奔走する場面は「なるほど、なるほど」ととても勉強になった。(しかしこの著書でもバブルの証拠を見つけても、資金集めは難航している)

・今がバブルだとわかったとしても、その崩壊が“いつ起こるのか”は誰もわからない
この著書のなかにも、不動産バブルが形成されつつあると認識していた人たち、すなわち不動産バブルの崩壊に賭けていた人たちが、ポールソン以外にも多数でてくるが、「不動産価格の下落がいつまでも起きないじゃないか」と投資家から資金を引き上げられて結局手仕舞いしてしまう人や、自分のトレードでは儲けることができたが、会社としては、他の部門で被った損失で相殺されてしまった人もでてくる。
この人たちは“将来起こること”をわかっていたが、結局それが“いつ起こるか”わからないために儲けられなかった人たちだ。ポールソン自身もいずれ不動産市場が大変なことになるとは思っていたが、やはりそれが“いつそうなるか”わからないため、かなり苦境に立たされる場面がでてくる。

この“いつ起こるわからない”はいろいろなことに言えるとても重要なことだ思う。

この著書は、世界金融危機まで発展する事態となった歴史的な出来事を詳しく知ることできる資料となっている。そのおかげで今の欧州危機などもその構造がとてもよくわかるようになったし、今の日本の状況に対する不安も感じることになった。
阿部修平著:「市場は間違える、だからチャンスがある」を読んで
市場は間違える、だからチャンスがある市場は間違える、だからチャンスがある
(2009/10/15)
阿部 修平

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著者(ジョージ・ソロスとの出会いも含めた)半生と、ソロスの再帰理論を中心にバブル形成のメカニズムから今後の市場予測まで述べられている。

このなかで特に勉強になったのが、バブルが形成されるメカニズムと、ブーム→バブル→バーストへといたるプロセス、そしてバーストすることで新たなブームの芽がまかれるというところだ。

70年代の中南米危機から、メキシコ通貨危機(その後アルゼンチンへ)、アジア通貨危機(タイから東南アジア各国、そして韓国へ)、ロシア通貨危機、さらに日本のバブル、そしてITバブル、アメリカの不動産バブル(サブプライムローン)をしっかりと概括できる。
そのバブルの崩壊から形成にいたるプロセスには時代を経てもかなり共通する部分があること。さらにバブルの崩壊が次のバブルを生み出す原因となるという説明もとても参考になった。

バブルの崩壊→信用収縮が起こる→各国中央銀行が流動性を供給→過剰流動性の拡大→金融機関の信用創造の拡大(レバレッジの拡大)→新たなトレンド→トレンドを強化する投資家のバイアス→新たなバブルを形成→バブルの崩壊へ戻る

ということは現在リーマンショック以降に各国中央銀行が行った(アメリカは2回行い、日本は継続中)金融緩和で流動性が大量に供給されている。(しかしここ数ヶ月は欧州危機により、若干の信用収縮が起こっているが、)
こうしたブームバブルバーストの歴史をみれば、この著者でなくとも、それがいずれ何かのトレンドと結びついて新たなバブルへと発展するであろうことはわかる。

ちなみにこの著者は(2009年半ば頃には)それが中国と環境(グリーンニューディール)であると予測している。

昨年前半までのブラジルなどの新興国が自国通貨高に苦しんでいたのも、小麦や大豆などコモディティ価格の上昇もまさにこの大量にまかれた流動性の影響であろう。

自分のアセットのポジションをどうとるか、この本はとても参考になっている。
「情」に徹する
少し前のことだが、あるとても偉~い方の集まりに参加したときのこと。
ご病気をされたあとの復帰報告会みたいなものであった。

その偉~い方の奥様がみんなの前でお話されていたとき、こりゃすごい!と思わずうなってしまった。

情(感情・情感)と理(論理・理屈)の情に徹していたのだ。

演説されたとき、偉~い方はもちろん理のほうでお話していた。話し方も情熱たっぷりにお話していたが、理屈である分、「ほ~ほ~なるほど~」と頭で理解するほうが大きい。

その後代わって奥様になると、かなり情に訴えかけるお話をされていた。
自分目線から旦那さんに起きたことを淡々と(淡々とがポイント!)語りかけていた。起こった事実とその解釈で聴衆が引き込まれていくのがとても分かった。
それは「大変だったろう」とか「かわいそう」とか人なら誰でも持っている感情に訴えかけるものであった。
そしてみんな(特に女性が)涙ぐんでいた。

この奥様はとても頭がいいな(大変失礼な言い方です)と思いました。
自分が今ここでどういう役割に徹するべきかとてもよくわかっていらっしゃる。
今ここでどんなことを、どういうふうに話したらいいか、まわりは何を期待しているかをよく理解しているんだろうと。

すなわち自分の立ち位置をわかっていた。

動機はわからないが、この方たちはこの方たちで本気なんだな、命懸けてやっているんだなと思ったのと、自分が人前で話すときの参考にもなりました。
うがった見方だと思うが、人が引き込まれていく構造がなんとなく理解できたお二人の好対照な演説でした。
遺してくれたもの
今日は地元金融機関さんの新年会であった。

以前はこういう席はとても苦手であった。
元来社交的な性格ではないため、とても気苦労してしまいグッタリと疲れてしまっていた。

しかし、ここ最近は年々いろいろな方たちとのご縁やつながりができて、とても勉強になり楽しく過ごすことができるようになってきた。支店長さんともとても懇意にさせていただいていることもあり、様々なことでとても気にかけていただいている。(お酒も鍛えられている・・・)

今日もいろいろな方たちとお話させていただいているなかで、亡くなった父や親戚の方たちの話がたくさんでてきた。

そこでいつも思うことがある。
父も含めた先人の方たちが遺してくれたもので、いまの自分があるということだ。
もう亡くなってから何年も経つが、今でも「○○さんにはお世話になったんだよ~」と言ってくださる。それは本当にすごいことだ。
そのおかげで様々なご縁ができたり、スムーズに事が進んだり、いろいろなことで助けられたりする。

ゼロを1にすることの苦労に比べれば、1を100にすることの苦労など本当にたいしたことはない。
無から有を創りだす、その苦労は並大抵ではなかったろうと思う。
いまの自分は、父も含めた様々な先人がゼロを1にしてくれたおかげであるということだ。

このことを絶対に忘れてはいけない。
そんなことを改めて心に刻み付けた新年会であった。





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