日々のこと
感じたり、考えたりしていることを綴ります。
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奥之院のこと(うまく書けず)
「こ、これは・・・すげぇ!」(言葉にできず)
高野山の奥之院に参拝したときの第一印象でした。
奥之院についてはこちら

奥之院にはものすごい数の墓石や慰霊碑などが立ち並ぶ参道を通っていくのですが、それもなかなかすごい雰囲気でした。
しかし御廟橋から先はそれまでとはまた一気に空気が変わります。

そしてさらに奥にある燈籠堂に入ったときのあのビリビリとした空気はどう表現したらいいかわかりません。
すげぇ!と息をのみました。うまく言葉にすることはできません。

いろいろなお寺や神社にもいきますが、あういう雰囲気は初めての経験で、神聖さ、清浄さ、静穏さ、平安さなどとは違う、全体がビシッとズーンと張り詰めている感じです。

私にはとても身につまされるというふうにいえばいいのか、俺はここにいてはまずいんじゃないかと思うような寄せつけない厳しい感じがありました。

(抽象的に感じるものを文章にすることは難しいですね。妻も感じたことがあるのですが、それもやはり感覚的抽象的なので、そちらも文章にするのが難しい…妻の感じたことをキーワードにすると~“道”“飛行場”“ポンプ”“発射台”“循環”・・・それだけだと全く意味不明ですね・・・)

それでも朝8時半ころについたため、御祈願やご供養の受付をされる僧侶の方たちが、受付を始める前にそろって般若心経を読経しはじめたので、私たちも一緒にお唱えさせていただきました。
これはいいタイミングでした。とても爽快な気分になれました。


その後奥之院から、金剛峯寺での阿字観を経て、そして昼食を予約していた遍照光院というお寺へ。
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お庭も素晴らしかったです

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そして通されたお部屋の襖絵もすごかった~金金きらきら~
ここでお膳とともに写真を撮ってもらったら、妻から「なんか成金の大名みたい」というお言葉いただきました。

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精進料理:豪華でものすごい量でした!

素晴らしい精進料理であったのに、鼻がつまってほとんど味わからず・・・鼻をかんではかすかにフワッと感じられる味をたどっていました。フワッと感じるだけでも、とても美味しかったです。
味を感じたくて、すごい集中して食べたので疲れましたし、鼻をかみまくってヒリヒリでしたけど・・・。

特にごま豆腐はとても楽しみにしていたのですが、味はもう全くわからず・・・トロッとした食感のみ堪能・・・
悔しかったのですが、次回の楽しみにとっておきます。

そして帰路、妻とふと気づいたのですが、高野山にいっておきながら仏像を全く見なかった・・・お参りしてないことに気づきました。というか、どこにも全くお参りする機会がなかった・・・。
これでよかったのか?と思いつつ和歌山市内へ戻りました。

ですが、全体的にはとても貴重な経験と勉強をさせていただきましたし、たくさん思い出もできた高野山でした。
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和歌山のとあるクリニック
例えばコンビニでも、立地も変わらず、ほとんど同じものを扱っているお店なのに、流行るお店とそうではないお店がある。
それは同じチェーン店でも同じような現象があったりする。
私はそういうことにとても興味があります。

先日の旅行のときのこと。

私はその旅の前から体調を崩していたのだが、高野山へ行った翌日それが妻にもうつってしまった。
私の症状と全く同じ症状であった。

そこで急きょ病院へいこうということになり、ネットで調べ数件あった和歌山駅近くの病院のうち「ここがいいのでは」と思った1件のクリニックへ向かった。

建物は新しいわけでもない(むしろ古いほうだ)し、広いわけでもない(こぢんまりとしていた)が、とても雰囲気の良いクリニックであった。
私たちは初めていく(しかも旅先の)病院というのはとても不安になっていたのだが、「ここはいい!よかった~」と言い合った。

そう思ったわかりやすい要素を挙げていくと、
・掃除と整頓が行き届いている(特にトイレと玄関は重要だが素晴らしかった)
・受付(私たちが他県から来ていること、さらに一度きりの診察であることも分かった上での)の対応も素晴らしかった。
・看護師さんたちの対応もキビキビしつつも、温かかった。

そしてなによりそのクリニックの院長が素晴らしかった。
診察に呼ばれていくと、まずはとても真剣にまっすぐ私の目を見て、説明を聞いてくれた。
そしてその症状以外にも妻のほうが深刻であること、旅先であること、(すぐ移動するため)検査をする時間はないこと、このあとも旅は続くこと、それらの状況をきちんと把握してくれ、私たちの希望も考慮した最適な診察と処置をしてくれた。(この後、無事旅行を続けられたのも、この先生のおかげでした)

