日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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自分の人生を生きる
「自分の人生を生きる」
ものすごく当然のようで、そうではなかったなと確認することがありました。

誰かにとって(世間にとって)の素晴らしい人生や誰かの価値観で生きていく必要はないし、
誰かの選択や生き方に、自分の思いをのせたりすることもやってはいけない。そうする必要はない。

書いていてとても当たり前なようですが、これができていなかったなと思います。
たとえ、家族であったも一人の立派な大人であれば、あとはそれぞれがそれぞれの道・選択をして歩んでいくこと。
それを温かく見守っていけたらいいなと思います。

ここ数年、勝手に背負っていたものをきっちり降ろして、いろいろととらわれていたことを昇華したりきっちり捨てたりして、また次の段階へ進もうと思います。

私は妻とともに、心から望んだ人生を生きていこう、楽しもうと改めて思います。
転機を迎え、私たち夫婦にとっても新たな門出ですね。
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事業の基となるもの
稲盛和夫さんの「徳は事業の基なり、動機善なりや、私心なかりしか」「利他の精神をもっているか」という言葉。

北尾吉孝さんの「志と野心は違います。志は世のため人のため、野心は私利私欲です。私利私欲に人はついてきません」という言葉。

小倉昌男さんの「企業は社会的な存在である。それは財なり、サービスなりで社会に貢献するとともに雇用の場を提供するからである。したがって企業は永続しなければならない。永続するには、倫理性に裏打ちされた優れた社格が求められる」という言葉。

渋沢栄一さんの「右手のそろばん、左手に論語」という言葉。

これらの言葉は、事業をする上で、誰のために、なんのためにやるのか、どんなことをベースに考えたらいいのか、そんな問いに対する答えだと思っています。

まだ学生だったころ、会社の経営などにも携わっている方に、「事業をする上でお金は目的ではない、お金は事業を通して志を果たすための手段だ」と言ったことがあります。場所は帝国ホテルのバーでした。(ものすごく生意気なことを言ったため、鮮明に覚えています)
一笑され「理想と現実は違う、現実を知らないからそんなことを言うのだ」と一蹴されたことがあります。(当然ですね、その方は闘っているのに、闘ってもいない、またなんの実績も現実感もない若造が言うのですから)

今の私がいってもまだまだ説得力はないかもしれません。

しかし、私はその尊敬する経営者の方たちの言葉もお金についても、今も正しいと思い込んでいます。
思い込んでやっていたら、私の言葉にもいつか説得力がつく日がくるかもしれません。

事業を通して、様々な人の役に立ちたい、喜んでいただきたい。
そして多くの人を雇用して、生活の糧を得て、さらに社員たちがその仕事や役割を通して成長してほしいと思っています。それを果たすためには、しっかり儲からなければなりませんね(ここでお金が登場します)。

冒頭の言葉たちをベースに、そういうことに自分のすべての力を集中しようと思っています。


私がいつも心がけている李白の言葉があります。
「天生我才必有用」~「天が私を生んでくれた以上、必ず世の中の何らかの役に立つためである」

私はこの世界の何の役に立てるのかわかりません。しかし志と事業を通して私なりにこの言葉に対して答えていきたいのです。

まとまってませんが、“熱”だけは伝わりますかね・・・
感性をそのまま認めたい
すごく抽象的な言い方ですが、私は何かを見たときに、それがそれそのもの以外の意味を感じることがあります。

例えば、先日ベトナムに妻と旅行にいってきましたが、その最後の夜はちょうど満月でした。
その満月に合わせて旅行したわけではないのに、ちょうど満月にあたり、さらにしっかり晴れて煌々とした満月を一緒に眺めることができました。

そこに私や妻は「満月」という事象だけではない、それ以上の意味や意義を見出したりしますし、特別な思い出にもなります。
そしてこのタイミングでここに来れたこと、そのめぐり合わせに感謝もします。

そこで見た月は単なる“月”以上の特別なものになります。
そういう感性は、自分以外にもおそらくほとんどの人が持っているのだと思います。

それぞれの感性でそれをどう解釈するのか、どのように見えたのかもそれぞれでしょう。
一輪のお花を見て泣く人もいるでしょうし、特別な人から送られた「がんばれ」という一語を見ただけで大きな励ましとなる人もいると思います。

私は、その感性をそのまま認めたい。
例えそれが見間違い、勘違いであっても、そこで感じたことはその人自身のもの。

そう意味付けしたなら、それはそれでいいではないか、
そう見えたなら、それはそれでいいではないか、と思っています。


今日、妻が「セミの鳴き声がたくさん聞こえる」といってましたが、どう聞いてもどう考えてもコオロギやスズムシの鳴き声でした・・・笑
その泣き声を妻は「夏の名残」として聞こえ、私は「秋のおとずれ」として聞こえましたが、どちらであってもセミでもコオロギでもそれはそれでいいじゃない!と思うのです。

