日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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本質は何?そこからはずれない
一昨日4月30日に来週上京するための手配をネットでやっていました。
しかし、立地や金額などにこだわってしまい、予約をしませんでした。
そして明けて昨日5月1日、同じサイトを開くと、どのホテルも一気に10,000円くらい単価が上がっていました。他のサイトも同様でした。

「あーしまったー」「まさか月をまたいだだけでここまで金額が変わるとは・・・」と思ったのですが、あとの祭りですね。
今思えば、こだわっていた内容なんてほんとどうでもいいことでした。

こんなことがこれまでも、そして今もたくさんあります。
「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる」という言葉通りの自分がいます。

今何が大切で、何をすべきなのか、その本質そのものにしっかりこだわりたいな~と思います。
ここでの本質は「会議に間に合うように上京すること。しかも低コストで」でした。
どこのホテルか、どんな立地か、そんなことはその本質からはずれていました。そもそも状況が変わっただけで、そのこだわりなどどうでもいいと思えるほどつまらないことにこだわっていました。

まぁ、いろいろな寄り道して学ぶこと、そこから派生していって全く別な展開になることもありますから、何がなんでもこだわる必要もないかもしれません。
しかし、全く関係ないことや見栄、野心、欲などにこだわると、こんなふうにちょっとおかしなことになります。

最近こんな場面に遭うたびに、そんな思いにかられます。
私の事業で一番大切なことはなんだろうとか、今この場面、この状況で一番大切なことは何かということを自問します。

仕事でもプライベートでも、そういう選択に迫れる場面だらけですしね。


“生きていくなかで、あと一体何度迷妄するんだろう”と思えば・・・
「それはお前次第だろ!」という声が聞こえてきます。く~笑
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「受け流す」というシンクロ
2、3ヶ月前に妻から、「あなたは何でも全部まじめに引き受けるタイプだけど、全部が全部引き受けなくてもいいんじゃない?受け流してみたら」と言われたことがありました。

そして何かことあるごとに“受け流せ~受け流せ~”と言ってくれていた(らしい←気づいてなかった・・・)。

そしてその勉強会の日にも、昨日のブログに書いた方にお話しているなかで、「受け流すことを覚えると楽」と言われました。

いろいろなことを言われたり、いろいろな関係に巻き込まれてどうしようもなくなるときもあったけど、受け流せるようになったらとても楽になった、聞く必要のないこと、聞いているだけでいいことは聞き流すくらいでいい、そっちはそっちの人生だから、とおっしゃってくれました。

妻と同じ言葉を聞いてハッとさせられました。

妻から詳しく聞くと、風に例えて、風も向かいからばかり受けていると、大変だし進めるものも進めなくなる。
でも受け流したら進むのも楽だし、もしかしたら追い風になるかもしれない。

そして「今あなたが悩んでいること、つらいと思っていること、それが課題とか宿題だよ。だけど、それらは“受け流す”ことで解決できるから。これはあなた自身がやらないとだめ」と。

というわけで、今の自分のテーマは“受け流す”こと。

それができるようになると、あれ?俺なんでこんなことで悩んでいたんだろう?と思うときがくるからそれがクリアしたということだそうです。そのときになって初めて次の課題がくるとのこと。

皆さんからそんなふうに言っていただいて、大きな大きな愛を感じます。
そしてもう恥ずかしいくらい鈍感だったと思います・・・。



さらに妻から、「みんな、あなたの先が見えていたとしても、今あなたの目の前の課題をクリアしないとその先に進めないから、目の前のことしか言わないし、話す内容も考えてくれてるし、先を言う意味も必要もないのよ。けっこう遠くまで見えててもやるのはあなた、気づくのもあなた、あなた自身がやらないといけないのよ。応援しながらも黙って見ているのは本当に大きな大きな愛がないとできないのよ」とも言われました。

なんだか泣けてきます。そして肝に銘じます・・・
至言
思えば、自分が壁にあたってジタバタしていると、ヒントとなる話しを聞けたり、ぴったりの本に出会ったり、そんな機会を得ることがたくさんありました。
今、目の前に起こること・有るものに気づいたら、それは今の自分に必要なものだったりしました。