そういうことから発する雰囲気の良さがクリニック全体を包んでいたのだった。

私たちは朝早くにいったのだが、診察室から出ると、待合室はもう座る場所もないほどの混みよう(しかも年齢層も赤子から老若男女幅広かったのにもうなった)であった。
「う~む、これほど患者さんが集まるのも納得だな~、この先生とスタッフであれば安心できるものな~」と思った。

旅先の病院で、とてもいい勉強をさせていただいた。
商売は、儲かるとなれば誰でも参入しようとしてくるもの、そうなれば遅かれおのずと過当競争となることは自明の理だ。(このことの説明はマイケル・ポーターのファイブフォースが有名ですね。)

ところが過当競争であるのに、そしてそれほど立地も商品やサービスにも大きな差異はないのに、冒頭に書いたようなお店や会社が存在する。
その差はなんだろうか。願わくば私たちもそのような会社を目指したい。

このクリニックは自分にとって大きな示唆(というか確認できたともいえるかも)を与えてくれたように思います。
そして本当に真摯に真剣に仕事をされている方はやはり違う。また社長なり院長なり代表なりオーナーなりの思いが強い(良し悪しもあるが)組織もまた違う。


どこにどんな機会があるかわかりません。
なにもかもどんなときでも無駄なことなんてない、気づけるかどうかだ、とここでも思ったのでした。
呼吸のすごさ
いま、空手の稽古では、“かくたいえんれんほう”(漢字がわかりませんでした・・・)という型をやっている。
うまく説明できないが、三戦立ちや息吹きを多用する型です。
これにあるような三戦の型のような・・・でも全然違うのですが。

この型を教えてもらったとき、師範から「この型をやるとどんなに呼吸が荒く激しくなってても整いますよ」と言われた。
実際にやってみると、言われたとおり別な型をやっていて“ゼーハーゼーハー”いっている自分の呼吸がスーッと整う。

阿字観においても呼吸はとても大切であった。
鼻から大きく吸ってできるだけ長く口から吐いていく。吐いていくとき「あ~」という声を出していく。
そうすると体がどんどんゆるんでいく。そして集中してくるので感覚がどんどん鋭くなっていき、自分の身体の状態もはっきりしてくる。そのことは一昨日・昨日のブログで書いた通りだ。

例えば「集中する」には“意識・意志”によって集中することもあるが、阿字観で行う呼吸をするだけでも集中することができる。そこには意志という“力み”がないため、集中のレベルが全然違うように思える。

呼吸のやり方によって、体や気持ちに様々な変化をもたらすことを実感させてもらった。

体と心の一致、その形、そして呼吸(これに観想も加わるのだが、書くことが難しいため省略)
これらのことについては今、自分が毎日実践していることや、ちょっと考えていることにとてもよい示唆を与えてくれた(分かる人にしか分からない表現ですみません)。

そして空手と阿字観、全く別物であるこの二つのことがつながってきたのもとてもおもしろい経験であった。

そのときは分からなくても、続けることや、やったことのないことに挑戦してみたりすると新しい世界がひらけてくる。
それは今の自分にとってとても感動する瞬間だ。

まだまだ知らないことがたくさんあるっていいな~楽しみだな~と思ってます。(旅のブログ、まだちょくちょく続きます)
形(型・体)から入る
私はとても理屈っぽいほうだ。
頭で考えて納得したいタイプというか、考えてみて納得しないと行動できなかったりする。

しかし、そればかりではわからないこともとても多いということにここ一年くらいで気づかされた。
それは私にとって価値観が変わる・視野が広がるという意味で、一つの大きな転機だったと思う。

それが“形から入る”ということ。
昨日のブログで「内側から知ることも多いが、外側から知ることも多い」と書いたが、その外側から知るというほうだ。

空手ではまず“型”から覚えさせられる。
定位置鍛錬から始まり、まずはその型を身につくまで覚えさせられる。

それがどういう理屈でそんな動きになるのか、さっぱり分からないのだがまずはやってみる。
できるようになっても、なぜこの動きなのかわからないことがある。
しかし、それでも続けていると、それが実際の場においてものすごく合理的な動きだったり、全然関係ないことと突然つながってきたりすることがたくさんある。

阿字観でも同じであった。
たぶん阿字観の本当の意義や目的を理解することはたぶんあの時間では不可能だ。もしかしたら何年やっていてもわからないかもしれない。
だけどその形から入るだけで、得られること・感じられたことは昨日のブログでも書いた通りだ。

言葉では伝えられないこと、やってみて自らが気づかなければならないことがたくさんある。
それを理解するには実践してみるしかない。
形から入ることは、ある意味とても時間がかかるし、根気もいる。
なんでこうなのか、そうするのかさっぱりわからないのに、やっていくことだから。