最近、そんなことを考えていました。
はじき飛ばしてしまえ!
会社のなかには様々な人間関係があります。
それはお客様、社員同士、取引先など多岐にわたり、そして規模の大小に関わらず必ずあります。

そこには利害関係、好き嫌い、合う合わない、本音と建て前など、それこそ複雑な感情と人間関係が交錯しますし、またそういう関係をふれまわる人間もいたりします。


私の場合、社員たちがどういう心境であろうと、どんな本音であろうと、きっちり仕事をしてくれればそれでよし。その組織がチームとして円滑にまわっていれば、それでよしというスタンスです。

その人間関係が業務に支障がでるところになれば、毅然と介入します。
自分の感情や理屈を仕事よりも優先しているということですから。

社員同士で愛し愛され協力しあう職場は最高ですが、そんなこと立場、仕事をする動機、能力、育ってきた環境、性格、価値観など、何もかも違う人間が集まっているのですからどだい無理な話。
そして社長であれどんな人間であれ、完璧な人間もいません。

また、ある程度部下をもち組織を束ねる立場になれば、会社と社員たち、部下同士との板挟みがあったり、利害や方針で対立することもあります。
そういうことが組織になれば必ずでてきます。社内で何か役職がつくということは必然的にそうなるということ。

「本音はこう」「あの人は裏表がある」などは仕事する上では関係ありません。
会社は仕事をするところであり、“仲良しクラブ”を作って群れるところではありません。

私でいえば、会社を守り発展させることこそ私の役割、そこで社員たちから自分が悪く言われていること、陰口を言われることなど、全然関係ありませんし気にもしません。分かる人は分かりますし、分からない人は分からないでしょう。逆に分からない人に分かれということもありません(その立場でないのですから、分からなくて当然でしょう)。


ですので、そんな人間関係はあって当然、あったとしても一切気にする必要もなければ、落ち込む必要もない!むしろそんな悪意や敵意などはじき飛ばしてしまえ!と思うのです。
はじき飛ばす強さを持たねばならないのです。

はじき飛ばしてしまえ!
そのプロセスのすべてが形づくっている
先日、妻とNHKの「アスリートの魂」という番組を見ていました。

以下番組のHPの説明から・・・
プロサーファー大野 修聖 ( まさとし ) 選手(32)は、海外勢が圧倒的に強い
サーフィン界で“世界に最も近い日本人”と言われる第一人者だ。
制限時間のなかで演技の完成度を競う競技サーフィン。
パワフルなターンを武器に2004年、2005年と国内連覇。
海外のツアーでも何度も表彰台に登った。
目標は、世界のトップ32人だけが参戦できる世界最高峰のWCT
(ワールドチャンピオンシップツアー)。
日本人で参戦した者はまだ一人もいない。
大野選手は今、大きな壁に苦しんでいる。
去年、生涯最大のスランプに見舞われ、さらに東日本大震災後、
サーフィンのイメージダウンでスポンサーも資金不足に。
大野選手は今年を競技人生最大の節目と位置づけ、
海外の拠点を引き払い、原点からWCT出場を目指している。
世界への扉を開こうと格闘する大野選手の姿を追う。


その番組のなかで、とても印象に残っている言葉がいくつもありました。

「壁を取り払うのも自分、壁を作るのも自分、その壁をその高さにしているのも実は自分だったりする」

「勝ててたときは、海、波、サーフボード、足、自分、そのすべてに境界はなかった、そのすべてが一体となっていた」

「(その一体となっている状態をゾーン(=無の状態)と呼び)意識していなくても勝手にゾーンに入っていた」

「そのゾーンの状態をもう一度取り戻したい」

無意識に出来ていたことができなくなり(=スランプ)、そしてそれを今度は意識的(体系的)にできるようになりたいと奮闘していました。あのレベルまでいくと、もはや技術や技の問題ではないのですね。
意識的に“無意識の状態”にもっていこうとする困難さは、ほんとに果てしないものがあります。
「三昧」のような境地といえるかもしれません。

「どの世界でも目指すべき状態(ゾーン)というのは一緒なんだな」と妻が言っていましたが、その通りだと思いました。

そしてその大野さんの顔つきが、日本チャンピオンだったときとは比べものにならないくらい、深みのあるとてもいい顔になっていたことも印象的でした。スランプの只中にいる今のほうが格段に素晴らしいお顔。(私たち夫婦の主観です)

スランプに陥り、そこから脱しよう試行錯誤を繰り返しながらもがき続けることは、想像を絶する苦しみの日々でしょう。
しかし、その人が醸し出す人として深みと温かみのある顔や雰囲気は、やはりそんな苦しい日々を経ることで得るものだなと思います。

このプロセスが大野さんにとってどういう結果に結びつくのかはわかりません。
しかし、私にはその目標、諦めない姿勢、スランプ、そこでの試行錯誤、そのプロセスのすべてが人生を形づくるかけがえのない瞬間なのだなぁと感じます。

私も今は自分の内面と向き合わねばならないという意味での転機のようです。
そのタイミングでこの番組を観れたことはとてもありがたいことだと思っています。




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