昨日は月に一度の勉強会の日。
ここでは本当に尊敬している方たちが集まります。

いつもそうなのですが、今回は特に今の自分に必要な機会となりました。

勉強会にいらっしゃる方たちといろいろお話をさせていただくなかで、ある方から今の自分にビシビシと響いてくる言葉をたくさん頂きました。

ご自身もセラピストとしてお店をされて第一線で活躍されている方、その言葉一つ一つが心に染み渡っていくようでした。

「自分がもっているものを絶対出し惜しみしない、それで喜んでもらいたいし、喜んでもらえたならそれが私の喜び」

「喜んでもらうことが巡り巡って自分の幸せにつながっている」

「この世の法則(ルール)に気づいた(知ってしまった)。だから、私はその法則を絶対に守っていこうと思っている」

「人がどう思うが何言ってこようが何やろうが関係ない。ただ自分がそう思っているからそうしているだけ、それでいい」

「お役目があるから、たくさん宿題を課せられる。それがすでに神様に愛されてる証拠」

身に起こることとも相まって、自分のなかに感覚的にあったピースがどんどんはまっていくようでした。

妻と一緒にほとんど爆笑しながらお話していましたが、本当に素晴らしい言葉をたくさんいただきましたし、楽しい時間でもありました。

思えばこんなことってこれまでもたくさん聞いてきたようにも思います。
でもここまで沁みてきたのは、今の自分に必要な言葉だったのと、その方がまさにそんな生き方を貫いていらっしゃるからでしょう。

ここ最近、自分は全く望んでない、できれば関わりたくない、興味もないと思っていることでも否応なく、そうせざる得ないような状況になっていったり、いろいろな利害関係にも巻き込まれそうになったりすることが頻繁にありました。
しかもそのスケール(関わる事案や人も)がどんどん大きくなっているとも感じていました。
組織を代表しているので、それはもうしょうがないのですが、やはりどう対処したらいいのかわからなかった(というよりうんざりしていた)のです。

でもそれらもまた“宿題”なんですね。
必要だから起こっているのでしょう。

その方の考え方、起こることの解釈の仕方、ものすごく共感できて参考になりました。

今、自分には力が満ちてくるようです。
このことを一つの転機・きっかけとするべく、これからがんばっていこうと思います。

その勉強会では素晴らしいご縁がたくさんあります。
ありがたいです。ほんと感謝ですね。


その方と話していて、まだまだたくさん刻みつけたい言葉や考え方がありますので、少し続きます。
月例会
昨日は月に一度の勉強会でした。
そこでお会いする皆さんとは、毎月再会するのがとても楽しみです。
一か月ぶりにお会いするとがらりと雰囲気が変わる方もいらっしゃり、人ってほんと変わるんだなぁとそのたびに思います。

上海に留学してきた方もいらしてましたが、以前お会いしたときより雰囲気が少し変わっていて、いろいろ経験されたのだなぁと思いました。上海にてぼったくられた話などはかなり笑わせていただきましたし。
「上海で何かあれば領事館を味方につけとくといいっすよ」という台詞はまさに経験の賜物ですね(笑)
そのお母様もいらしたのですが、いつも愛情に満ちていて本当に素敵な親子、家族だなぁと思います。

今回もいろいろなことを相談させていただき、また学ばせていただきました。
そしてさらに体のメンテナンスまでしていただきました。

普段「肩こり」なんて全然意識してませんでしたが、肩のこりや背骨のゆがみを治してもらうと、視界がひらくように目の前がすっきりしました。
いつも自分の体の声に全く耳を貸さないと妻から言われてましたが、どういうことかちょっとわかったように思います。
さらに帰り際に持たせていただいたおにぎりが本当においしく、妻と感動しながらいただきました。

毎月、本当にありがたく充実した時間です。
仕事をしていると、もういろいろなことが起こるのですが、そこにまた一つ一つ向かっていこうという力をもらえました。
また一ヶ月がんばりたいと思います。
素の自分
昨日は夫婦で参加している月に一度の勉強会の日でした。
いつも本当に多種多様なお話をお聞きすることができ、体のメンテナンスまでしてくださったり、疑問に思うことを質問することができる貴重な機会です。
自分のなかにあるいろいろなものが漂白されるような、リセットされるような時間でもあります。

そのなかで「素の自分って誰なんだろう?」という話題がでたので、自分も少し考えてみました。

自分もたしかにいろいろな顔を持っていて、使い分けている。
仕事、家族、友達それぞれでいろいろな自分がいる。
もっと細かくいえば、友達のなかでも、職場でも、家族でも、昨日と今日でも、ちょっとずつ変わっていたりする。

そのどれが素の自分なのかとちょっと考えてみても、役割やまわりから期待、常識、雰囲気、そういうもので縛られていたり、縛っていたりするので、たしかにどれが本当の自分なのかよくわからない。
逆にいえば、そういう自分しか知らないかもしれないとも思う。

いろいろな自分を好きか嫌いかで見ると、自分ではダメ(嫌い)だと思っている自分を、いい!と言ってくれる人もいたり。その逆もしかり。

そんなふうに考えていたら、素の自分を探しつつも、どういう自分であっても肯定できたらいいかもと思うようになりました。
その自分はその自分でよし!みたいな。

さらにそのうち「俺は俺でよかった」と全肯定できるようになれたらもっといいなとも思います。
そんなふうに思えたら、とても幸せなんだろうと。うぬぼれとはまた違う意味で。

いつかなれたらいいなと思います。




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