“形がどうであれ、心さえこもっていればいい”というのもあると思う。
しかし、その作法や所作、型、形となっているものには必ず理由と意味があり、なにより“力”もある。

形から入ることで分かる・見える世界はとても大きいし、形からしか分からない世界もまた大きい。
それは例えば仏像を見ることでもそうだ。なぜその形、佇まいなのか、そこにも意味があるんだろう。

先日ヨガをやっている友人が「ヨガをやっている人たちが、「生きることが楽になった」と言っているのを聞いても、自分にはその言っている意味がわからなかった、だけど4年くらい経った今はそれがとてもよくわかる」と言っていた。
「私の人生はヨガ前とヨガ後で分けられるくらい変わったの(笑)」とも言っていた。
それもまた形から入ること、継続することで見えてきた世界なんだろうと思う。

形から入る・体で覚える、これらの大切さをこの旅でもひしひしと感じることができました。
そしてその形と、その形となる心(理由)のどちらも理解しながらいろいろなことを実践していけたらなと思います。
身体の声:阿字観体験
よく妻に「身体はかなり疲れているのに、気持ち(心・頭)がどんどん先にいこうとしていることがとても多い。もう少し自分の身体の状態を知ったほうがいい」と言われる。

その感覚はとてもよくわかる。
とてつもなく眠いし、身体がかなり疲労している自覚があるのに、パソコンに向かっていたり、本を読み続けていたりする。興味あるものについては、我を忘れてとことん調べたり、知りたくなってしまったりする。
もちろん自覚がないときも多い。仕事がつまっているときや悩んでいるとき、考え事をしているときは特に。

そんな日が続くと、ある日突然身体が全く動かなくなってしまったりする。
そういう体調を崩すときや偏頭痛になるときは決まってその限界を超えたときだ。
身体がおかしくなって始めて限界だったなと気づく。「しまった!」と思ったときには時すでに遅しだ。

先月の下旬頃からまさにそんな状態になってしまった。(というわけで旅行の前半はかなりきつかった)
本当はもっと早くそんな状態になっていると気づいて、身体を休めたりするべきなのだろう。

今回の旅行では高野山の金剛峯寺にて阿字観を体験させてもらった。
阿字観についてはこちら
「心と体を一致できるようになれたらいいですね」とご指導いただいた僧侶の方からのお話もあってやってみました。

その阿字観をしていると(逆にいうと阿字観しかやっていないため)、体がどんどんゆるんできて体そのものの熱や呼吸、鼓動、脈動、そしてしびれや体の軋み、疲労まで含めて、体の状態がとてもよく感じられた。
体はしっかりとそういうシグナルを出していたのだが、いかに気づいていないか、そしてそういう感覚があることのありがたさをまざまざと思い知らされた。

そしてもう一つ、半跏趺座(はんかふざ)という座り方をし、法界定印(ほっかいじょういん)の手の形をして、大きく描かれた月輪と「阿」(=大日如来)という梵字にむかって、教わった呼吸をしながら声もだす。そのときも言われた観想をしながら。しかしそれでも様々な雑念も浮かぶ、そして足や体も風邪によるだるさに加えてどんどんしびれて疲労してくる。
そうやっていたら「あぁ、生きているってこういうことかぁ」「こんな感じで生きていってもいいのだろう」とふと思ったのだった。(そこには自分なりのプロセスがあるのだが省略して)今この場にいる自分を肯定してもよいのだと思った。

自分が生きている実感がもてるのも、体があってこそだなと。
体があるってとても不便なことも多いですが(ちょっと変な言い方だ)、そういう体から分かること・気づかされることってとても多い。

身体があって体調を崩せるからこそ、それがある種のストッパーとなって、心や思考にブレーキをかけてくれたり。
(たぶん自分が想念だけの存在であったら、行き着く先はどこなんだろうかなんて思ったり)

妻は「感覚が研ぎ澄まされていき、見える触れる聞こえたりするっていうことだけでも素晴らしいことだし、生きてるっていうのは幸せなことなんだ」というふうに思ったと言っていた。
その感覚もとてもよくわかる。

阿字観をやってみて、身体の大切さ、ありがたさをあらためて自覚することができました。
心身を一致させる時間を毎日少しずつでもとっていけたらなと思います。

「内側(心や気持ち、頭)から知ることも多いが、外側(身体)から知ることも多い」
(このことに最近気づいたことは自分にとってとても大きい転機の一つですが)ここでも実感させてもらいました。

明日以降「形(型・体)から入る」「呼吸について」へ続く。




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