日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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無私の姿
あることに情熱をかたむけている姿はとても感動を覚えます。

先日そういう社長さんに会いました。
思いがけずその会社の事業所を見学させていただくことになり、ご案内いただきました。
社長の子以上に年の離れた私のような若輩にも一つも偉ぶることもなく、手がけている事業について嬉々として語る姿は誇り高くまぶしいものがあります。

「こうしたほうが絶対喜んでもらえると思って」と語る社長の“気質”は、社員たちにも当然伝わっていきその職場の心地よい“空気感”をつくります。
その“空気感”はお客様にとっても心地よい空間となり、結果としてより多くのお客様を呼び込みます。
繁盛するお店の典型がそこにありました。

虚栄心や功名心など何もなく、ただただ事業に専心していく姿に、偉大さを感じます。

いつだってそういう心地で仕事をしていたいと思いますが、まだまだ程遠いですね。
そしてそういう方はほんと少ないですね。

「ただただ専心していく」
そういう「無私」の姿に大きな感動と憧れを覚えます。
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コントロールできる範囲
先日、ある旅館をされている社長さんと雑談していたときのこと。
その方は年々観光客の減っていく「ある観光地」をどうにか復活させたいと熱っぽくお話されていました。

その方が経営されている旅館というのは、これまでもそこを訪れる観光客の恩恵を受けていたのでしょう。
その観光客の動向と売り上げは相関関係がありリンクしてきたのでしょう(と少なくとも社長さんは思っているのでしょう)

その「観光地」の復活こそが、自分の旅館、さらにはその地の旅行業界全体を活性化する起爆剤となるとのことでした。

その志は素晴らしいと思います。
観光団体の重責を担っている立場でもあり、その業界全体のことを考えたことともいえます。
私もぜひともそうなればいいなと思います。

ですが、私はその熱く語る話を聞いていて、とても違和感がありました。とても重要なことを忘れていると思うのです。
観光客の増加=旅館の売上増というのは成り立たないのではないかということではありません。
(ただ、私は観光と旅館に以前のような相関関係は成り立たないと思っています)

それはもはやその社長がコントロールできる範囲を超えているということ。
その観光地にくる人の数を増やすというのは、その社長さんが一人でやれることではありません。

自分がコントロールできる範囲を超えたことを願うより、まずは自分が直接コントロールできる範囲のことに集中することが先決ではないかと思います。
ここではその旅館のなかで手を打っていくことなのだと思います。

コントロールできない範囲を願うこと、逆にいえばそれはいくらでも「できない」「そうならない」理由になります。
いくらでも自分以外のことに理由を転嫁できてしまいます。

ちなみに私が「取り立てて人が集まるような観光地も近くにないのに、こんな形態の旅館でものすごく高稼働高単価のところがありますよ」と申し上げると、「私にもプランはあるんですけど、銀行が新しい資金を融資してくれなくて・・・」と言っていました。

そこでもやはり自分がコントロールできる範囲を超えたことを“理由として”おっしゃっていました。

少なくとも自分がコントロールできる範囲でやれることをやるしかないでしょう。
やはりその条件、その環境、その資本、その社会情勢、その社員たち、そのなかでやれることを考え抜いて、考え抜いて、やるしかありません。

その方と話していて感じる違和感を、後々考えてみてそんなことを感じました。
ここにまとめておきます。
“機”を見極める感性
望んだこと(新事業)が実現するまで、たくさんの乗り越えねばならない壁があります。
(以前書きましたが、私の事業はヒト、モノ、カネ、免許のうち、免許が重要なのです)

それは自分の努力という範ちゅうを越えてどうにもならない部分であったりします。
その免許に対して、今はまさにじっと“待ち”のときです。

いろいろなことに目配りしていると、緩慢に見えるが着実に動いていることがわかります。
昨日もそんなことがわかる“機”がありました。
それを確認しつつ、私ができることに集中しながら、静かに“待ち”に徹しています。

