日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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熊野へ行ってきました3:たくさんの示唆
今回の熊野旅行でご一緒した方々がほんとに素晴らしかった。
その方たちの神社やお寺に対する姿勢、物事に対する立ち振る舞い、動きを見ているだけでもこの旅に参加した価値はあったのだと思うほど。

準備から当日のコーディネートまでほとんどのことをされていた方。
私自身、旅のことで何度かメールのやり取りをさせていただいたが、レスポンスのスピード、的確で明確な返答など、「このメールだけでもすごいな」と思っていた。
しかもそのやり取りを30名を超える参加者の方々から個別に来ると思うと、加えて相当な対応力、冷静さ(キャパの大きさ)、交渉力、調整力がないとできないと思う。(しかも別にご自身の仕事もされていたりもする)

さらにその方をサポートする方たちも、次に何が必要か、何があるのかということを察知して先に先に動いていた。
私たちの部屋が飲み会部屋になったのだが、一度敷かれた布団がいつのまにかきれいに片付けられていて、飲み会仕様へと変わっていたり。
いつ買い出しにいったのかわからなかったが、しっかりと各種お酒とおつまみが用意されていたり。
細かいことであるが、そんなことを積み上げていた。そこに打算的なものや利己的なものなどなかった。

そうであるのに、いつでもピリピリ張りつめているわけもなく、何もないときは自由にのんびりとリラックスされていた。
そのONとOFFの切り替えも素晴らしかった。

そのこと以外にも感じたことはたくさんある。
その方たちをさらに大きいところから見守っている方たちのことなど。

心地よい空間や時間になるためには、また滞りなく物事が進んでいくためには、入念な準備と着実な実行、そして突発的なことへの対応、参加者の協力と配慮、そういったものが不可欠だ。
そういうものを積み上げていって「なるようになる」ものだと改めて思った。

本来心地よい空間や時間とは受動的なものだったりする。「なんとなくここ心地良いね~」みたいな受け身で感じるものであったり。
しかし、ご一緒した方たちを見ていて、「自分たちが心地よいと思う空間と時間は、自分たちが創り出すもの」という、明確な意志も感じた。

一緒にいてこの方たち、ほんとすごい!あこがれるな~!と心底思ったのでした。
会社においても自分がどういう存在にならなければならないのか、どういう形の組織を目指していくか、そんなことのヒントまでいただいたように思う。

楽しく思い出深い旅となったのも、こういう方たちの掛け値ないサポートがあったからだと改めて感謝しています。
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熊野へ行ってきました2:無駄なことなんてない
例えば会社では、突然社員が退職したり、事故があったり、何かしらの設備トラブルがあったり、お客様から苦情があったりといろいろなことが起こります。
それらはいくら気をつけていても、自分がどんなに努力していても起こるときは起こるものです。
さらにそれらは時間もお金も労力もとられるようなことばかりで、ストレスも溜まるし疲れるしで、できれば避けたいこと。なのに起こってしまう。

そんな努力ではどうにもならないことや、思いがけず身に降りかかってくること。
私は、そんなことすべてに意味があると思っています。

「偶然などなく、起こることはすべて必要だから起こる」と。
(だから自分の身に降りかかることは全部逃げず全力で対処したいと思っています。できるできない関係なく、できる限りのことを全力でやる。)

先日の熊野旅行でも、そんなことを確信することができました。
起こることはすべて起こるべくして起こるのだと。

みんなで熊野三山と青岸渡寺をめぐっているところ、車であればそれほど時間がかからないところを歩くことになってしまった。そのお社まで車でいけたのだが、徒歩で登ることになったのだった。
そんなこともあり残念ながら、最後に行こうと計画していた場所に行くのは取り止めることになった。

その翌日少し時間があった私たち夫婦は個人的にその計画していた場所へ行きたいと思って行ってみた・・・するともう大変なことになってしまったのだった。
(何が起きたかは書くことができず・・・すみません)

やはりそうなるべくしてそうなっていたのだと、事が起こってから思ったのだった。(自分のアホ・・・)
行くべきところではなかったし、行かなくてもよいところであったのだ。だから行くことにはならなかったのだ。(なのに・・・俺ときたら・・・)

前日の「いくことができずに残念だな~」となった出来事や行動は、あれはあれで完璧であったのだとつくづく思いました。
ちゃんと行かなくていいようになっていた。行かせないようになっていたのだ。そういうふうになるようになっていたのだ。

私は神様や仏様を信じています。
今回のようなことがあって、私たちはちゃんと見られているんだなぁということを改めて感じました、というより確信にいたりました。

これが、昨日のブログでも書いた、この旅で得ることができた揺るぎないものうちの一つ。
熊野へ行ってきました
何からどう書けばいいのかわからない。
あまりに得るものが多く、まだまだ混乱しています。

そんな素晴らしい旅をしてきました。

先週末より、熊野へ旅行にいってきました。妻も一緒に。
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山と青岸渡寺を巡る旅。
各神社も素晴らしかったのですが、修験道で有名な熊野だけあり、その自然のスケールの大きさ、厳しさ、荒々しさを感じてきました。
そして昨年の水害の傷跡が今もそこかしこに残っていることには心が痛みました。

今回の旅は、学生のとき以来となる30名以上の団体旅行(!)
集団行動が苦手な私たちはどうなるのだろうと最初は不安に思っていましたが、そんなことどうでもいいと思うほど、楽しかったですし、何より勉強になりました。
そういう意味でもほんとにいろいろなことを学んだ旅でした。

そんな大勢で、しかも時間も限られるなかで向かう旅であれば、ある程度しっかりとした計画や準備が必要になるもの。
そして実際の行動でも、ある程度計画どおりに進めていかなければならないもの。

そういった一連の準備と進行を一致協力して進めていく様子を垣間見て、一緒に参加した方たちもそれをしっかりと自覚して行動されていたこと。
お互いにとって心地よい時間と空間にするために、自由でありつつも、互いをしっかりと配慮されていたこと。

そんなことの積み重ねが、大人数であってもとても楽な気持ちのいい旅行になるのだと思いました。

やっぱりそこに飲み物が用意されていたり、食事が用意されていることは、誰かが準備してくれているからそこにあるわけで、そんなあたりまえなことを改めて自覚しました。
(同じように、私たちが熊野に行っている間もしっかりと社員たちが会社をまわしてくれているから、旅行にも行けるわけですし。そして朝方4時近くまで続いた飲み会でも、そこで出る話題は聞き漏らすまいと思うものばかりでした。)

そして今、旅を経てなにやら確信のようなもの、心のなかに揺るぎないものができたように思います。

個人的には反省すべきことも多々ありましたが、こんな素晴らしい方たちと一緒に旅をすることができたこと、ご縁を深められたこと、そのこと自体私たち夫婦にとっての大きな財産(最高の思い出)となりました。

本当に行ってよかったと思う旅でした。
感謝を込めて。




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