それが“機”であるとは、後々にならないとわからないものだったりします。
やってみて、ある結果となって、振り返ったときに始めて「あれがなければ・・・あれがそうだったのか・・・」となるように。

しかし、事業においては、今起こっていること(=“機”)が私たちの望んでいることにとって、どんな“機”なのかを見極める・分析する感性が必要かつとても重要だったりします。止まっているように見るほど緩慢だが動いているのか、それとも本当に止まっているのかをしっかり見極めなければなりません。それによってどうすべきか、何をすべきかが変わってきます。また、(良いことでも悪いことでも)なぜそうなるのか、なぜこのような形となっているのか、理由がわからないときもあります。そんな“機”からいろいろなことを読み取ります。
(たぶん、それは人生においても同じだと思っています)

そんなふうに考えていると、すべてのベースは努力であること、どのような“機”も決して見逃してはならないこと、なぜそうなるのか理屈を越えた(天とか神という存在を感じられる)事態がたくさんあること、そして「チャンスはピンチの姿でやってくる」というのは真実であること。

そんなことがわかってきます。(つくづく実感しています)
あなたは何をしているのですか?という問い
田坂広志さんの「風の便り」特選第79便に「二人の石切り職人」という話しがあります。
田坂広志「風の便り」79便

(この「風の便り」は至言の宝庫だと思います。)

私もこの石切り職人のように、「あなたは何をしているのですか?」と問われたら、どう答えるかと考えます。

私の仕事は、会社経営でも、社長でも、“人に指示をすること”でも、“確認印や決済印を押すこと”でも、“新規事業を立ち上げること”でもありません。

私の仕事は
「お客様に喜んでいただくこと、喜んでいただけるものを提供し続けること、そしてどのような状態になっても安心して生活できるインフラとなること」
「社員とその家族が、安心・安定して暮らすことができること」

この文章を読んで、ときどき確認します。
“その仕事の彼方に、何を見つめているか”

誘惑に惑わされながら、自分の弱さに相対しながらも、そこからはずれないようにしたいと思っています。
キャッシュフローの大切さ
経営者であれば誰もがそうだと思うのですが、事業をやっているとキャッシュフロー(資金繰り)の大切さはもう尋常じゃないほど常に常に常に頭にあります。
現在のストックがどうなっているか、月次や数ヶ月先までの収入見込み・支払い見込みの予想、何かの事態が起きてお金が必要になる場合、瞬時に判断できるようにしています。

どんな黒字であっても、一度でも支払いを決済できない事態が起これば倒産です。
例えミスで支払いが遅れたとしても、そこで失う信用は計り知れません。

学生時代にアルバイトしていた会社(誰でも知っているような大きな会社)で、バイト代の支給日にある営業所全員の給料が入らなかったことがありました。原因を調べると、たった一人のバイトの名字が一字間違えていた(タナカがタノカみたいな)ため起こったものでした。
その翌日には普通に振り込まれてましたが、それだけのことでも「うちの会社は大丈夫なのか」とバイト仲間で話題になるほどでした。


一週間前、ある銀行の局長さん(といったらどの金融機関かわかりますね)に、7月5日に○○円のお金を引き出しますとあらかじめ連絡をいれていました(ある一定の額以上の金額になるとあらかじめ連絡してほしいと言われているのです)。
伝えていたとおり、今日引き出しにいったら窓口の方が「聞いてませんので用意できてません」とのこと・・・。

これは金融機関として絶対にやってはいけないことだろう。
もしそのお金が何かの支払いのために必要であったら・・・何か決済するためのお金であったら・・・そう思ったらゾッとします。幸い今回のお金はそういう類のものではありませんでしたが。

金融機関としての役割を完全に放棄しているとしか思えません。
理由を問い正すと、局長が本社へ送金の連絡することを失念していたとのこと(ありえない・・・)
それにしても、このようないい加減な仕事をする人がいるということもちゃんと想定しなければいけないですね。

なぜこんなことになったのか、今後どうするか、その局長さんとガッチリ話し合いましたが、久しぶりに怒ったな~。




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